09. ざまぁ

猪男について走り出してから、どれくらい経っただろう。
果てしなく長い廊下を駆けても景色は変わらない。
離れていてちっさくなっている猪の影を追っていたら、突然猪男はどこかの扉に突っ込んでいったと思ったら、
その先に日の光が見えた。

「そ、外だ!」

減速していた足をまた加速させて、私は光の方へ走った。
さっさと出て行ってしまった猪に続いて、ふらふらと玄関を出る私。
まごう事なき外。良かった、出られた。
思わずほっとして、玄関の柱にへたり込んでしまう。
…つ、疲れた。一体どれだけ走るんだあの猪。

荒い呼吸を繰り返して、ふと横に目をやると見慣れた羽織が数メートル先に居たのが分かった。
我妻さんは、猪の前に何かを守るように両腕を広げていて、ギロリと猪を睨んでいた。

「あ、我妻さん…」

その姿を見て思わず安堵した。視界に入れただけで、心臓が穏やかに鼓動する。
それだけ、我妻さんの姿は私にとって大きかった。

が、そんな中猪男が足を振り上げ、我妻さんに振り下ろした。
べしゃあ、と横に倒れ込む我妻さん、その姿を見て全身の血が沸騰するのを感じた。

「さっさと退けぇ! 鬼の味方すんのか?」
「五月蠅い! お前は引っ込んでろ」

ぺっと血の混じった唾液を吐きだし、我妻さんが起き上がる。
猪は変わらずまた蹴りを繰り出そうとしていた。


私は、考えるよりも身体が動いていた。


痛い腕なんて気にもせず猪男と我妻さんの間に入って、我妻さんの身体を抱きしめた。

「っ、うッ…」

背中に猪男のズシン、と大きな一撃が入る。
一瞬、呼吸が出来なくて思わず咳き込んだ。

「ッ、名前ちゃん!」

腕の中の我妻さんが叫ぶ。
自分でも馬鹿なことしてるのは分かってるけど、我妻さんが傷つけられているのに見過ごせない。

でも、やっぱり痛いものは痛い。

痛みでふっと緩めてしまった腕から我妻さんが抜け出し、今度は我妻さんが代わりに私を抱きかかえる。
たった一回でこの調子。もっと鍛えておけばよかったと後悔しても遅いけれど。

「アマぁ、また邪魔しやがって! 退けぇぇ!」
「やめろッ」

猪の拳が飛んでくる前に、我妻さんが私を木箱ごと抱きしめた。
小さくうめき声を上げながら、次々と繰り出される攻撃に耐える我妻さん。
あぁ、このままじゃダメだ。二人でボロボロになる未来しか見えない。

私だけじゃダメなんだ、お願い。
炭治郎さん、早く、戻ってきて。



私の祈りが通じたのか「やめろ!」という怒号がその場に響き渡った。
声のする方へ視線を向けると、怒りで身体を震わせる炭治郎さんが、全速力で土を蹴った。
次の瞬間に猪は炭治郎さんによってお腹に一撃入れられ、吹っ飛んでいった。
何かが折れるような音もしていたから、もしかしたら骨もいってるかもしれない。

「お前は、鬼殺隊員じゃないのか!」

怒りに満ちた顔で炭治郎さんが言う。
その間に我妻さんが私を我妻さんが守っていた木箱とともに、正一君たちの横へと連れていく。

「なぜ善逸が刀を抜かないかわからないか? 隊員同士で徒に刀を抜くのは、御法度だからだ!」

炭治郎さんの言葉にこっそり納得した私が居た。
あ、そうだったんだ。初めて聞いた掟にほーと感心した。

猪男の相手は炭治郎さんに任せよう。
私は自分のハンカチで我妻さんの汚れた顔を拭ってあげることにした。
炭治郎さんと猪の戦闘に目をやりながら、青ざめる我妻さん。
その表情を見ながら、私は全く違うことを考えていた。

あぁ、やっと会えた。

離れていた時間は少しだったのに、こんなにも安堵するなんて。
恋愛経験値の低い私だけれど、それがどうしてか分からないわけではない。

「名前ちゃん、ケガしてない?」

私に気付いた我妻さんが声を掛けてくれた。
どきん、と胸が高鳴る。

「私よりも我妻さんの方が重症ですよ」

ふふ、と笑って我妻さんの手を握った。
固い手が少しだけ震えていた。震えを抑えるように私は強く握った。
本当に良かった。無事で。


「ちょっと落ち着けェ!」

我妻さんの方に気を取られていたら、炭治郎さんと猪男の方は決着がついたようだった。
炭治郎さんがひと際大きく叫んだと思ったら、猪に見事な頭突きを決めた。

「ず、頭骨割れてない?」

思わず自分の額に手を当てる我妻さん。
確かに見ているこっちが痛そうな音したわ。よろよろとしながら、猪男は立ち上がった。
その時、被っていた猪の皮がずるりと地面へと落ちた。

奴の顔が日の目を浴び、それを目に入れた瞬間真っ先に我妻さんが反応した。

「女? え? 顔…」
「何だコラ…俺の顔に文句でもあんのか…?」

額から血を流し、炭治郎さんを見据えるその表情。
それはまるで女の子のように美麗な顔をしていた。
身体とのバランスの悪さに驚きつつも「あら、男前」と声を出すと、横の我妻さんが歯をむき出してこちらを見る。

いえ、私はただ感想を述べただけですから。
何なんだ、その顔。

無言の圧力を感じつつ、目線を彼らに戻した。

「おい、でこっぱち! 俺の名を教えてやる。嘴平伊之助だ、覚えておけ!」

唾を飛ばし、その場の空気が響くくらいの声量で、炭治郎さんに指を指す嘴平猪。

本当、いい加減にしてほしい。
この人の所為で皆ケガするし。この人の所為で、この人の所為で。
皆がけがをしているその状態で、私は怒りを抑えることが出来ない。
今までのイライラが頂点に達していたわたしは、炭治郎さんと猪の前に出る。

「名前ちゃん、」

後ろで我妻さんが止めに入るが、関係ない。


「嘴平さん?」
「何だコラ、アマぁ!」

つかつかと嘴平さんの眼前まで出て、顔を上げる。


「アンタの所為で我妻さんがケガしたじゃない! 何てことしてくれるのよ!」


パチン、と美麗な頬に一発平手をかます私。
炭治郎さんと我妻さんが息を呑んだのが分かった。
私の渾身の力でかました一発だったが、奴には大したことないだろう。
それでも気が済まなかった。

「この、アマァ………」

すぐやり返される、と思った。
けど、奴は急に固まって、眼球がぐるんと上を向いたかと思ったら、後ろにばたんと倒れてしまった。

あ、倒れた。

「多分、脳震盪だ。俺が力一杯頭突きしたから……」

炭治郎さんが私を安心させるように言った。
ですよね、小娘の平手打ちで倒れるほど鬼殺隊って弱くないもんね。

嘴平さんには悪いけど、ざまぁと思ってしまったのは内緒。