05

『伯母さんには、何が見えているの?』

ずっとずっと幼いころ、よくしてくれていた母方の伯母にそう尋ねたことがあった。
着物の良く似合う、母と少し似た表情で驚いた顔を見せた伯母が『さあ、何でしょうね』と優しく微笑んだ。
私は子供ながらに自分の質問が流された事に気づいていたので、ぷうっと頬を膨らまして、座っていたベンチから飛んで降りた。
そして伯母の着物の袖に縋りつきながら、

『私も、伯母さんの見ている世界が見たい』

そのような事を口走った記憶がある。
何でそう思ったのか、今となっては思い出せない。
ただきっと時々伯母の視線が私ではないものを見ていたり、微妙な表情の変化で感じ取っていたのかもしれない。
それが子供ながらに羨ましいと思っていたのだ、きっと。

『……綺麗なものばかりではないのよ?』

困ったように笑うその表情に私は首を傾げる。
それでも駄々をこねて『いつか見えるようになる?』と何度も尋ねた。
伯母ははっきりと明言はしなかったけれど、それでも私を安心させるように頭を撫でて

『嫌でも見える時が来るかもしれないわね。でもきっと、その時には綺麗なものも見えているはずだから』

そう言って笑った。


◇◇◇


昨日、あの不審者男と一緒に何等かのトラブルに巻き込まれたかと思ったら、いつの間にか無事に公園で座っていた。
最後に適当に会話をして不審者男は私を家まで送り届けてくれたのは、口には出さないけれど正直有難かった。
やっぱり心の奥底では恐怖が根付いていて、布団に入るときも僅かに身体が震えていたからだ。
それだけじゃなかった。あんな経験をした後だったからか、昔の夢を見た。
それは大好きな母方の伯母と遊んでいる時の記憶だったけれど、今の今まで忘れていたものだ。
まあ、思い出したところで何がどうなるというわけでもないのだけれど。

「綺麗な、もの」

布団から足を出してふと、夢の中の伯母が言っていた言葉を思い出した。
綺麗なもの、と言われてふと頭に浮かんだのは昨日一瞬垣間見たあの不審者男の瞳だ。
常人離れしたまるで吸い込まれそうな色の瞳。
目を奪われない方が可笑しい。
だけど、その後の経験の方がインパクトありすぎて、もうあんまり思い出せない。
もう一度見る機会があったとすれば、その時は穴が空くほどじっくり見てやろう。

制服に着替えて一階のリビングへ降り立つと、そこには受話器を片手に顔面蒼白の母が立っていた。
「おはよう」と声を掛けても、その表情は晴れず、ただ泣きそうな顔で私を見て、それからガチャンと受話器を床へと落とした。

「大丈夫?」

あまりの事に私が慌てて母へ駆け寄ると、母はそのまま私を強く抱きしめた。
吃驚して声を失っている私に、母はぼそりと呟く。

「学校から、連絡があって…」

その先に続く言葉を聞いて、次に顔色を失ったのは私の方だった。

昨日、私が学校を出た後。
校舎に残っていた一部生徒と教師が、行方不明となったらしい。
私のクラスの子たちも、何人かが消えたと。
それを聞いて私は驚きのあまりぺたんと床にお尻をつけてしまった。

今日は学校は臨時休校。
状況が落ち着くまでは自宅待機になるそうだ。
私は折角着替えた制服を脱ぐ気にもなれず、かといって平気な顔で朝ご飯を食べる気にもならないので、そのまま二階の自室へと戻った。
ふらふらと部屋に入り、そしてさっきまで転んでいたベッドへ腰かけた。

私が、帰った後。
つまり、もう少し帰るのが遅ければ、私も昨日居なくなっていた可能性があったということ。
ブルリと僅かに身体が震えた。
震えた肩をそっと自分の腕で抱きながら、昨日感じた恐怖が舞い戻ってくるのを感じる。
私の日常が、崩れていく。
一体、どうなっているの……。


そう思っていた時。

コンコン、と背後でガラスを叩く音が聞こえた。
反射的に振り返る。
私の背中にあるのは、二階の窓ガラス。
そのガラスをコツンコツンと叩く人影が、そこにあった。

「ヒッ」
「やっほー。元気?」

二階の窓に人が立っている、という訳の分からない現象だけじゃなくて。
立っている人がまたもやあの不審者男だったことで、さらに悪寒が走った。
言葉を失う私に向かって、窓の向こうの男は「ここ、開けて」とニコニコ口元を緩めていた。

目を見開いてビクビクしながら、私は窓の鍵に手を伸ばし、カチャリとそれを開ける。
途端男は勢いよくガラスを開けて、私のベッドに足を踏み入れてきた。
勿論、靴はご丁寧に脱いで。

「き、」
「き?」

思わず漏れた言葉を不思議そうに反応する不審者男。

「きっしょ」

全ての感情をぶつけるように呟くと、男は一瞬ポカンとして、それからまたいつものムカツク笑みを浮かべる。

「やだなー、ツンデレなんて流行らないよ?」

後ろ手にバタン、と窓を閉めて、ちゃっかり私の隣へ腰を下ろした。
慌ててベッドの端へ移動し、男から距離を取る私。
冷静に考えれば何故私は鍵を開けてしまったのだろうか。
色んなことが起こって怖くてどうしようもなかったのは否めないけれど、それにしたってストーカーを家の中に入れる理由なんて存在しない。
なのに、私は招き入れた。

どうして。

そんなことを考えている間にも、先程まで湧き上がっていた恐怖は一片も残さず消えていた。

「やあ、今日はお家デートをしようか」

それよりもまず、この男の口を塞ぐ事を考えなければ。

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