16. やっと貴方に会えた


屋敷に戻るとすぐに旦那様は我妻さんを担いで部屋に連行してしまった。
あの小さなご老体にどこにそんな力があるのか全く分からないけれど、これで我妻さんは大丈夫だろう。
未だにぐずぐず泣いている私に、藤乃さんが手ぬぐいと水が入った桶を渡してきた。

「善逸さんをお願い致しますね、名前さん」

よしよし、と頭を撫でられたと思ったら、
私は皆様の晩御飯の支度がありますので、と炊事場へ消えていく藤乃さん。
着物の袖で荒く涙を拭い、我妻さんの部屋へと向かった。
結局帰りは意識のない我妻さんに泣きながら文句を言うばかりで、何の役にも立たなかった。

獪岳はいつの間にか御屋敷に戻ってきてはいたけど、興味が無いようだった。
本当にむかつくあの野郎。仮にも貴方の弟弟子でしょうが。
考えるだけて腹が立つけれど、今は我妻さんの所へ行く方が先決だ。

獪岳を想像の中で殴りつけていると、我妻さんの部屋の前に着いた。

一呼吸をして障子を開けると、旦那様が布団に横たわる我妻さんの隣に座っていた。

「旦那様」
「名前か…善逸はまだ、寝ておる」

あの時、我妻さんが自発呼吸を行ったので、危機は脱した。
屋敷に戻って旦那様がお薬を調合していたし、後でお医者様を呼ぶと言っていたのでその後のケアも大丈夫だと思う。
私自身は心肺蘇生法以外の治療は知らないので、これ以上どうすることもできない。
救命救急講習受けてて良かったと心から思った。

「旦那様、後は私が代わりますよ」

ほら、と手ぬぐいを見せて笑うと、旦那様もふっと笑う。

「名前、善逸を助けてくれて、ありがとう。わしから礼を言う」

ぽんと肩に手を置かれて、旦那様が呟いた。

「…いえ、何か…もう無我夢中で…」

お礼を言われて、気恥ずかしくなり目線を下げて苦笑い。
今思い出すだけでも恥ずかしいくらいです、はい。
出来る事ならこの記憶をそのまま忘却の彼方へ葬り去りたい。

「いや、名前は良くやった」

後は任せたぞ、と言い残して私と入れ違いに、旦那様は部屋を後にする。
すーすーと我妻さんの寝息だけが聞こえる部屋。
先程まで旦那様が座っていた座布団に腰を下ろし、横で眠る我妻さんに目をやった。


「…“貴方”だったんですね」


寝ている我妻さんにぽつりと呟く。
雷に打たれて我妻さんの髪色は変化してしまった。
我妻さんの前髪に手を伸ばし、その髪に触れる。
さらさらと手から零れ落ちる“金色”。羽織とお揃いだ。

心拍蘇生法をやっている間は、それどころではなかったので考える暇なんてなかったけれど。

この人が長い間、私の夢の中で、私を守ってくれていた人。
きゅ、っと唇を噛んだ。

「っていうか、雷に打たれたら髪の色が変わるなんて、ファンタジーもいいとこじゃない」

髪からさっと手を離し、持ってきた手ぬぐいを桶の中へと沈める。
ぽたぽた零れる水を硬く絞り、そっと我妻さんの顔を拭ってあげた。

「う…」

水が冷たかったのか、顔を捩らせる我妻さん。
ふとその口元に目が行ってしまう。

あ、そう言えば緊急事態とは言え、キスをしたんだった。
急に血行が良くなり顔に熱が集中しているのを感じる。
……は、恥ずかしすぎる、我妻さんが起きたらきっと彼を直視出来ないだろう。

「……一応、初めてだったんだけどなあ」

ファーストキス。
乙女の夢の象徴。
状況が状況すぎて一切そんな事なかったけど、後悔はしてない。

でも、今思えば大胆だったかもしれない。

旦那様だって戸惑うくらいに。
いくら我妻さんを助ける為とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。。
冷静に考えると本当に口から心臓が飛び出そうだ。

「私の葛藤なんか知らないで、寝てくれちゃって」

意識の無い表情が間抜けに見えてしまって。
思わず頬をぷう、と膨らませた。
目の前の唇に腹が立ったので、乱暴に手拭いでゴシゴシ拭いてやる。
我妻さんの口が荒れようが、切れようが知るもんか。

あまりに乱暴にし過ぎたために、ぴくぴくと我妻さんの瞼が震えはじめた。

あ、起きる?
起きるかも!
そりゃ、こんなにゴシゴシ拭いたら違和感を感じるだろうし。
どうしよう、皆を呼んでこようかな。

慌てて立ち上がろうとしたその時、すっと布団から手が伸びて、私の着物の裾を掴んだ。


「名前ちゃん……?」


我妻さんが意識を取り戻した。
まだ辛そうな顔で、視点が定まっていない。
見えているのか分からないけど、立ち去ろうとしていた私はそのままストンと座布団に座り直した。


「あがつま、さん」


優しく、着物を掴んだ手を私の手で包む。
タコだらけの硬い手。
男の子の大きな、手。
私の手では包み切れていない。

「名前ちゃん、俺、生きてる……?」

瞳の縁にじわりと涙を溜めながら、もう片方の手で頭を押さえる我妻さん。
安心させたくて、ぎゅうっと我妻さんの手を強く握った。

「……残念ながら。まだ死ねませんよ」

自然と握った拳にぽた、と一滴零れた。



我妻さんが起きたら、まだまだ言い足りない文句を言ってやろうと思っていた。
金髪になった髪を指さしてイジリまくってやろうと思っていた。
もっと真面目に修行しろって言ってやろうと思っていたけど。


「我妻さん、私貴方にずっと会いたかったんです」


未来からずっと。

やっと貴方に会えた。



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