そう、それはとても幸せな夢
その日は善逸さんが初めてワンピースを買ってくれた日。
私ばかりは嫌だと駄々をこねて、気の進まない善逸さんもまたシャツとジャケットを着てもらった。
二人でハイカラですね、なんて笑っていつものように楽しくお買い物をしていた、その日。
初めて行った街で、珍しく二人で迷子になった。
あっちかこっちか、と人通りのない道に足を踏み入れ、やっと大通りに出たと思ったら、真っ先に目に入ったのは、コンクリート街だった。
目の前に広がる大正の世ではありえない、情景。
足元の土はいつの間にかコンクリートのそれになっているし、道端の電柱や建物もそう。
道路を走る自動車は、性能の良い現代の車。道行く人の手元にあるスマホや、現代風の洋服。
一瞬血の気が引いて、私は自分の右手を確認した。
その手が隣で立つ善逸さんに繋がっている事に酷く安堵し、一人息を漏らした。
だけども、善逸さんは瞳を揺らして辺りをキョロキョロと見回し「な、な…ここ、どこ?」と今にも大声を張り上げる寸前のような挙動。
その様子から却って私は一人冷静に物事を考えることが出来た。
こんな大通りで大声を出されてしまっては困るので、慌てて善逸さんの口を空いている手で塞ぐ。
善逸さんはモゴモゴと口を動かし私を見たけれど、その表情はまだ驚愕したまま。
当たり前だ。先程まで私たちが歩いていたのは、いくら最先端な街とは言え、大正時代のそれ。
今はどう見てもそこから何十年も経過したとしか思えない、光景が目の前に広がっている。
これを見て驚かない方がおかしい。
「落ち着いてください、善逸さん。ここは、大正とは違います」
「そ、そそ、そんなの見れば分かるよ! 名前ちゃん、来た道を戻ろう!」
少し落ち着いたかと思い口から手を離すと、善逸さんが唾を飛ばして青い顔をして叫ぶ。
そして私の手を握り来た道に向かってくるりと身体を反転させた。
勿論、私もそうするつもりだった、だけど、先に身体を反転させた善逸さんが一歩も進まず立ち尽くすのを見て、良くない想像が頭を過った。
「…道って、どこ」
目の前にあったのは、冷たいコンクリートの壁。
確実に私たちがやってきた路地裏は跡形もなくなっていたのだ。
心臓がドクンと高鳴る。
……二度あることは三度ある、というけれど。
幸いにして、今回は善逸さんと一緒というだけでも救われるかと、驚き震える善逸さんの隣で思った。
◇◇◇
こうなった以上、どうすることも出来ない。
私は、固まる善逸さんを連れて近くの公園へとやってきた。
この時代のお金を持っていないから、お店には居る事もできないし。
洋服を着ていたからか、そこまで目立たなかったことが幸いだ。
善逸さんは道中も視界に入るもの全てに驚き、たまに悲鳴を上げるので本当に困った。
公園に入ってもまだ泣きそうになりながら、アワアワしている様子を見て、久しぶりに昔の善逸さんを思い出した。
空いているベンチに腰かけて、優しく背中をさすって上げたら少しは落ち着いたようだけれど、状況は正直良くはない。
どうすれば大正時代に戻れるのか、今の段階では不明だけれど、きっと何か術はあるはずだ。
何故なら、私が過去に成し遂げているから。
それにちょっと遠出をすれば愈史郎さんもいるだろうし。どうにかならないことはないと思う。
それを説明すると善逸さんもマシにはなった。
「でもお金もないから、愈史郎さんのところまで行くのは難儀ですね」
「…お金ならあるよ」
「この時代のお金持ってないでしょう? 善逸さん、1000円とか莫大なお金持ってます?」
「……せん、円?」
聞いたことない金額を耳にして、善逸さんが固まる。
1000円程度で固まるようじゃ、どれだけお金がかかるなんて話をしたら、ぶっ倒れてしまうかもしれない。
はてさて、どうしたものか、と善逸さんを見ていら、途端背後から声が掛かった。
「名前ちゃん?」
それは善逸さんの声だった。
だけど、私の前にいる善逸さんは口を半開きにしていたけれど、喋ってはいなかった。
それに声は私の後ろから聞こえた。
一つの考えが頭を過り、慌てて振り返る。
振り返りながら、まさか、とか、嘘だ、とか色々な単語が思い浮かぶけれど、それでもやっぱり思うのは、貴方だったら、どんなにいいか、という気持ち。
視線の先にいた黒髪の善逸さんによく似た、あの人。
「…善照、さん?」
私がそう口にすると、善照さんが驚いた顔から優しい笑みを浮かべる。
その顔がやっぱり善逸さんに似てて、泣きそうになった。
善照さんもまた「どうして」「なんで」と言いながら、私達に近づいてくる。
思わず涙ぐむ私に自然と腰に手が回った。善逸さんを見たら驚きつつも、複雑そうな表情をしていた。
善逸さんの言いたいことが、何となくわかったような気がした。
「じ、じいちゃん? 何でここにいるの?」
私を見て嬉しそうに笑った後、善照さんは隣で睨みきかしている自分の曽祖父を見て口元を引きつらせる。
ぼそりと「じいちゃんっていう歳でもないんだけど」と呟くから、思わずくすりと笑ってしまった。
腰にあった手がさらに強く引かれた気がした。
「わかった、わかったから。そんな威嚇しないで。俺、ただ感動の再会を喜んだだけだよ?」
「馴れ馴れしくしないでくれる? ただでさえ、混乱してるんだから」
「善逸さん、落ち着いて」
まさか隣でバチバチとされると思ってもみなかったので、慌てて善逸さんの肩に手を置いた。
善照さんが言うようにまるで野生動物のような威嚇も、少しは治まったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「善逸、名前?」
善照さんとの再会を喜んでいたその時。
私達は気づかなかった。善照さんの後ろにいたもう一人の姿に。
手元にあった二人分のソフトクリームが溶けて地面へと零れ落ちようとも、その人はただ目を見開いて私と善逸さんを交互に見て驚いていた。
私がその人の名を言う前に、声で顔を上げた善逸さんが先に口を開いた。
「…炭治郎?」
違う。
彼は、炭治郎さんによく似た、竈門炭彦くん。
それでも、数少ない善逸さんと私の事を良く知るうちの一人だ。
竈門炭治郎さんの記憶を持つ、炭彦くん。
竈門くんもまた酷く驚いていたけれど、それでも何かを察しふっと表情が柔らかくなった。
「二人の所為でアイスが溶けちゃったよ」
そういってニコリと笑う優しい人。
大好きな私のクラスメイト。
◇◇◇
竈門くんの顔を見て驚いていた善逸さんに、彼は炭治郎さんではないということ、でも炭治郎さんだった時の記憶が少しだけあることを説明すると、善逸さんは頭を大きくかきむしりながら、なんとか納得してくれた。
何でも炭治郎さんと音が似ているけれど、やっぱり違うらしい。
嫌でも別人だと理解してしまう、という善逸さんは知った顔ばかりが並んだ状況に戸惑っていた。
自分の良く知る人と同じ顔の人が周りに居たら、混乱するのはよくわかる。
私だって、正直関わりたくなかった事もあったもの。
でも、彼らは私達と深くかかわる大切な人。
今はただまた会えたことが嬉しい。
「苗字さん、アイス食べる?」
「いりません」
再度混乱する善逸さんがやっと落ち着きを取り戻した時。
竈門くんは私に散々溶けて、おててが散々悲惨になったソフトクリームをずい、っと私の前に持ってきた。
流石に溶けたものはいらない。
顔を引きつらせ首を横に振ると、竈門くんは困ったように笑って「残念」と言う。
いつも通りの雰囲気の竈門くんを見ていたら、さっきまでの不安は少しだけ解消された。
「でさ、どうするの二人とも。戻れないの?」
善照さんが眉を下げて心配そうな表情を覗かせる。
彼の言いたいことはよくわかる。あれだけ大変な思いをして、やっとこさ善逸さんの元に帰ったのに、こうしてまた令和の世に戻ってきてしまった。
今度は善逸さん付きで。
「戻れるものなら戻りたいけど」
同じような顔で呟く善逸さん。
こうして二人並べてみると、やっぱり血のつながりを感じる。
ぼんやりそれを眺めていたら、いつまでもぼうっとしている私を見て善逸さんの目が細くなる。
私の音でも聞いたんだろうか。非常事態なのは承知なんだけども、まるで家族が揃ったような感覚になってしまうのは仕方無いと思う。
「戻れるよ」
そんな私達三人に向かって、竈門くんが自信満々で答える。
私達の視線が竈門くんに集まった。
「だって、“俺”は二人が幸せに大正の世で暮らしていた事を知っているから」
だから、きっと戻れるよ。
他でもない竈門くんにそう言われたら、私達は信じないわけにはいかない。
説得力のある言葉に自然と善逸さんの表情が緩んだ気がした。
きっとその瞳に映っているのは、善逸さんの仲間、炭治郎さんだろう。
「じゃあ、折角なんだからこっちにいる間に散々楽しんじゃえば…?」
「善照さん」
竈門くんの言葉で善照さんもまた気持ちが落ち着いたのか、先ほどまでの心配していた顔はどこへやら。
気持ちを切り替えるような言葉でウィンクを私たちに向ける。
そして、
「名前ちゃんの家族に会いに行こう」
ね?と優しく笑う善照さんを見て、今度は私が目を見開く番だった。
この時代に来たのに、全く頭になかったことに驚いた。
だって、もうとうの昔に諦めていたことだったから。
それを聞いて、私の肩を善逸さんが優しく抱く。
驚いた顔のまま善逸さんを見ると、善逸さんも又優しい表情をして「俺も、会いたい」と囁いてくれる。
「い、今更顔を見せて、いいのでしょうか」
「なんで?」
「勝手に居なくなった娘に散々振り回されたんです、よ?」
「それがどうしたの、だって名前ちゃんの家族でしょ?」
善逸さんの力強い言葉が、私の心を癒す。
全身に染みわたる優しい言葉。
顔を見るのが当たり前のように。
自然と善逸さんのジャケットの袖を握ってしまっていた。
「…善逸さん、私の家族を紹介させてください」
「当たり前。俺、まだ名前ちゃんの家族に何の報告もしていないんだから」
善逸さんに頭を撫でられ、こそばゆくて少しだけ顔を背けた。
善照さんも、竈門くんも皆同じような優しい顔をしていた。
堪えきれない涙がぽろりと頬を伝い、そしてまたそれを善逸さんが優しく拭ってくれる。
こんな我儘が許されていいのだろうか。
心の中でそっと呟いた問いにも、善逸さんが抱きしめながら「いいよ」と言ってくれる。
また私の音を聞いたこの人は、欲しいときに欲しい言葉をくれる天才だ。
「ありがとうございます」
その場にいる私の大切な人達に心から感謝を述べた。
◇◇◇
震える指で見慣れたインターフォンのボタンを押した。
善逸さんは目の前の小型機械から音が鳴ることに驚いていたけど、それでも、私の手を離さず固く握ってくれていた。
私達の後ろには善照さんと竈門くんが立っていて、お互いの顔を見合わせながら笑っていた。
寸分置いてインターフォンから『はい』と声が聞こえる。
それが誰の声なのかなんて、改めて聴かなくても分かる。
きっとカメラで私たちの事は見えているだろうけれど、それでも自然に口が開いた。
「お母さん」
インターフォンの向こうから息を飲む音が聞こえる。
乱暴に通話が切れる音がして、中からドタバタと走る音も聞こえて、そして。
がちゃ、と目の前の扉が開くと、中から半信半疑の焦った表情が顔を出した。
私と目が合うと、その表情がくちゃりと歪み、大きな瞳からはこれまた大きな雫がぽろぽろと零れていく。
私もまたきっと同じ顔をしているのだろう。
さっきよりもダラダラ流れる涙を止める事もせずに、もう一度その言葉を口にした。
「おかあ、さん」
お母さん、と呼ばれたその人はいつかの時のように裸足で駆けてきて、私をその胸に押し付けるように抱きしめた。
強く、強く。
以前と違うのは、私もまた強くその身体を抱きしめ返すことが出来た事だ。
「ただいま、お母さん」
「おかえり、名前」
きゅうっと胸が締め付けられるような気がした。
でも、気分は悪くない。
むしろ、心地よいと感じてしまう。
普段考えない様にしていたけれど、やっぱり心のどこかで望んでいた。
この懐かしさを。
家の前で大号泣する私たち親子を、善逸さん含め皆さんがなんとか宥めてくれて。
皆で家の中に入って、リビングでも変わらずグズグズ泣き続ける私達を見て、善逸さんは笑っていた。
それは決して馬鹿にするような笑みじゃなくて、見守ってくれるような優しいものだった。
やっと泣き止んだ私達を見て、今度は善照さんが泣きそうになっていたけれど、すぐに善逸さんがその顔面にハンカチを突きつけて無理矢理拭っていた。
母は、まだティッシュで目元を押さえていたけれど、慌ててどこかへ電話をして「今すぐに帰ってきて」と言うと、電話を切り、そしてまたどこかへ電話をして同じことを繰り返す。
きっと父と和樹に連絡をしてくれているんだろうと思いながら、私はその電話が終わるのを待った。
やっと母がスマホをテーブルに置いて、一呼吸をした時。
私が善逸さんを隣に呼んで、母の目をじっと見つめる。
「お母さん。私の旦那様の、我妻善逸さん。善逸さん、私の母です」
「あ、あの、俺、ぼ、僕は」
善逸さんには珍しい噛み噛みのセリフである。
普段あんなに大声を出しているのに、こんな時は小さくて。
母は、そんな様子を見て泣笑いながら、善逸さんの手を取った。
「いつか、貴方にお礼が言いたいと思っていたの。名前を、守ってくれてありがとう。ずっと大切に育ててきた娘なの。どうか、これからも幸せにしてあげて下さい」
目を逸らす事なく、善逸さんの金色の瞳を見つめる母。
善逸さんは、一瞬ポカンとした後、すぐに力強い視線を返すと、さっきまでの弱弱しい声とは打って変わった声で「はい」と答えた。
「ねえ、名前」
「なあに?」
「とっても素敵な旦那様ね」
善逸さんの手を持ったまま、私の方を向いてニコリと微笑む。
私はこくりと頷いて
「そうなの。私には勿体ないくらい、素敵な人なの」
と、何度目かわからない涙を零した。
その日、大慌てで帰ってきた父と、和樹を含んだ皆で、どんちゃん騒ぎながら晩御飯食べた。
父は善逸さんとお話して、凄く複雑そうだったけれど、和樹が「マジですげえ筋肉」と話を逸らしてくれて、二人ともほんの少し頬が緩んでいた。
母が豪勢にいろんなものを作ってくれて、私も隣に立って手伝う。
いつかの夢がまさかこんな形で現実になるなんて、思ってもみなかった。
例えこれが一時の夢だとしても。
別れが近い事は分かっていた。
皆で沢山お話をした。
プロポーズはこうだった、結婚式はこうだった、と殆ど惚気になってしまったけれど、赤い顔をした善逸さん以外、みんなうんうんと聞いてくれた。
たまに善逸さんが「そんなこと言ったっけ?」と突っ込んできたけれど、問答無用で大きく頷いてやった。
私と母が片付けている間に、善逸さんは父と「娘さんを頂きました」と事後報告をしていたらしく、父が「不束な娘ですが、幸せにしてやってください」と言っていたと、後から教えてもらった。
何時間も時間を忘れてそうしていた。
最後に二人でソファに座った時。
疲れてしまったのか、大きなあくびと重力に逆らおうとする瞼と格闘しながら、なんとか目を開ける。
でもそれに気づいた母たちが、そっと周りを囲んでくれて。
「もういいのよ、名前。私たちは今日、一つの心配事が無くなったわ。もう自分の家に帰ってもいいの」
そう言う母に緩く首を振ってみたけれど、眠気に勝てそうにない。
隣の善逸さんもまた、睡魔と闘っているようだ。
必死に瞼をこじ開けようと、唇を噛んでいた。
「会いに来てくれたのね。本当にありがとう。貴方達の事、一生忘れない。私たちの大切な娘と息子よ」
「……おかあさん」
視界が歪む中、なんとか母に向かって手を伸ばす。
母が優しく取ってくれて、やっとわかった。
母の手が震えている事に。
何度も何度も、お別れを言った。
こんな酷い娘の事を、まだ娘だと思ってくれている事に、心から喜んだ。
眠気が意識を支配しようとする中、善逸さんが口を開く。
「大切にします。誰よりも」
眠気に犯されているとは思えない、力強い言葉だった。
その言葉を聞いて、皆が微笑んだ。
その光景を最後に私と善逸さんは意識を手離した。
◇◇◇
目が覚めたら、私達は自分の家の縁側に頬をつけて転んでいた。
二人同時に身体を起こして、周りをキョロキョロと見回してみるも、やはり見慣れた我が家で。
庭にある藤の花が綺麗に咲いていた。
凄く長い夢を見ていたのだろうか。
「夢じゃない」
私の疑問を否定するかのように、善逸さんが呟いた。
その表情はやっぱり全部覚えているようなそんな顔だった。
「俺、名前ちゃんの家族に会えてよかった」
そう言って私の手を引いて、抱きしめる大きな身体。
『大切にします。誰よりも』私の大好きな人達の前で、そう宣言してくれたこの人が愛しい。
善逸さんの背中に手を回し、私はその胸に顔を埋めた。
きっとあれは夢だったのだろう。
私達夫婦が見た、同じ夢。
夢でもきっとそれは、一生忘れられない大切な思い出となった。
そう、それはとても幸せな夢。
あとがき
てんさま、リクエストありがとうございました〜。
何度もリテイクした結果、時間が掛かってしまい申し訳御座いません(´;ω;`)
しかもめちゃくそ長いという。
多分今まで書いたお話の中で一番長い…。
どうか最後までお付き合い下さると幸いです…!
この度はありがとうございました!