14. 故郷はない

縁側へ出るとまだ日の上昇りきっていない空、それから少し肌寒い風が私の身体をすり抜けていった。
厠の用を済ませ、来た道を戻っていくと、先ほどまでいなかった場所に人影が見えた。
こんな朝方に誰だ、我妻さんが起きたのかな、なんて思いながら柱から顔を覗かせる。

ちらりと見ると、この肌寒いのにも関わらず、上半身裸の猪が縁側に腰を掛けていた。
あぁ、そう言えばあの猪、昨日の騒動の中1人ぐーすか眠りこけていたような。
あれだけ眠れば目が覚めるのも早いだろう。
表情は猪の被り物をしていてわからないけれど、空を黙って見ている姿は何だか新鮮である。
流石に何も言わないで通り過ぎるのは何か嫌だったので、通り過ぎるついでに声を掛けることにした。

「早すぎません? 嘴平さん」
「あー?」

きっと私が柱から顔を覗かせている事は分かっていたんだろう。
大した驚きもせず、猪の顔がこちらを向いた。相変わらず表情がわからないので声色で判断するしかないけど。
ぎーぎーと床板の音を立ててゆっくり近づいた。
そして嘴平さんの横に腰を掛ける。

「は? 座んな」
「ほんと嘴平さんって一言余計ですよね」

悪態を付きながら、わざとらしく小さく溜息を吐いた。
まだ昨日よりマシだが、いつ昨日みたいに喧嘩になるかわからない。
大体この人は私からすれば苦手なタイプだ。この脳筋タイプ。
我妻さんは何を考えているのか、大体表情でわかるんだけどなぁ。

「何しにきやがったぁ?」
「何も無いですけど。無視して部屋に戻ってもよかったんですよ? 嘴平さんが1人寂しそうだったんで、声を掛けてあげただけです」
「誰が寂しそうだコラぁ!」
「朝なんで静かにしてくれませんか」

そのまま無視して1人、部屋に戻ってもよかった。
戻ったら気持ち良さそうに寝てる我妻さんがいるんだろうけれど。
そんな中で二度寝なんて絶対出来ない。

少しだけならこの猪と触れ合ってもいいだろうと情けをかけただけなのだ。
昨日のファーストコンタクトが最悪だっただけに。
でもこのままだとまた喧嘩になりそうだ。
せいぜい喧嘩にならない内に引き上げよう。

「おい」
「私の名前、おいではないんです。名前っていうんですよ」
「メス」
「……」

嘴平さんと話していたら、プチプチと小さい血管が切れていくのを感じる。
もう少し言葉に気遣いがあってもいい気がする。
この人は一体今まで、どういう生活を送ってきたんだろうか、些か気になる。

ふと、思い出して私は嘴平さんに問うことにした。

「嘴平さん、昨日我妻さんに謝りました?」
「は? なんで俺が謝らなくちゃなんねェんだ」
「…可哀想な我妻さん」

昨日あんなにボカスカ殴られ蹴られの我妻さんが頭に浮かぶ。
あんな酷い目にあったのに、加害者から謝罪もないなんて。
あまりに可哀想で、頭の中で両手を合わせ拝んでおいた。

「私の腕と背中も怪我してるんですよ? ご存知です?」
「はっ! 弱ぇぇ」

足を縁側からプラプラさせて、嘴平さんが鼻で笑う。
弱いとかそういう事を言いたいんじゃないんだけどな。
ほとほと、この人と会話を続けようとすると頭の血管を何本も犠牲にしなくてはならないらしい。
だけどもまあ、もう十分相手しただろう。これ以上相手すると私も手が出そうになる。
こんな人でも優しく対応できる炭治郎さんを見習いたいわ、本気で。

「私は部屋に戻りますので。あんまりお外にいると風邪引きますよ」
「てめえと一緒にするな」
「そうでしたね!」

少しでも優しく言えばこの通りだ。喋りかけるだけでイライラが募るので、それだけ言っては縁側から立ち上がった。
この人といるより寝ている我妻さんといる方が何倍も楽だということに、今更ながら気づいた。
さっさと戻ればよかった。

「おい」

くるりと踵を返そうとした、その時だった。
思い出したかのように嘴平さんが声を掛けてくる。
さっき、たった今会話を終わらせた気がするんだけれど、何でまだ話しかけてくるんだろうか。
とはいえ、話しかけられているので、私は顔だけ嘴平さんに向けて「何ですか」と問う。

「良い仲って何だよ?」
「は?」

突然言われた単語にぽかんとしてしまった。
そう言えば昨日の夕方そんな話を炭治郎さんとしていたいた事を思い出した。
野生人嘴平さんにどう説明すればいいのかわからなくて、顎に手を置いて少し悩んだ。
この脳筋に恋愛的な話をしても通じるとは思えない。そして私もそんな話をしたくない。
適当にやり過ごしたいが、なんと言っていいか悩むな。

「て、手を繋いだり、仲良くお話ししたり、名前を呼びあったり、一緒過ごしたりする仲?」
「はぁ? そんな事かぁ?」

これはちょっと説明が下手だった気がする。でも、猪相手にはこれくらいでいいだろう。
答えること答えて、私は今度こそ自室へ戻ったのだ。



「何処行ってたの?」

障子を開けて部屋に入ると、布団の上でちょこんと腰を下ろした我妻さんが不機嫌そうに呟いた。
どうやら起きていたらしい。しかも寝起きだからか、声も低いし、目つきも若干悪いように見える。

「厠ですけど?」

起きたなら、隣に戻ってくれませんか。
そう尋ねても我妻さんは何も言わない。
私はふう、と息を吐いて、我妻さんの隣に座る。

「起きたら布団畳むので、退いてください」

シッシッと我妻さんを手で払うと、素直に布団から離れる我妻さん。
想像以上に素直だったので、心の中でくすりと笑っておく。

「伊之助と何話してたの?」
「あ、知ってたんですか?」

まさか気づかれているとは思っていなかったので、純粋に驚いた。
布団に手をかけながらそう言うと「嫌でも聞こえるし」と口を尖らせる。
そんな我妻さんを横目に私は、布団に手を伸ばした。

「聞こえてたなら、何話してたかわかるでしよう?」
「内容まではわかんないよ! …距離あるし」
「そうですか、微妙に不便ですねぇ」

とんとん、布団を畳み終え、我妻さんに向き直る。
目が合うと我妻さんは少し顔を強ばらせた。

「早く出てってください」

我妻さんは、今度は素直に出ていってくれた。
最初から素直に動いてくれたら楽なんだけど。

隣の部屋へ消える我妻さんの背中を見送りながら、私はそう思っていた。


◇◇◇


「禰豆子ちゃん、炭治郎さんの妹さんなんですね」

それから炭治郎さんも起きてきたので、朝餉が出されるまで皆さんの部屋で少し話をした。
禰豆子ちゃんは既に木箱へ戻ってしまったが、彼女は炭治郎さんの妹だという。
色々な事情があって鬼にされてしまったが、彼女は人を襲わないらしく、炭治郎さんが人間へと戻すため一緒に旅をしているのだとか。
なんて素敵な兄妹愛なんだろう。

「私も弟がいますが、仲はそんなに良くなかったですね」

ふと現代に残してきた家族を思い浮かべる。
弟とは三歳ほどが離れていたが、よく喧嘩ばかりしていた。

「名前には弟がいるのか」
「ええ。長い事顔は見てませんが……」

視界の隅で我妻さんが、なんとも言えない顔でこちらを見ていた。

「そう言えば、名前の故郷は何処にあるんだ? 服装も見かけないものだったから」

炭治郎さんの言葉にどう言っていいのか困る私。
うーん、どこまで説明しようかな?
言いづらい空気を察してくれたのか、「気になっただけだから、言いにくいならいい」と炭治郎さんが言ってくれた。
有難く私は炭治郎さんに微笑んでおく。


私の故郷は、もうないんです。


喉から思わず出てしまいそうだったが、なんとか堪えた。