05. なんだったかな


「今は、いつですか?」


私の言葉にお爺さんだけでなく藤乃さんまで息を呑んだのがわかった。
言葉の先の意味を理解して頂けたのだろうか。

本当はわかっている。
ここは私が暮らしていた現代とは程遠い事を。
人の服装も、佇まいも、全てが私の知る生活と異なっている。
勿論、全てが知らないものとは言わないけれど、現代社会に生きていた私にとって、違和感しか存在しない。
私が思うに、ここは、この時代は10年、20年くらいの違いではない。

「今は、大正の世。お主はどこから来た?」

お爺さんがゆっくり、それでいてはっきりと告げた。
その単語は知っている。
小学校でも中学校でも習った、年号。
少なくとも現代から100年は昔だろうか。

大正、だと。
全身の血の気がさぁっと引いていくのを感じる。
一瞬、お爺さんが嘘を言っているんじゃないかと思ったけれど、表情からは嘘を言っているようには見えない。
お爺さんも藤乃さんも信じられないものを見る、そんな表情で。

身体の奥がガタガタと震えるような感覚。
頭の中でお爺さんの言葉を否定したいのに、今までの違和感とその言葉が一つの線で繋がった。
ありえない、ありえないことだけども。
私は現代、令和から大正という時代にタイムスリップしてしまった、の?

それを理解してしまったと同時に、心拍が一気に跳ね上がった。
胸の痛みさえ感じる。
これが病気じゃないことくらい、嫌でも分かっている。

タイムスリップ、したとして。
つまり私は、帰れない。

家族には、会えない。


「今より100年以上、先の未来からです」


自分で口にするとその事実がガツン、と頭に響いた。
折りたたむ足も震えてきた。

自分の行く末に恐怖を感じる。
私は、どうなってしまったのか。
そしてどうなるのか。
全てが分からない。

この時代に生まれた子供なら、生きていく術はあるだろうけど、私は所詮ただの中学生。
毎日スマホをいじったり、歌うことが好きな呑気な子供だ。
この時代で生きていく方法なんて、知らないし一人で生きていけるとも思えない。
きっと顔色が悪い私を見て、藤乃さんがお茶を入れてくれようとしたけれど、軽く手で制止しておいた。

「帰る方法だが、ないことは、ない」

この絶望の空気の中、お爺さんが口を開いた。
重々しく告げられた言葉は決して生半可なの物では無い事を物語っていた。

「血鬼術をかけた鬼ならば、お主を元の時代へ帰すことができるかもしれぬ」
「その鬼を、見つけることができれば…」

鬼を、見つける。
そんな事が可能なのだろうか。
頭で疑問に思うけれど、自分が思っていた以上に単純な人間だと知った。
たったそれだけの言葉で、絶望から僅かに陽の光が差し込んだような、そんな気持ちに変化したからだ。
当然、道のりは簡単なことではないだろう。
鬼は人を食べるというし、殺されるかもしれない。
自分が無事である保証なんてどこにもない。

それでも、

現代に帰れるかもしれない。
大好きな家族の元に、帰れるかもしれない。

そう思ったら、私に出来る事は一つだった。


「お爺さん、無理を言っているのは重々承知です。どうか、ここで働かせて貰えないでしょうか?」


こんな小娘一人、何が出来るというのか。
生きていくうえで私は無力だ。
目の前にある生きていくための方法に縋りつくしかない。
お爺さんと藤乃さんの前で深々と頭を下げ「お願いします」と言う。
二人はが少し驚いた顔をしていた。

「お願いします、何でもします!」

私はこの時代で生きなければならない。
自分の住んでいた時代に帰るために。
当面の住む場所、生きる方法を確保するため、私は頭を下げ続けた。



「旦那様、よろしいでしょうか?」


三人の間に走った沈黙の中、今まで黙っていた藤乃さんが口を開いた。
お爺さんは藤乃さんに発言を許す、とばかりコクリと頷いた。

「八重が、そろそろ出産に入ります。その分人手が無くなりますので、旦那様が宜しければ、名前さんに抜けた穴を埋めて頂きたく思いますが」

いかがでしょうか。と続ける藤乃さん。
八重さん、とはこの場に居ないお手伝いさんのことだろうか。
藤乃さんの話が本当なら、人手が減るからその穴埋めに雇ってはどうだと聞こえる。
私は顔を上げてお爺さんと藤乃さんの顔を交互に見た。
お爺さんは先程までの険しい顔を少し緩め、少し考えるそぶりを見せて「よかろう」と一言呟いた。

「この屋敷にいる方が鬼に関する情報も集まるだろう。ここにいるといい」
「ありがとうございます!」

お爺さんと藤乃さんにお礼を言い、私はほっと息を吐いた。
良かった。ここで働かせてもらえる。
少なくとも道で野垂れ死ぬことは無くなった。
術をかけた鬼を見つけるまで、家に帰るまで、私は生きていかなければならない。
右も左も分からない状況で、少しでも繋がった縁の糸を切る訳にはいかない。

それから藤乃さんとお爺さんのお部屋から失礼して、これからのことを話し合った。
部屋は十分にあるからどれでも好きなものを使えばいいとのことだったので、早速私には一人部屋が与えられる事になる。服もセーラー服ではいられないので、着物を貸し出して貰えるようだ。

「あ、あの、藤乃さん」
「どうしました?」
「私、着付けが出来ないんですが…」

この時代で生きていくのなら、まずは着物が着れなければいけない。
ずっと頭の片隅にあった心配事を、小さい声でひねり出すと、にこっと微笑む藤乃さん。


「明日の朝は、一緒に着付けから始めましょうね」


◇◇◇


晩御飯にお握りと味噌汁を出して貰い「今日は疲れただろうから」と早めに休ませてもらった。
そんなに広くはないが、私にとっては十分すぎる部屋の中で布団にくるまれながら、今日あった事を思い出した。
見慣れない場所、それから今日会った人達のこと。

きっと帰れる。
あの暖かい家族の元へ。
それまで私はここで生きていく。
何があっても、絶対に。

不思議と涙は出なかった。


強い決心のもと、意気込んでいたら、ふと脳裏に過ぎるは屋敷に来てそうそう出くわしたあの男の人。
そういえば、ここで暮らすって事はあの怖い人(嫌い嫌い嫌い)と一緒に暮らすということでは?

固く誓ったはずの決意が、ぐらりと揺れる。
命の危険さえ感じたのに、ひとつ屋根の下なんて。
背中に嫌な汗が伝う中、私は自分の枕に顔面を押し付けて「こわいこわい」と叫んだ。

それと、もう1つ気になるのは、

お爺さん、もとい旦那様(これからはこう呼ぶように言われた)を見たとき、何故か懐かしい気持ちになった気がした。
お爺さんが知り合いに似ているわけでも無かった、はず。
なんでだろう?

「なんだったかな」


そんなことを考えていたら、重力に負けて瞼が下がっていた。
この状況化で眠れるなんて、案外私は図太いのかもしれない。



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