04. 嘘と言ってよ


「名前さん、こちらですよ」


暫く歩いていくとお屋敷が見えてきた。
開口一番思わず「でかい」と口にしてしまった私の想像が大きく反していることはご理解いただけただろう。
確かに大きな建物と言ったが、こう縦に長いビル的なものを想像していた。
それが面積が広い上に、私の家(一軒家)と比較してもかなり広大なスペースの庭で。
門から玄関まで遠いなんて、聞いてない。

お手伝いさんとして藤乃さんを雇えるくらいお金持ちの家なんだろうけど、
こんな広い土地に家を建てられるなんて、田舎ってすごい。

本当に日本昔話に出てくるようなお屋敷だ。
今じゃ京都とかの観光地でしか見られないんじゃないんだろうか。
私だってこんなお屋敷、中に入ったことなんて無い。

藤乃さんに連れられ、お屋敷の中へと踏み入れた。
その際私は未だお庭やお屋敷をキョロキョロと見渡し、傍から見ればさぞ不審者極まりなかったと思う。
そんな私を華麗にスルーした藤乃さんは言うには、旦那様とお弟子さんは近くで修業しているだろうから、この屋敷にいるのは私達ともう一人のお手伝いさんだけとのこと。
玄関でローファーを脱いで、玄関の隅に並べると「珍しい草履ですね」と言われる。

ぞ、ぞうり?
どっからどう見ても草履ではない。革靴だ。
それを伝えようにも、藤乃さんはにこにこ笑いながら奥へ案内してくれる。

客間へと通され、しばらくここで待つように言われた。
私はこくりと頷いて、用意された座布団の上に腰を下ろした。
その姿を確認すると藤乃さんは部屋から出て行ってしまった。

藤乃さんが部屋を出て行って、ホッと胸を撫でおろした。
やっと、落ち着けた。
この客間は現代では中々見られない立派な和室だ。
縁側の戸は閉まっているが、外はもうすっかり暗くなってしまっているのがわかった。

本当にここはどこだろう。
確実に言える事はうちの近所にこんな立派なお屋敷は存在しないという事。
何とも言えない不安が頭をよぎる。
私は帰れるのかだろうか。
父、母、弟の顔が次々浮かんでいく。
いつまでたっても帰らない娘や姉の心配をしているのかな。
すぐに帰るつもりだったけど、帰り道の手がかりが分からない。
はあ、とため息を吐いていた、その時。


「お前、誰だ」


ばん、と大きな音を立てて、客間の戸が開かれた。
そこには黒い着物を着た男の人が立っており、部屋の真ん中にいる私を睨みつけている。
首に巻かれた勾玉と黒髪の短髪
目と眉は鋭く吊り上がっており、明らかな敵意を感じる。
今気づいたけど、彼の右手に持ってるのは木刀ではないか?

「ま、迷子に…迷子になってしまって、藤乃さんに連れてきてもらったんです…」

今にも木刀を振り上げられそうな雰囲気に耐え切れず、声を上げる。
ピクリと男の人の眉が痙攣したのがわかった。
ああ、こわい。

「藤乃、だと?」
「は、い。こちらの旦那様が帰り道をご存知だと、言って下さいまして…」

すすすと座布団から身体を動かした。
何かあっても木刀の魔の手から逃げられるようにだ。
こんな小娘の足では意味はないかもしれないけど。
着物の上からでもわかるくらい、筋肉質な身体をもつこの人も、きっとここのお弟子さんなんだろう。

私達二人の間に暫く無言が続いた。

「……先生がお前みたいなガキを相手にするか」

さっさと消えろ、と言いながら男の人は出て行く。

足音が離れていった事を確認して、やっと安堵の息を漏らした。
危なかった、危なかった危なかった!
木刀で殴られるかと思った。
何だあの人。女子供には優しくしろと親から習わなかったのだろうか?
最後までこちらに殺意を向けてくるあたり、危険人物である事は間違いない。
あんな人がいるなんて、早くここから出なきゃ。
藤乃さんに悪いが、命がいくつあっても足りない気がするので、お暇しよう。

若干まだ震えている足をさすりながら、部屋を出ていこうとしたその時、
襖に手をかける前に開いてしまった。

「あ、名前さん。丁度良かった、旦那様がお待ちですよ」

羽織を脱ぎ、着物姿になった藤乃さんだった。
びっくりしたけど藤乃さんでよかった。
本当は勝手に帰ろうとしてたけど。

こちらへ、と廊下に連れられ、奥へ奥へと藤乃さんが進んでいく。
先程の男の人がいないかビクビクしながら、私は藤乃さんに着いて行った。

それにしても大きなお屋敷だ。
どれだけ部屋があるんだろう。

「こちらは旦那様が剣を教えるお弟子さん方もお休みになられていますので、そこそこ部屋数はあるのですよ」

心の声が漏れていたみたいだ。
もっと小さな家もあるそうだが、そちらは季節の変化によってお弟子さんを連れて行くそうだ。
合宿みたいなものかな?
藤乃さんとお話しをしていたら、あっという間にその部屋の前にやってきた。

「旦那様」
「入りなさい」

部屋の中から声がして、藤乃さんが障子をすっと開ける。
私もそれに続いた。

中には小さいお爺さんが座っていた。
お爺さんと正面になるように私は座らされ、藤乃さんは一歩後ろに下がる。

「こちら苗字名前さんで御座います。私の旧家にて道に迷ってらしたので、お連れ致しました。……恐らくですが、鬼が関係しているかと」
「鬼か……」

名は桑島慈悟郎と名乗ったお爺さんもとい旦那様。
右手を顎に当てて考えるようにこちらを見ている。
目の下に大きな傷跡がある上、よく見ると右足が義足である。
義足といっても、本物の足のようなものではなくて、太い木の棒。

風貌だけで、様々な経験をされている事が何となくわかってしまった。
何て言うんだろう、オーラが普通の人とは違う。
座っている佇まいも、決して私が知っているそこいらのお爺さんとは比べ物にはならない。

「オニ?」

お爺さんと藤乃さんの会話を聞いて、首を傾げる。
帰りに藤乃さんが言っていたオニの事だろうか?
今私の顔は意味がよく分からなくて、きょとんとしているに違いない。

「あぁ…手を見せなさい」

お爺さんにゆっくり近づく。
どっちの手を見せていいのか分からなかったから、両手を伸ばして前に出す。
硬い手が私の右手に触れる。
お爺さんは「こっちだ」と言いながら険しい顔で手首に目をやる。


「この痣は生まれつきか?名前」
「えっ?…痣?」


言われて初めて気付いた。
手首に百円玉くらいの小さくて丸い黒い痣があった。

「何、これ」

何処かでぶつけてしまったのだろうか。
不思議そうに眺める私に「その反応は何も知らないようだな」とお爺さんが言う。
ぱっと右手から手を離すお爺さん。

「血鬼術だろう」
「けっきじゅつ?」

知らない言葉だ。
どういう漢字を書くのかわからないが、危険な香りがする。
きっと良くないものだよね。病気じゃないといいけど。

お爺さん曰く。

鬼は人を喰らう化け物である。元は人間だが、始祖の鬼により鬼にされてしまった。
これが大量に血肉を摂取してしまうと、血鬼術という能力を持つ鬼が現れるのだと。
血鬼術は鬼の個体それぞれ能力が違うという。
つまり、

「その鬼の所為で私はここに連れて来られたのですか?」

恐らく、と苦々しい顔を見せるお爺さん。
脳が理解する事を放棄した。
意味が分からない。和風ファンタジー?
お爺さんの険しい顔を見ても、いまいちピンと来ない。
まるで漫画の世界じゃん。

「私は、帰れないんですか?」

お爺さんの顔が強張る。
オカルトチックな話過ぎてわかんないけど、人間の表情は嘘を吐かないものだ。
嘘を言う顔と本当の事を言う顔っていうのは、嫌程学校で見てきた。
このお爺さんは嘘は言ってないんだろう。
私のために知っている事を全部話してくれたんだと思う。
そして、解決策が思い当たらず苦しい顔をしているんだろう。

はぁ、嘘と言ってよ。

決めたくもない覚悟を決めて、
私はここに来てから一番気になっていた事を、お爺さんに聞いた。


「今は、いつですか?」


振り絞るように出た言葉には、どこか諦めが混じっていた。



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