完全にやらかした。
鼓の音で部屋が変化するなんて、分かっていたのに。
一人ぼっちになってしまった部屋の中で、私は後悔していた。
状況は最悪。私は丸腰の非戦闘員。
この状況で鬼に出くわすと、無抵抗であの世逝き確実。
だからこそ我妻さんと離れてはいけなかった。これは完全なる私の失態。
辺りをキョロキョロと見渡してみるけれども、人の気配すら感じることは出来ない。
せめて誰かと合流できればいいんだけど。こういう時、我妻さんのように耳が良ければよかったのに。
先に居なくなった炭治郎さん達でもいい(むしろそのほうが良いのかもしれない)。
この場合って、動き回らずに同じ場所にいた方がいいのかな。
うーん。この状況がイレギュラーすぎて分かんない。
ともかく、いつまでも座り込んでいる訳にはいかないので、制服のスカートを払いながら、立ち上がった。
制服に着替えていて良かった。これなら何かあっても、全速力で動ける。
……そうならない事を祈るばかりだけど。
暫く色んな部屋の襖開けては進みを繰り返す。
永遠続く部屋の数にがっくりしながらも、私は歩みを止めない。
殆ど景色の変わらない場所をぐるぐるしているような気がして、これでは本気でまずいと思い始めている。
なんとなくだけれど…このまま我妻さんに会えることなく死ぬのかな。
考えたくもないのに、一人だとネガティブな考えが脳内を占める。
最後、ケンカ別れみたいになってたし(それは一方的に私が怒ってただけなんだけど)。
あれが最後になるんだって分かってたら、もっと優しく接してあげればよかったかも、なんて。
今更後悔しても遅い。
……いや、それでも余所の女の子に求婚している所見て、平常心ではいられないわ。
そりゃ我妻さんは長い間辛い鍛錬で、女の子とほぼ縁がない生活だったとしても。
私の前でそんな事、しなくてもいいじゃないか。
あぁ、やっぱり一人だと気持ちまで沈む。
涙が出そうになって、無理やり羽織の袖で拭った。
我妻さんのばーか。早く見つけてよ。
◇◇◇
「いやぁああぁぁぁ! 名前ちゃんが消えたぁぁぁぁ!」
部屋を開けた先に頭は猪で体は人間の化け物が居て、そいつが部屋を出て行ったと思ったら、名前ちゃんが跳ね飛ばされて、隣の部屋に突っ込んでいった。
その時都合よく鼓の音が鳴ったから、あの娘は綺麗に消えてしまった。
血の気の引いた顔を両手で挟んで、俺はその場にしゃがみ込んだ。
まずいまずいまずい。あの娘は戦闘出来ないんだよ!
名前ちゃんに何かあったら、俺は無理だ生きていけない。
もし名前ちゃんが先に鬼と出くわしたら…
「あああぁぁああ! おしまいだよぉおお!」
ジタバタとその場に寝転がり、全身を使って泣き叫ぶ。
正一くんが俺の背中を擦りながら「善逸さん」と呼んだ。
「何だよ! 俺は今、悲観するのに忙しいんだよ!」
「そんなことよりも…名前さんを探しに行きましょう。こんな所に居ても会えるかわからないですし」
冷静さを失った俺に諭すように言う正一くん。
え、何この子。本当に子ども? 俺よりしっかりしてるし、自分も妹と離れ離れになっているのに。
何ていい子なんだ…。
「で、でもな? あんまり動き回ってると鬼とかにホラ、見つかるかもだろ?」
「名前さんがどうなってもいいんですか…」
「うぐっ…それは」
痛いところを突かれて、俺は黙ってしまう俺。
そりゃ、わかってるんだよ。俺だって名前ちゃんを探しに行きたいさ。
ただ、俺がそばに居たら安心かっていうと、そういう訳でもないんだよ!
「あー! もうどうしたらいいんだよ!」
頭の中で名前ちゃんを探したい声と、傍に居たら危険な目に合わせてしまうかもしれないという声が入り乱れる。
天井を仰いで俺は泣き叫んだ。
叫び声とほぼ同時、後ろからガサっと音がしたのに、俺は誰よりも早く気が付いた。
眼前の正一君の顔が俺の後ろに視線を向けて、一気に青ざめていくのが分かった。
嫌な予感が過るけれど、俺のゆっくり振り返り、音の正体を探った。
「子供だ…舌触りがよさそうだ」
四つん這いで地面を這う、鬼が舌なめずりでこちらを見ている所だった。
あーもうこれ死んだわ。
血の気が引いたなんてもんじゃない。俺は死を覚悟して気が遠くなるのを感じた。
◇◇◇
部屋ばかり歩いていて飽きたので、廊下に出てみたけど、廊下の方が変化を感じられなくてすぐに景色に飽きてしまった。
それに同じ景色を眺めてると、考え事ばっかり思いつくんだよね。
さっきから止まることのない溜息を一つ吐いて、私は視線を下げた。
何かやたらと曲がり角あるしさ。私迷路とか苦手だったんだよね。
壁伝いにいけば外に出られたりするのかな?
思いつきで右手で壁に触れながら歩いてみたけど、よくわかんないし。
一か八かの思いつきを試している最中、ふと足音のようなものが奥の廊下から聞こえてくるのがわかった。
その音は少しずつ近づいてきていて、より鮮明に耳に捉えることができた。
べちゃん、べちゃん
濡れた足で廊下を歩くような、そんな足音。
音の方へ顔を向けてみたが廊下の先は薄暗くて、私の視界にはまだ映すことができない。
重量感ある足音に、決して人間のそれではないと予感する。
……うそでしょ?
べちゃん、べちゃん、べちゃん
私の予感が外れてくれればそれでいい、なんて心の中で唱えてみたけれど、神様は残酷だ。
まず最初に私の目に映ったのは、足のように太い鬼の両腕だった。
「女だ。しかも若いなあ」
血色の悪そうな皮膚と、やたら図体のでかい影。
額に短い角を生やし、腕だけじゃなく体も巨体な鬼が現れた。
……昨日からこんなのばっかりなんですけど?
視界に捉えた瞬間に、私の足は一歩ずつ確実に後退してく。
自分の死が目の前に、ある。
だけども私はこんなところで、死ぬわけにはいかない。
我妻さんを残して逝けないのだ。
命の危機迫る場面、無い頭で思考を巡らせ少しでも死から遠ざかろうと努力する。
けれども、今の私ではどう足掻いても醜く散るだけだ。
背中に伝う気持ち悪い汗を感じながら、きゅっと唇を噛んだ。
もうおしまい、かも。
そんな事を考えていたその時、別の曲がり角から何かがドドドドと音を立てて近付いてきた。
嘘だ、二匹目の鬼かもしれない。
一匹でも無理ゲーなのに二匹なんて絶望しかない。
いよいよ本格的に走って逃げる覚悟をしなければならない。
どこまでローファーで走れるかわからないけど、生きるためにはやるしかない。
ズザ、と音を立てて地面を蹴る準備をし、近付いてくるもう一つの音と鬼に注意を向けた。
「猪突猛進ッ!」
途端曲がり角から飛び出してきたのは、先程部屋で見かけた猪男だった。
鬼は突然現れた男に対して、腕を伸ばし猪男の身体を掴み上げようとしたが、それを軽やかな身体能力で避ける猪男。
「あれ、あの人…」
その時、猪男の腰に刺さっているブツに目がいってしまう。
見慣れたそれは間違いなく、日輪刀だ。しかも二本。
両腰に刺さる刀に驚愕した。
もしかして、この人は鬼殺隊員?
上半身裸と腰に動物の毛?皮?を巻き付けているから分かりづらいけど、履いている下半身のそれは隊服だ。
「避けたな。随分活きのいい人間だ。お前の肉はえぐり甲斐がありそうだ」
鬼は興味を私から完全に猪男へ向けた。私は廊下の隅にしゃがみ込み、その様子を伺う。
「的がデカいと切り裂き甲斐があるぜ!」
猪男が離れたところから叫びだし、そのまま全速力で鬼に突っ込む。
「我流 獣の呼吸」
二本の日輪刀を身体の後ろから、見えない速さで前で振りかざす。
私は口を押えて見入ってしまった。
「ホホッ、正面から向かってくるとはいい度胸だ」
鬼の言葉が最後まで言い終わる前に、鬼の両腕は綺麗に裂かれていた。
ぼとんぼとん、と鈍い音で腕が床に転がった。
「アハハハハッ、屍を晒して、俺の踏み台となれ!」
今だ、と思った時。
猪男が日輪刀を再度構え、声を上げる。
「参ノ牙 喰い裂き」
巨体の鬼の首はそのまま宙を舞い、猪が首のない身体を蹴り倒した。
そしてそのまま廊下の壁へと跳躍し「猪突猛進!!」と叫びながら走り去ろうと私の横を通り過ぎる。
「ま、ま、待って!」
慌てて私は手を伸ばして、猪男の膝へ掴みかかる。
今ここでこの男と離れるのは危険だ。
気色悪い奴だとしても、付いていくのが得策だと思う。
必死に噛り付くようにその膝に掴むが、猪男は鬱陶しそうにこちらを一瞥して
「うっせぇ、このアマ!」
と反対の足で私の腕を蹴り上げる。
「イッッ…」
あまりの激痛に、思わず掴んでいた腕を離してしまう私。
男はこれ幸いとそのまま廊下を走り去っていく。
「待って、待って!」
逃がすわけにはいかない。
私の痛みが酷い腕を押さえながら、出来うる限りの力で走る。
あの男、女の子に対してなんて事をするんだ。
これで腕が折れていたら、あの男の腕も折ってやる。
追いつくことはできないけど、奴の走った廊下を続いて走る私。
すぐに息も絶え絶えだけど、止まる事は出来ない。
私の生存確率を上げるために。