04
「あれれ? 逃げきれたと思ったんだけどね」
「う、うっ、浮いて…っ」
私の身体がふわりと舞った。
まるで風に運ばれているかと錯覚するくらい、自然に私の身体は宙へ浮いたのだ。
勿論突然の事に驚くと、私の身体をお姫様抱っこで抱える不審者男が笑っている事に気づいた。
「な、なんで笑って…!」
「ハハハ」
その途端。
私達が先程まで立っていた歩道が爆音とともに、工事現場で掘削されたように地面が抉れた。
浮いたことよりも、急に地面が抉れたことで私は血の気を失い、言葉もついでに失ってしまう。
数秒遅れていたら、私とこの男はミンチになっていた事だろう。
急に命の危険を感じ、私は背中に悪寒が走る。
トン、と男は抉れた地面から距離を取ったところに着地し息を吐いた。
色んなことが起こりすぎていて理解が追い付かない。
何故地面が抉れた? 何故この男は空中浮遊をした? 何でこの男は私を抱いたままニヤニヤ笑っている?
最後のはむしろ通常運転な気がしなくもないが、それにしたって現実離れもいいところである。
何か言ってやりたいが、口を開ける前に更に爆音は続いた。
と、同時にまた男がさっと宙へ飛び上がる。
またしても私達が立っていた場所に半径数メートル程度の穴が空く。
もう私は気持ち悪かろうが、何だろうが自然と男の胸倉を掴み「ひっ」と小さく悲鳴を上げるしかなかった。
「悠仁がミスったか…それとも、既に一匹外に居たか。どちらにせよ、折角の下校デートが台無しだよ」
「…げ、下校デート?」
この状況でこの男は何を言うのだろうか。
私は呆気にとられながら、ギリギリと胸倉を掴む手に力を込めた。
大変不本意ではあるけれど、こうしてお姫様抱っこをしてもらわなければ、私は死んでいた。
私の目には見えない何かの手によって。
数日前にあったあの夜を思い出した。
あの時も私の視界には何も見えなかった。
自分が今にも命の灯が消えようとしていた、というのに。
今だって。
きっとこの目の前の男には、あの地面が抉れた原因が見えているのだろう。
見えているとしか思えない動きで避け続けているのだから、そうとしか考えられない。
大変、不本意なのだけれど。
「た、助けて」
自然と私はそう口にして固く目を瞑っていた。
身体の芯から起こる震えを止める術も知らない。
あの時も思った。
まだ、死にたくない。こんなところで死ぬ運命だなんて、信じない。
だから、私は藁にも縋る思いで、目の前の男に頼んだ。
私を、助けてと。
「お安い御用だよ、お姫様」
いつもならば、鳥肌の五つや六つブツブツ出てきそうなセリフなのに。
何故かその時は、私はこれほど頼りになることはないと思ってしまったのだ。
そして、私の耳元にちゅ、と小さなリップ音が聞こえた瞬間。
目を瞑っていても分かるくらいに、目の前が真っ白に光り輝いた。
◇◇◇
「はい、ジュース」
「…あ、ありがとうございます」
どれくらい時間が経ったのか、私には全く分からなかった。
ただ気が付けば、いつの間にか公園のベンチに座らされて、そしていつも通りの不審者男が私に向かって缶ジュースを一本渡していたのだ。
本能的にそれを受け取りお礼を言うと、男は目を隠したままにこりと微笑む。
そして、男も私の隣に距離を開けずに腰を下ろすと「怖かったでしょ?」とさもホラー映画を見てきたカップルのようなセリフを吐いた。
勿論、ホラー映画なんかでは味わえないくらい、命の危険を味わったのだが。
「…何が起こったんですか?」
「それを説明するには、時間が足りないね。それよりもまずは下校デートを楽しむことにしようよ」
「……」
飄々とする態度に苛立ちを覚えながら、私は手元の缶ジュースを開ける。
ぷしゅ、と音がして零れることなく缶ジュースは開いた。
説明してほしい事は山ほどある。
先日の一件もそうだし、今回の騒動もだ。
どうして私はこんな目に合わないといけないんだろう。
私はただの女子高生で、命の危険なんて早々起こるような生活をしていないというのに。
涙が溢れ出てきそうになるのを必死に我慢して、一口ジュースを含む。
恐怖は今だ消える様子はない。
そんな私を横目に、不審者男は足を組んで「ねえ」と口を開く。
「名前は、お母さん似なのかな?」
突拍子もない質問に私は湧き出ていた恐怖が一瞬引っ込んだ。
缶から口を離して、こくりと頷く。
「…母にも似ていますが、一番似ているのは伯母だと思います…」
「伯母サン?」
「幼いころに会ったのが最後なので、あまり覚えてませんけど」
「へぇ、そうなんだ」
男は僅かに口元を緩めて、私の頬へ手を伸ばす。
それからじっと私の顔を見て、首を傾げながら
「本当だね」
と呟いたのだった。