05
「ストーップ、ストップ」
何かを感じ取った野薔薇ちゃんが私に向かって鉛筆を的確に飛ばしてきた。
飛んできた鉛筆は私の頭を直撃して、思わず身体を仰け反らせてしまうくらいの痛みが走る。
さっきまでの空気が一瞬にして元に戻ったのを僅かに感じたけれど、それよりも頭の方が痛い。
五条さんは落ち着くように息を吐いて「野薔薇、授業中に鉛筆投げちゃダメだろ」と野薔薇ちゃんの方を見て注意をする。
「…私のお陰で教室が爆発しなくなっただけ、有難いと思って欲しいわ」
「野薔薇?」
「はーい」
ボソリと聞こえた声に反応する間もなく、五条さんの気味悪いくらいの笑顔が野薔薇ちゃんに向けられて。
野薔薇ちゃんは頬に僅かに汗をかいて手をひらひらと見せて、降参のポーズ。
虎杖くんは「危なかった…」と自分の胸に手を当てて安堵している。
何が危なかったんだろう。既に危ない目にあった私がいるんだけどな。
五条さんが私の机を横切る時、小さな声で呟く。
「…いい加減にしないと、僕だって怒るから」
それは確実に私に向けられた声。
うそつき、本当はもう怒っている癖に。
五条さんが起こっている理由はなんとなくは理解しているつもりだ。
でも、それでも、私はそれに甘えるわけにはいかないのだ。
私は守られる人よりも、隣に立てる人になりたい。
だけど、その思いはきっと五条さんには伝わらない。
顔を指で掻くついでに頭を過る、先日の光景。
五条さんの隣を歩く、髪の長い女性。
硝子さんとは違う、あの人。
京都から出張でやってきたという、あの人。
「…私とは言い争いなんてしないじゃないですか」
羨ましいって、素直に口に出せれば、少しは可愛げがあったのかもしれないけど。
◇◇◇
自分でも拗ねているのは良く分かっている。
先日、硝子さんのお部屋で勉強をしていたら「根詰めるのも良くない」と言われて、適当に散歩に出るように指示された。
だから、虎杖くん達の授業をしているであろう五条さんを見に、教室へ向かって歩いた。
ちょっと覗いたら戻るつもりだったけど、教室には誰も居なくて。
皆どこにいったんだろう、なんて思いつつも来た道を戻ってて。
そしたら、激しい罵りあいが聞こえたものだから、私は自然とその方へ足を向けた。
罵りあいというのは間違っているのかもしれない。
そこには五条さんが一方的に和服の女性からキレられている場面。
高専に最近来たとは言え、今まで見かけたことのない人が、五条さんに向かって罵倒し、あまつさえその細い腕をぶんぶん回して殴りかかろうとしていた。
それを平気な顔をして避ける五条さん。
周りから見れば、何と滑稽な場面だと思うのかもしれない。
でも私にはそう見えなかった。
「歌姫は本当に煽り甲斐があって困るね」
「先輩を煽るって、ふざけてんじゃないわよ!」
なんだろう。
五条さんの周りには私と同年代の人ばかりがいるからか、和服の女性のような大人な女の人がいるのがとても新鮮だ。
…硝子さんもそう言えば五条さんと付き合い長いって言っていたけど、見慣れてしまったかもしれない。
何となく、和服の女性と五条さんが隣に立っている様子は、胸の中がモヤモヤして、落ち着かない。
あの人、五条さんと親しいのかな。
ずっと二人を見ておきたい気もするけど、心臓が痛くなってきたから、私は何事もなかったかのように来た道を引き返した。
頭の中では和服の女性と五条さんの光景が焼き付いている。
…いやだな。
深く考えたくなくて、早く硝子さんのところへ戻ることだけを考えた。
そんな事が、前にあったのだ。
自分の気持ちが不安定であるのは十分理解している。
以前は自分の死について悩んだけれど、今はそっちよりも五条さんのことばかり。
どうしようもないくらい、バカみたいな悩みだと分かっているけれど。
「あんまり先生を怒らせないでよね。私達がどれだけ神経すり減らしてると思ってるの」
「…まあね」
微妙な空気の授業が終わってから、野薔薇ちゃんが私の頭を小突きながら、溜息を吐く。
言いたいことは分かるから、その言葉は甘んじて受ける。
でも、私だって色々悩んでるんだから。五条さんには気づいて欲しくない、そんな悩み。
私が一人不貞腐れている事に気づいた野薔薇ちゃんは、さっきよりも大きめの溜息を吐いたついでに、私の細腕を持ち上げた。
「え?」
「先生も言ってたでしょ、呪具が必要だって」
「そうだけど」
「だから、呪具のスペシャリストに話聞きに行くよ、気分転換にもなるでしょ」
とそんなことを言って野薔薇ちゃんは私の手を引いて教室を出て行く。
私達の後ろで「いってらー」と眠そうな虎杖くんの声が聞こえて、反応する間もなく、私は野薔薇ちゃんの後に続いた。
スペシャリスト?
他の先生のこと?
野薔薇ちゃんに聞いても「まあまあ」としか答えてくれないから、わからない。
でもきっと私の知らない人なんだろうなとは思う。
野薔薇ちゃんに連れられて歩く事数分。
私達は二年生の教室の前にいた。
「二年生?」
二年生が存在することすら、今知った私は呆然と教室の扉を見つめることしかできない。
不安そうに見えたのだろうか、野薔薇ちゃんは「大丈夫よ」と優しく微笑んでくれて、扉に手を掛ける。
ドキドキしながらそれを見ていると、ちらりと見えた中の様子に完全に絶句してしまった。
なんでパンダがいるの。