今は俺の腕の中で、泣けばいい


「あー…宇髄さん、隊服、背中が破けてますけど」
「はっ? 背中だぁ?」

そう言って隣にいたはずの彼女は、トコトコとまるで小動物のように駆け、少し先を歩いていた宇髄の腕を掴みに行った。
俺からすれば、宇髄の背中が破けていようが、さほど気にならないし、別にそれを口に出して教える必要すらないと感じるが、彼女はそうではなかったらしい。
長い髪を耳に掛け直し、「何をしたらこんなところ破けるんですか」とニコニコ笑って、それを指摘する。
宇髄は軽く首を後ろに向けたが、見えはしないので舌打ちを零しつつ「嫁に縫ってもらう事にするわ」と言う。
それを聞いて彼女は満足したのか、また俺の隣へ戻ってきて変わらない笑顔を俺に向ける。

またある時は、煉獄の頬にご飯粒が付いている、などと言ったかと思ったら、それを手でひょいと摘まんでチリ紙に包み捨てた。
流石にその光景を見て凍り付いたが、本人と、それをされている煉獄は一切気にしていないようで、煉獄に至っては「名前、ありがとう!」と喧しい声を上げて礼を言っていた。

普段からそういうことをするのが、俺の想い人だ。

きっと性分なのだろう。
困っている人が居れば、考えるまでもなく助けに向かうし、大したことのないことでも、こうしてすぐに教えてあげるといった優しさを兼ね備えた女性。
そう言う所に惚れたと言えばそうなのだが、恋人になった今、その光景を生暖かな目で見る事ができない俺は汚れているのか。
宇髄は嫁が3人いるから、今更どうという事はないにしろ、他の男どもに関しては皆嫁どころか、性格に難がある人間ばかりに思う。
そんな奴らの相手をしていては、いつか横から掻っ攫われてしまいう、なんてことが起こらないとも限らない。
だから、もうこんなことはやめて欲しい。

と、口に出来れば良かったが。

「あれ、伊黒さん? どうしました?」
「……いや」

不思議そうに首を傾げる彼女を見ていたら、自分の気持ち等一切口には出来ない。
彼女に嫌われることを恐れているのだ。

そもそも、彼女をものにするまでに、相当な苦労を要した。
何故なら先述したように、彼女は優しい。
ゆえに、柱だけでなく、部下や名も知らない隊士にまで、同じような態度を取る。
これが女性相手ならば、俺も動揺などしなかっただろう。
が、鬼殺隊という組織はまだまだ男が多い。
彼女に優しくされた男も数知れず。
そう言う男は例にもれず、皆呆けた顔で彼女の笑顔の虜となる。

要は、彼女を想う男はいくらでも居た。

その中から何とか彼女の隣を勝ち取るのは、本当に骨が折れる仕事だった。

彼女と細々と文通を試みようとする輩には、俺から朱色の文字で書いた呪いの言葉を送り。
彼女の継子になろうとする輩には、俺から煉獄に推薦しておいた。
偶然を装って彼女に近づこうとする輩は、毎日のように俺が千切っては処分を繰り返した。

誰にも奪われるわけにはいかない。彼女は俺のものだと。

その苦労が実ったのは、恥ずかしそうに彼女が指をモジモジと動かし、頬を赤らめたあの瞬間。


「伊黒さん、好きな人っています、か?」


思わず言葉を失ったが、すぐに理性を取り戻し、「君だ」と即答出来たのは奇跡に近い。
そんな事があっていいのか、今までの境遇を考えれば未だに信じられないが。

その時の名前は、今まで見た中で一番、美しかった。


◇◇◇


いつもの光景をいつものように黙って見ていた。
だが、その日は違った。

任務終わりに彼女の屋敷へ向かうと、いつもは玄関で呼べば彼女が駆けてくるというのに、その気配がない。
嫌な予感がして、勝手に上がらせてもらい、彼女の部屋へ一直線へ向かう。
既に廊下から、彼女のすすり泣く声が漏れていた。

「名前」

中から怯える声がして、泣き声が一瞬引っ込んだ。
まさか俺がいると思わなかったのだろう。小声で「何で…?」と聞こえた気がした。

「入るぞ」
「ま、まって」

待て、と言われてももう遅い。
彼女の泣き声一つで、冷静など失っていた。

「いぐろ、さん」

彼女は、くしゃくしゃな手紙を抱いて、畳の上で小さくなっていた。
手紙に何が書かれていたのか、ぱっと見た所、涙で文字は読めそうになかったが、手に取るように分かる。
恥ずかしそうに顔を逸らし、ごしごしと袖で涙を拭う彼女の手を慌てて掴んだ。

「これ以上駄目だ、瞳に傷が入る」
「だって、だって」
「分かっている」

優しい彼女が涙する理由。
それは、人が死んだ時。

小さく震える背中に手を回し、力強く抱きしめた。
今まで幾度となく、同僚、部下の亡くなる所を見てきたというのに、彼女は慣れることはない。
いつも、こうして涙が枯れ果てるまで、一人で部屋に籠るのだ。
自分にはとうの昔に薄れてしまった感情を、優しい彼女だけが涙する。
俺含め、他の柱の代わりに。

「まだ、若い子だったんです。故郷のお母さんに会うって言ってたのに」
「ああ」
「立派になった姿を見せてあげたいって、お母さんへのお土産を一緒に選んでくださいって…」
「…ああ、」
「きっと、今、彼のお母さんも、彼の訃報を…」
「名前」

いつもの笑顔はくしゃくしゃに歪み、涙で濡れている。
どれだけ拭っても拭っても留まることは知らない。
この小さな身体では、抱えきれないくらいの悲しみを零して。


「その彼は、きっと幸せだった」


名前が、俺の腕の中で言葉を失う。
それでも俺は続ける。

「母上の話を君が笑顔で聞いてくれたこと、君が土産を選んでくれたこと、全てが彼の幸せだったはずだ」

俺なら分かる。
名前を想う俺ならば、亡くなった彼の気持ちが。

「最期は後悔が残ったかもしれない、それでも、君が彼の気持ちに寄り添ってくれた事実は、きっと彼の魂を救っただろう」
「…っ、」
「君が選んでくれた土産は、彼の母上の元に送り届ける。俺が、必ず」



だから、今は俺の腕の中で、泣けばいい。



その役目は、俺だけが担うのだ。



俺の言葉を聞いて、子供のようにしゃくりあげる彼女を、愛おしく抱きしめた。






あとがき
春華さま、リクエストありがとうございます!
お時間がかかってごめんなさい!
嫉妬でイライラしつつも、牽制しつつ、ちゃっかり慰める男、伊黒を書かせて頂きました。
きっと伊黒氏は、不満を思っていても、彼女の前ではそれを見せない男だという妄想。
こんなものでよければ、お収めくださいませ!
この度はありがとうございました!
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