高嶺の花子さんと高嶺の黒尾くん
ふと気づけば自分の足にボールがコツンとぶつかっていた。
ペンを走らせていたノートを閉じて、足元のボールを拾い上げる。
ボールに視線を移していたら「なあ」と遠くで声が掛かった。それに私は応えるよう顔を上げた。
「苗字、こっちに投げてくれ」
頬を伝う汗を拭うこともせず小走りで近づいてきた男とボールを交互に目をやり、私はこくんと頷いた。
男に向かってボールを投げると、思った以上にコントロールが悪かったらしく男より少しそれた所へ飛んだ。
が、男は華麗にジャンプを決め、コントロールの外れたボールを見事にキャッチする。
それを見て、私は心臓が高鳴った。
「サンキュー」
片手を軽く上げて、礼を言う姿もまた恰好いい。
私は返事をすることなく、ただただボールを持つ背中を見つめて、トン、と壁に背中を付ける。
「……」
「見すぎ」
その現場を見られていたらしい。
隣には眠そうな視線をこちらに寄越す孤爪くんの姿があった。
同級生の彼とは割と仲が良い。
普段の相談したいことも気軽に話せる、そんな仲である。
周囲に私達だけしかいない事を確認して、私は神妙な顔で呟いた。
「黒尾先輩が、クッソ恰好いい」
「キメ顔で言うことじゃないから」
それを慣れたように軽くあしらう孤爪くん。
私の気持ちを知っている上に、黒尾先輩と幼馴染という正直羨ましすぎてむしろ殺意しか湧かない関係であることで、気軽に私に絡んでくる。
誰かに聞かれないようにそっと耳打ちをするよう、私は口を開いた。
「あの汗滴る表情。色気だけでもムンムンなのに、話しかけられてこれが冷静でいろというの? 何なら私が黒尾先輩の汗になりたい。私が黒尾先輩の塩分になる」
「言っている意味…そこそこヤバイよ、大丈夫?」
呆れた顔で私を見る孤爪くん。
確かに彼からは距離を感じるくらい表情が引きつっているように見えた。
それでも私がこんな事を言えるのは孤爪くんだけなので、我慢してもらいたい。
孤爪くんに「絶賛絶好調。今日も黒尾先輩を愛でる事で必死」と答えると、はあ、と孤爪くんが大きく溜息を吐いた。
「…言っちゃあ悪いけど…普通にマネしている時は完璧で高嶺の花子さんなのに、同じ顔で気持ち悪い事言うのだけは、残念だよね」
「だって黒尾先輩が『マネージャーに興味ない?』って私を誘ってくれたから、真剣に取り組んでいるだけ。あわよくば黒尾先輩の脱いだユニフォームに触れられるからとか、そんな邪な気持ちでやっているんじゃないよ」
「モロバレなんだけど」
いい加減私の話を聞く事に疲れたのか、孤爪くんはタオルを置いてコートに向かって歩いて行ってしまう。
出来ればもっと黒尾先輩の事を話したかったけれど、コートに逃げられてしまったらどうすることも出来ない。
練習が終わったら後で散々黒尾先輩の話を聞かせてあげようと決めて、私は思い出したようにノートにするすると練習工程を書いていくことにした。
◇◇◇
「休憩なげーんじゃねぇの?」
「そうかな」
苗字さんの戯言という名のクロの惚気話を聞いていたら、日が暮れる事は必至。
こういう時はさっさとコートに中に戻ってしまうに限ると、コートの中へ戻ってきたら今度は茶化すように上から声が降ってきた。
何か言われるとは思ったけれど、早すぎるな。
腰に手を当て隣に立つクロをジロリと見たら、クロが鼻で笑った。
俺に言いたいことがあるみたいだけど。
「……苗字サンと仲いーじゃん。好きなの?」
「クロ、その脳死しているとしか思えない判断はどうなの」
「仲いいことは否定しないわけね」
「まあ、そうかも」
クロが僕を茶化したかっただけなのは手に取るように分かる。
だけど、勿論それだけじゃないことも知っているから、俺は敢えてクロにそういう言い方をしてみた。
いつもの気取った表情が少しだけ歪んだのを、見逃さなかったよ。
……ほんと、疲れる。
「苗字さんが気になる?」
「……は?」
「苗字さん彼氏いないらしーから、手を挙げるなら今だと思うけど」
「意味わかんねぇ」
「分かる言葉で言ってあげようか」
クロの手にあるボールをするりと奪い、手の上で転がした。
ちらりとクロを見て僅かに笑えば、クロの瞳の中に少しだけ怒りが見えた気がした。
「見てるだけじゃ、横から取られても知らないよ」
こんな風にね。
と、手に取ったボールをひょいっとクロに返して、俺は定位置につく。
ボールを手に取ったクロがどんな顔をしていたかなんて、見なくても簡単に想像がついた。
こんな分かりやすい挑発に乗ってくれるだろうから、きっとこの練習が終わったらあのド変態マネージャーを捕まえようとするだろう。
そうするとまた俺はド変態マネージャーから暫くの間、クロの気持ち悪い話を永遠聞かされることになるんだろうな。
近い未来の苦労がこれまた簡単に想像が出来てしまって、俺は本日何度目か分からない溜息を零した。
「……キューピットってガラじゃないんだけど」
嫌いじゃない二人だからこそ、手伝ってあげたいとは思う。
…くっついた後、その間に俺を入れてくれさえすれば、いいから。
高嶺の花子さんと高嶺の黒尾くん
取り合えず、手を貸せるのはここまでだから、後は二人でがんばって。
胸の中でそっと呟いて、僕は目の前のネットを睨みつけた。
「孤爪くん孤爪くん!! 私、黒尾先輩の塩分になった!」
「……もっと分かりやすい言葉で言ってくれる?」
「かか、か、か」
「か?」
「彼女になった!」
「おめでと」
あとがき
彩さま、リクエストありがとうございました!
ヒロインちゃんを変態にしてほしい、というお話でしたが、想像以上に気持ち悪い方に全振りしてしまいました。
しかもどちらかと言えばこれ、研磨の苦労話…。
両片思いの取り扱いが難しい…こんなものでよければお納めくださいませ!
黒尾、書いていて楽しかった〜。
短編、どこかで書きたいですね(*'ω'*)
この度はありがとうございました!