07


「初めまして〜。僕、五条悟と申します。オカアサン」
「…え?」
「……」

翌日、朝10時を過ぎたあたり。
本当にあの不審者男はやってきた。ご丁寧に今度はインターフォンを鳴らして。
玄関を開けた母が見慣れない男の登場に完全に身体を硬直させていた。
慌てて私が後ろからひょっこり顔を出すと、男はぱあっと表情を明るくして「迎えに来たよ」とこれまた爽やかな笑みを見せる。
母が心底驚いた顔で私と男を見比べている。
その瞳は「どういうことなのか」と鋭く問いただすようだったので、何とか説明したいけれど、上手く言葉にできない。
えーっと…私のストーカーです、なんて言ったら母が卒倒してしまう。

突然現れた長身イケメン風(おめめは見えない)の男と、平凡ぼんな娘が何の関わりがあるのかときっと大混乱中の事だろう。

それにしても”オカアサン”はおかしい。
不快感がそのまま表情に出ていたらしい私を見て、へへと笑う男。
いやいや、笑う所ではないから。

「今日から暫く娘さんをお借りしますので、ご挨拶を〜」
「…お借り? それって…」
「お母さん、真に受けたら駄目だよ」

すっと男は急に紙袋を取り出して、それを母に手渡した。
何が何だか分かっていない母は、反射的にそれを受け取り今度は紙袋と男を交互に見つめている。
紙袋の中身はうちの家族が大好きな有名店の芋羊羹であった。
なんでウチの家族が好きなお土産をピックアップしてるんだ、この男…。
さらっと恐ろしい事をしている男に背筋が凍りそうになりながらも、母の背中の服を軽く掴む。
ほんの少し、母がこのままこの男を帰してくれないかと期待をして。

「いきなりそんなことを言われても…」
「ああ、怪しい者ではありませんので、ご安心ください」
「……」
「そうだなぁ、こう言えば分かりますか?」

男はにぃ、と口角を上げて少しだけその高身長を屈む。


「名前さんのことは、聡子さんからくれぐれもよろしく頼む、と」


その言葉を聞いた母が、ピタリと言葉を閉ざした。
心なしか表情が険しいような気がして、私は後ろから母の顔を覗き込みながら「お母さん?」と尋ねたけれど、母は固い表情のままごくりと唾を飲んだ。

「姉が、そう言ったのですね?」
「…きっと対処が出来るのは僕くらいだろうと」
「わかりました」

母と不審者男の間に流れる不穏な空気。
先程まで男の事を不審者としか見ていなかった母の態度が一変したのが分かった。
二人が何の会話をしているのか、私にはさっぱり分からない。
ただ、不審者男の言った”聡子”という名前には聞き覚えがあった。

伯母さんの、名前って確か。


「じゃあ、行こうか」


ふと思考を飛ばしている間に母と男の間では、密約が交わされたらしい。
有無を言わさず男が私に向かって手を差し伸べ、母はまた難しい顔でそれを見送る。

「え、ちょっと待って」
「待ってと言われても、昨日言ったでしょ。迎えに行くって」
「いやだから、そういう話をしているんじゃなくて」
「いいの? 服とか。まあ僕が用意したとっておきのやつがあるから、いいか」
「……早急に用意させて頂きます」

男のとっておき、と言う服がどんなものなのか想像するだけで鳥肌が立ちそうだ。
取り合えず、どうやら私は母にまで売られてしまったらしい。
トホホ、とがっくり肩を落として素直に自分の部屋で荷造りをすることにしたのだった。



「楽しみだねぇ。まるで同棲するカップルみたいだ」
「…ど、同棲…?」

通学用のリュックにとりあえず何日分かの服と日用品をぶっこんで、玄関に舞い戻ってくると男はさっきと同じ顔を貼り付けて私を待っていた。
そして、靴を履いた私の腕をそそくさとひっつかむと、そのまま適当に母に挨拶をして家を後にした。
振り返って玄関で棒立ちになっている母をみると、やっぱりその表情は暗かった。

首を傾げながらも母に向かって小さく手を振り、私は男の歩幅に何とかついていこうと必死だ。

突如として男が漏らした言葉に思わず、怪訝そうな顔をしたら、男がまた意味深な笑顔を見せる。
気持ち悪い。
この男が何を考えているのかはさっぱり分からないが、どうやら私は母公認で男の拠点に赴くことになるらしい。
よく考えなくともそれが異常事態であることはわかるのだが、何故だか最初程、この男に不快感を感じないのは私がこの男に慣れてしまったせいなのだろうか。
それはそれでイケナイ兆候な気がするけれど。

「君と同じ年頃の子たちがいるからね。仲良くなれるよ」
「…は、はあ…」
「ほら、悠二にはこの前会っただろう? 一応女子もいるから安心するといいよ」
「…あの、」
「何?」
「私がこれから寝泊まりするところは、女性がいるところなんですよね…?」

腕を引いて前を歩く男にそう尋ねたが最後。
男はそれに答える代わりに、またもや何を考えているのか分からない笑みを浮かべて振り返った。


「……ちょっと、嘘でしょ」


サーっと血の気の引く私を見て男は楽しそうに笑った。


◇◇◇


「うっわ、先生やば」

見知らぬ黒塗りの車に乗せられて、到着した先に居たのは、可愛いではなく美人でスタイルのいい女の子だった。
車から恐る恐る降りて、足元に広がる砂利を見つめていたところ、私達を待っていたかのように表れた女の子。
明るい髪色のショートカットの女の子。
きっと年は私と近いと思うけれど、どこか気高くカッコいい雰囲気があって、思わず見惚れてしまった。

「ガチJKじゃん。犯罪?」
「…結婚前提のお付き合いなら、犯罪にはならないんだよ、野薔薇」
「うわぁ」

完全にまずい話をしている事が分かったので、私は全力で首を横に振っておく。
それを見た女の子が同情の眼差しを送ってきたので、きっと話は分かってくれると思う。
野薔薇、と呼ばれた女の子はその名に負けないくらいカッコいい女の子に見えた。

「私は、釘崎野薔薇。よろしく」
「ど、どうも…苗字、名前です」

差し出された手におずおずと手を伸ばして、素敵な笑顔に完全に目を奪われてしまった。
カッコいい。是非ともお近づきになりたい。
キラキラとした視線を釘崎さんに送っている間、後ろにいた男は「あれ、あれ?」と首を右や左に傾けて私と釘崎さんを見ていた。

トップページへ