15. 私がやるしか


「我妻さん!!」

瞬間走り出したけれど、遅い。
私の手が我妻さんに触れる前に、鈍い音を立てて我妻さんは地面へ叩き付けられた。

「善逸! 大丈夫かぁあ!!」

旦那様も慌てて我妻さんに駆け寄る。
落ちた状態からピクリともしない我妻さんに、私は全身の血の気が失せていくのを感じた。

「我妻さん! 嫌、我妻さん!」

倒れた我妻さんの頬ぺたぺたと触れ、反応を待った。
駄目だ、意識がない。
我妻さんの心臓あたりに耳を当て、心拍の確認をする。

「だ、だんなさま」
「名前、このまま善逸を屋敷に連れ帰る!」

胸に耳を当てて、私は青ざめていく。
そんな私に気付かない旦那様は、我妻さんを無理やり抱き上げようとする。
私は慌ててそれを止め、声を振り絞る。


「我妻さんの心臓が止まってます!!」


彼の心臓はピクリとも反応していない。
まずいまずいまずい。

彼に必要なのは一刻も早い心肺蘇生法だ。
屋敷に帰ってから医者を呼んでは遅すぎるのだ。
どうすれば、どうすればいいの。
現代のように救急車も、発達した医療もないこの時代で。

働かない脳を、無理矢理フル稼働させた。

ふと現代で習った授業が頭を過ぎる。
いや、それしか思い浮かばない。

時間は空けないほうがいい。時間が勝負だ。

「すぐに、心肺蘇生法を…」

ぎゅうっと我妻さんの襟を掴んで旦那様を見つめる。
しかし、旦那様は眉を寄せなんの事だと言わん顔で私を見ていた。

気づいてしまった。

もしかして、この時代に心肺蘇生法がない?

旦那様の顔がそれを物語っていた。

つまりは、
私しかいない。心肺蘇生法を知ってるのは。

できる、だろうか。
あんな人形相手に習った救命救急なんて。

でもそんな事言っている余裕はない。
固く閉じられた瞼を見て、私は決心する。

私が、私がやるしか。
ギリっと奥歯を噛む。

「旦那様、私に任せてください!!」

「しかし!」
「お願いします、私が、私だけが」

なんと説明すればいいのかわからない。
そんな時間もない。
だけどこのままでは我妻さんが死ぬ。

旦那様は迷っているような顔をしていた。
その袖を掴みながら、私は懇願する。

お願い、お願いします、私ならできるんです。

旦那様は戸惑う表情を見せたけれど、すぐにこくりと頷き、

「名前、善逸を頼む…」

と、言った。
掠れた言葉を耳に入れた瞬間、私は我妻さんに向き直り、私は我妻さん頭の位置を変えて気道を確保する。
必死で手順を思い出していく。
失敗は許されない。

羽織をはだけさせ、心臓の位置だと思われる場所の上で拳を作った。

「1、2、3、4、」

リズム良く心臓を圧迫させる。
確かこうだったはず。
間違ってても教えてくれる人は居ないから、やるしかない。
ピンと張った腕に力が入る。
お願い、お願い、戻ってきて。

「28、29、30!」

心臓圧迫を30回終わらせると、慌てて頭の方に顔をやる。
まだ意識は戻らない。
躊躇なんて、してられない。
気合い入れて、私!!


我妻さんの鼻を人差し指と親指で摘み、息が漏れないようにする。
顎にもう片方の手を当てて、我妻さんの口を少し開けた。


「名前!」

横で旦那様が驚きの声を上げた。
私が何をしようとしているのか分かったようだった。
この時代の人にとって、ただの口吸いにしか見えないだろう。
それでもいい、今は、彼が息を吹き返してくれるまで何度でもする。

意を決して沢山の空気を吸い込んだ。
薄く開いた唇に自分のものを重ねて、ありったけの空気を体内へ送り込んでいく。
チラリと我妻さんのお腹を見て、肺が動いていることを確認した
空気は無事に肺に入ったみたい。

口の中の空気が無くなると、私は再度心臓圧迫に取り掛かった。

「お願い、我妻さん、我妻さん!」

こんな所で死なないでしょ、我妻さんは。
誰よりも頑張ってたじゃない。

折角仲良くなってきたところなのに。
あと一緒におやつだって食べてないよ。
羊羹ぶん投げちゃったけど。

それから、


私を、

私を守ってくれるんでしょ?


"貴方が"






「うぐっ」

心臓圧迫を何回か行う内、我妻さんの口から声が漏れたような気がした。
慌てて圧迫の手を止めて我妻さんの胸にに耳を当てる。

とくん、とくん、とくん


はっきりと聞こえる心臓の音が耳に入った瞬間、私は目を見開き、そして徐々に視界が歪んでいった。
私の瞳から零れた雫は頬を伝って、そのまま我妻さんの着物に吸い取られていく。

「よか、よかった、我妻さん…」

うわあん、と子供のように泣き始めた私を皮切りに、旦那様が私ごと我妻さんを抱きしめた。

「善逸、善逸!」

旦那様も目が潤んでる。
しばらく私は我妻さんのお腹をポカポカと叩いていた。

「木の上に登るからぁ!馬鹿じゃないの!?そりゃ雷に打たれるよ、馬鹿ぁああ!」


旦那様に連れられて屋敷に戻るまで、
目を閉じたまの我妻さんに私は恨み節を呟き続けた。



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