長く走っていたら、ツンと鼻をつく臭いにも慣れた。
足はよく絡まるし、どこを走っているのかも分からない。
もしかしたら同じ道をぐるぐる回っているかもしれない。
走っても走っても同じ光景を見続け、固く決心した気持ちが揺らぎそうになる。
その度にあの弱々しい呼吸を思い出して、自分を奮い立たせた。
我妻さんしかいなかったのなら、炭治郎さんや嘴平さんがどこかにいるかもしれない。
あの二人が簡単にこと切れるとは思えないので、絶対に無事でどこかにいる筈だ。
そう考えていたら、足元の石に気づかず、躓いて大きく倒れてしまった。
倒れた拍子で全身がギシギシと痛む。
こんなに走ったのは初めてだ。元より体力はあった方だったが、一晩中走り回るなんて初めての経験だ。
ずりずりと重たい身体を起こして、ゆっくりと立ち上がる。
なんて情けないんだろう。
皆が戦っているのに、私は助けを呼ぶだけで精一杯。
大切な人が死にそうな目にあっているのに、自分の無力さに腹が立つ。
悔しさから奥歯を噛み、スカートの裾を強く掴んだ。
途端、その声は上空から降ってきた。
「あら? どうされました、学生さん」
この場に似合わない、ふわっとした甘い香りと優しい声がその場に響いた。
思わず身構えながら声の方向へ顔を向けると、月を背中に一人の若い女性が軽やかに私の目の前に降りてきたのだ。
綺麗な紺の髪色。頭の後ろに蝶の髪飾りが見えた。
彼女は隊服にまるで蝶の羽のような柄の羽織を身に纏い、私の前で立ち止まった。
腰には複雑な形の鍔の日輪刀を携えて。
「……鬼殺隊の…方ですか?」
もう声も枯れつつあり、なんとか絞り出した声はさぞ聞こえにくかっただろう。
それでも目の前の女性はにこりと微笑んで、こくりと頷いてくれた。
日輪刀を携え隊服を着ている時点でそうだろうが、本当に信じられない。
…助けが、来てくれた?
「ええ。学生のお嬢さん、どうしましたか?」
優しく微笑む女性は、優しく私の顔の泥を払い首を傾げる。
思わず視界が涙で歪む。
……本当、に? 助けが来てくれたんだ。
自分の頬にある手をガシっと掴み、私は訴えた。
「お願いします、助けてください! 我妻さんが、死んでしまいます!」
ポロポロと止めどなく零れる涙。
私の顔は泥やら涙やらで汚い事になっているかもしれないけど、そんな事はどうでもいい。
この人に我妻さんの存在を教えなければ。
今あの人を助けられるのは、この人しかいない。
「学生のお嬢さん。大丈夫ですよ、ゆっくりお話し下さいね」
相変わらず微笑みながら私の肩を撫でる女性。
彼女は私からある程度情報を得ると「わかりました。先に行って見てきますので、お嬢さんはゆっくり付いて来て下さい」と言い、軽やかに空を舞った。
女性の後を付いていこうとしたが、あまりの速さに早速女性の姿を見失ってしまった。
早すぎる。彼女はとても華奢に見えたが、凄い人なのだろうか。
彼女の飛んでいった方向へ歩を進めながら、私はただただ我妻さんの無事を祈った。
私が我妻さんの元に戻ってくるまで、相当な時間を要した。
助けが来たと安心した足が、まともに動かなかったからだ。
やっとの思いで戻ってくると、そこは周囲の臭いが緩和され、吊るされていた人達が無事に下ろされていた。
恐らくあの女性が応援を呼んでくれたのだろう。隠の人たちが数人、近くの蜘蛛を拾い、包帯のようなものでぐるぐるのがちがちに固定していた。
気を取り直して、私はすぐに我妻さんの姿を探した。
彼は無事だろうか、何かあったら私はもう生きてはいけない。
血の気が引いた顔のまま、私はぐるぐる巻きにされている人、一人一人を確認していく。
隠の人が私の様子を見て、応急手当をしようと近寄ってくるが丁寧に断った。
「…あ、」
見つけた。
包帯でぐるぐるにされているけど、木を背中にして座らされていた、彼。
頭に乗っていたチュン太郎ちゃんが私を見て、飛んできてくれた。
胸のあたりに「治療済み」という張り紙を見て、私は心底安心した。
包帯は顔や頭のあたりまで巻かれていて、目元しか分からなかったけど、
確かに我妻さんだ。
包帯から除く金髪の髪、不安そうな瞳がこちらを見ている。
口元も包帯が巻かれているので、喋れはしないけど
私を見て何か言いたげに身体を捩る我妻さん。
体中が痛いのも気にせず私は我妻さんに近寄っていく。
「……勝手に山に入ってごめんなさい」
第一声は謝罪だった。
そして、引っ込んでいた涙がまた溢れ出してきた。
驚いたような眼をした我妻さんが唸る。
あんなに三人に待てと言われ別れた筈だったのに、私は山に入ってしまった。
そこには色んな事情があるけれど、何も知らない我妻さんはきっと驚いた筈だ。
我妻さんの前へ座り、包帯から出ている髪に触れた。
会いたかった。
生きてる貴方に。
夢の中で血だまりに倒れている我妻さんを見てから、気が気でなかった。
あの夢のように、私の腕の中で冷たくなっていく様子なんて想像したくない。
「一人で先に逝かないで……」
涙で声が詰まりそうになる。
我妻さんは何も言わず(言えず)に私をじっと見つめている。
膝立ちをして我妻さんの頭を抱きしめた。
「貴方が好きです」
頬を伝った涙はポタポタと我妻さんの包帯へ染みていく。
貴方を守れるような女の子でなくて、ごめんなさい。
貴方の助けにならなくても、傍に居たいんです。
頭の片隅にちらりと現代の家族が過った。
ごめんね。私、もう帰れない。
心の中で家族に謝罪をしながら、一層強く我妻さんを抱きしめた。