18
仄かに香るたばこの匂い。
ふかふかの布団にくるまれた私の身体は、自分でもよくわかるくらい熱っぽくて。
倦怠感でいっぱいだったけど、だるい瞼をゆっくり開いた。
白いベッドに寝かされている、そして遠くで聞こえる話し声。
何をしゃべっているのか分からなかったけれど、五条さんの声がする。
それから、女の人。聞いたことのない声だった。
私の周りに置いてあった椅子には誰かが座っていたような形跡があった。
見舞いのカゴに入ったリンゴがいくつか顔を出している。
私は、眠っていたのだろうか。
いつから?
あまり覚えていない。最後の記憶は、五条さんと伏黒くんと病院を出たところ。
何となくだけど、その後私はきっと倒れてしまったのだろう。
医務室かどこかへ連れてこられた私は、こうして寝かされていると。
布団の中から腕をもぞもぞと動かして自分の首筋に触れた。
熱い。やっぱり体温が高い気がする。熱があるようだ。
情けないと思うけれど、熱の所為か、あまり動きたいとも思わない。
このままもう一度瞼を閉じようか、なんて考えていたら、私の隣のカーテンが動いて、ひょっこり五条さんが顔を出した。
「起きた?」
「…はい」
起きたくはなかった。
とは、言えなかった。
五条さんは私を見ると、安心したように口元を緩ませて、ベッドの横のパイプ椅子に腰かけた。
その様子を目で追っていると、五条さんの手がそっと額に伸びてくる。
「やっぱり熱があるね」
そんなに高くないけど、と言って五条さんの手は引っ込んだ。
五条さんの長い足が組まれて、ふう、と息を吐く。
心配をさせてしまったと思う、だから私は小さな消え入りそうな声で「ごめんなさい」と言った。
「何が?」
「ご迷惑をお掛けして…」
「熱が出て倒れたこと? …別にそれは迷惑なんかじゃないよ。そうなることも分かっていたしね」
分かっていた…?
五条さんの言葉に反応したいけれど、それすら億劫になる。
だから、私はじっと五条さんを見て、言葉を待った。
「君の体質。呪霊に近づけば近づくほど、君の本来の力が戻るんだ。熱はその前段階」
「体質、って…」
「呪霊にとっては、君がどんどん美味しくなっていくって事」
呪霊に近づけば、私の力が強くなるって事?
それが分かっていて何故現場なんかに連れて行ったの…?
色んな疑問が浮かぶけれど、五条さんは分かっているとばかりに「全部説明するから」と私の頭を撫でた。
「君はずっと隠されていた。呪霊に近づきさえしなければ、そのまま普通の人として生きて、死ぬ事が出来るはずだった」
それを聞いて思わず口が勝手に開いた。
声は出なかったけれど、今まで聞いてなかった事を聞いて驚きが隠せない。
「そういう呪いが、君には掛けられていた」
「……誰、に」
「君の伯母さん」
「……」
五条さんの話によると。
伯母さんは先祖返りだった、だから食べられるわけにはいかなかった。
そのために今まで伯母さんの存在自体も隠されていた。だけど、ふとした拍子に伯母さんの存在が呪霊に知られてしまった。
このままでは食われるのも時間の問題だと悟った伯母さんが、五条さん達組織の人と結託して行ったのが、能力の移行。
移行先は私。
器さえ変われば、また呪霊から能力の存在を隠せる。
……不必要に呪霊に近づきさえしなければ。
能力のトリガーは呪霊。
そのまま平穏に暮らせれば、私は普通の女子高生だったのだ。
そう、あの日の夜。
部活で遅くなったあの日。
私は、近道をしようと潜り込んだ場所で、呪霊と接触した。
「その日から、君の運命は変わってしまったんだよ」
「あの時、から」
何てことないあの日から。
私の運命は地獄へと転がり落ちてしまった。
「君の事はずっと僕が見てきた。君の伯母さんから君に“変わった”時から、ずっとね」
五条さんは自分の目の布に触れ、それをするりと外していく。
「君が病院に行った時、見えただろう?」
何を、と言われなくても分かった。
脳裏に浮かんだあの小さな女の子。
「少し前の君は見る事さえできなかったはずだ。なのに見えた。それは、君が呪いを感知できる能力が高まっているから」
「……私と化け物を近づけないようにすれば、強い力も目覚めなくて、このまま気づかれないのでは…?」
「もう遅い。一度でも接触すれば、もう後戻りはできない。君を一人にしたその瞬間、君の肉体は呪霊の腹の中だ。……今、名前を守れるのは、僕だけ」
頭はちゃんと働いていない。
自分のことなのに、熱の所為でふわふわする。
ただ分かったのは、
五条さんが私の傍に居るのは、五条さんだけが私を守れるから。
私を、化け物の餌にしないようにするために。
ただ、それだけ。
熱しかないハズなのに、胸が苦しくなってくる。
布団の中で、自分の胸をきゅうっと押さえた。
「五条さん、呪霊ってなんですか」
脈略が無いのは分かっている。
いきなり話を変えないと、私の胸の痛みが増す気がしたから。
それに、ずっと考えていたことでもある。
私を食べようとする存在の呪霊とは、一体何なんだろうか。
あの病院で見た女の子は、何なのだろうか。
「呪いだ。あの病院に残っていた、強くて深い呪い。ずっと外に出るの日を待っていたんだろうね、あの子は」
五条さんの綺麗な瞳がすうっと細くなった。
思い出しているんだろうか、あの女の子の姿を。
自然と私は五条さんの手を握っていた。
「どうしてあげれば、よかったんですかね」
「どうすることも出来ない。ああなったら、無に帰すしか」
「私の力さえあれば、あの子は、」
「名前」
痛いくらいに手を握り返された。
それ以上は言うなと、そう言われているような気がした。
それでも、思わずには居られない。私なんかが存在するだけで、生まれる争いがある。
そして気づいた。
私の能力もまた、呪いであることに。