奥へ奥へ進むにつれて、沢山の血痕と沢山の死骸が目に入ってくる。
上空に吊るされた人を何人も見た。
下ろしてあげたいけど、今の私には何もできない。
自分の無力さに絶望しながらも、一つ一つの亡骸に「ごめんなさい」と言いながら先へと進む。
山に入った当初は気にならなかったが、段々刺激臭のような臭いが強くなってきているような気がする。
何の臭いだろうか。ツンと鼻を刺激するこれは、どう例えていいのか分からないけれど、決していい匂いなんかじゃない。
あちらこちらに触れて、擦り傷だらけとなった手で、草木をかき分ける。
闇夜の所為で最初は分からなかったけど、そのうち目が慣れたのだろう。
死骸の周囲とそこら中に蜘蛛の糸が張り巡らされている事に気づいた。
私の手の擦り傷は蜘蛛の糸でいつの間にか、傷ついたのもあるのだろう。
顔の汗を袖で拭って、空を見上げる。
忌々しくもまだ月は空にあった。
まだまだ夜は明けない。日が出ているだけで、鬼殺隊は有利になるのに。
「チュン」
気が遠くなって足元に視線を落としていたら、突然聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
もしかして、チュン太郎ちゃん?
私の足は鳴き声のする方へ方向転換し、スピードを上げる。
何時間も動きっぱなしだから、足元はフラついているけれど、我妻さんの手がかりを見つけた今、止まることは出来ない。
チュン太郎ちゃんがいる方向には、必ず我妻さんがいる筈。
必死そうに感じる鳴き声を頼りに進めば、酷い臭いが先程よりも強くなってくる。
思わず顔をしかめつつ、腕で鼻を庇いながら、私は声を上げた。
「あ、がつまさん…我妻さん! チュン太郎ちゃん!」
きっとこの近くにいる、我妻さんは。
私は我妻さんのように音が聞こえないし、炭治郎さんのように匂いもわからない。
勿論、嘴平さんのように感覚も鋭くない。
それでも、どれだけ歩こうとも、どれだけ時間が掛かろうとも、絶対見つける。
だから私はこの山へ入ったのだ。
倒れていた大きな木を跨ぎ、草木をかき分けたその時。
木々の隙間から、強い眩い光と衝撃音が辺り一面を襲った。
あまりの衝撃と光に反射的に顔を隠す。
一寸遅れて周りの木々も衝撃を受け、軋むように揺れる枝。
私も衝撃にあてられて足を取られたが、何とかその場で踏ん張った。
衝撃も光も長くは続かず、しばらくするとまた目が慣れたようだった。
そして私は衝撃的な光景を目にした。
家が吊るされている……?
木々の隙間から見えたのは、一軒の家が蜘蛛の糸によって、頭の遥か上に吊るされている光景だった。
そして家の隣には捕まった鬼殺隊員と、人の形から手足が異形の者へ変化している人?が吊るされている。
ここに来るまでに吊るされていた人とは違う。
まるで、蜘蛛のような手足の。
……何なの、あれ。
あまりの気味の悪さに右手で口覆う。
精神的衝撃が強すぎて言葉にできない。
…人を蜘蛛にしているの?
あまりの恐ろしさに、ずりと思わず後ろへと後退した。
ふと足に何かが当たった気がして、慌てて振り返った。
ちらっと視線を下に向けると、そこには両手よりも大きな蜘蛛が落ちていた。
「……ひっ」
それを蜘蛛の認識した瞬間、私の口からは何とも情けない声が漏れた。
落ちていたという表現が正しいのか分からない。
何十体と蜘蛛がお腹を上にして倒れている。
ただ、信じられない事に蜘蛛の体に人間の顔が付いているのだ。
こんな恐ろしい蜘蛛が存在してたまるか。
ヒュッ、と息を飲み込んだ。
どうか、夢であってほしい。
変な話だ。
さっきまで悪夢を見ていたのに、今はこの現実が夢である事を願っている。
出来る事ならさっさとここから離れたい。
その為には早いところ、我妻さんを見つけなければならない。
「キモイキモイキモイ…我妻さん、どこにいるのよぉ…」
せめて普通の蜘蛛ならばここまで気味が悪く感じなかっただろうに。
私は半泣きになりながら悪態を思わず吐いてしまったが、ふと思った。
何でこの蜘蛛達は、倒れているのか、と。
よくよく考えて冷静に蜘蛛を見回すが、一匹も動いていない。
……こんなにいるのに?
頭の上にチクりと何かが落ちてきた気がして、私は上を見上げた。
上空につるされた家。信じられない光景だが、山ほどの人面蜘蛛よりはマシだろう。
よく見ると家からパラパラと木片が落下してきていた。
木片を避けるように家の真下へ移動した。
下から確認すると、家の壁に大穴が空いている。大穴からは満月が顔を出していた。
「は?」
穴から見えたのは月だけじゃない。
それが目に入った瞬間、物凄い勢いで血の気が引いていく。
ひらひら、と穴から見えたそれは、金色の羽織。
見慣れた、あの人の。
体中の感覚が無くなるような衝撃だった。
「そこに、いるの?」
ここからだと羽織の一部しか見えないが、間違いなくそこにいるのだろう。
我妻さんが。
「我妻さん?」
下から声を掛けてみた。
が、上からは返事はないし、羽織が風以外で揺れる事もない。
何で返事をしてくれない、の…?
「我妻さん…?」
私の声も段々自信を無くしていく。
嘘でしょう、ねえ、我妻さん。
ねえ、お願い。返事をして。
祈るように何度も何度も名前を呼ぶ。
それに答える声は今だ聞こえない。
一瞬諦めが頭を過ったその時、私の耳には聞きなれた呼吸法が聞こえてきた。
物凄く小さい音だ。
環境音と一緒になって分かりづらいけど、それは確かに私が数年身近に感じてた音。
雷の、呼吸。
我妻さんは、生きてる。呼吸をしている。
でも、いつものそれとは比較にならないくらい弱々しくて、いつ途切れてしまうかわからない。
私は、何もできずに。
上から我妻さんを下ろす事も、回復させてあげる事も。
チュン、チュン。
自分の弱さに頭が真っ白になっていた時、チュン太郎ちゃんの鳴き声がまた聞こえた。
私の視界を横切るように飛んできたチュン太郎ちゃんを掌へ迎える。
「チュン太郎ちゃん、我妻さんは上にいるの?」
私はチュン太郎ちゃんの言葉は分からないけど、聞かずにはいられない。
小さな頭はこくりと上下に揺れた。
「我妻さんは、動けないのね?」
下にいる私に返事が出来ないくらい、弱っている。
そう尋ねるとチュン太郎ちゃんは私の指に頭を絡めた。
「わかった。私が、助けを呼んでくるね」
本当はこのまま我妻さんの近くに居たい。
ほんの少しでも離れたくはない。
でも、今はそんな事をしている場合ではないのだ。
夢の中でも、現実の世界でも、彼を死なせないと決めた。
それに私はまだ我妻さんに伝えてない事だってある。
「私が戻るまで、死なないでって我妻さんに伝えて」
ふっと手のひらから飛び立つチュン太郎ちゃん。
私はその場にスクールバックを投げ捨て、来た道を走り戻った。
誰か、誰か。
炭治郎さん、嘴平さんでもいい。誰か助けを呼んでくるから。
この足がちぎれようとも、絶対に。
戻ってくるから。