21. やらない

暫く伊之助さんとお話をして、少し肌寒くなってきたので部屋へと戻る事にした。
偶にはこういうのもいいかもしれない。
少なくとも、私は以前の伊之助さんより扱いやすくなったと感じるし、まるでお友達になったみたいに距離が近くなったと実感できた。

「ただいま戻りました」

二人で部屋へと戻ってくると、部屋には何故か号泣している我妻さんと困った顔をした炭治郎さんがいた。
吃驚して私は慌てて我妻さんに駆け寄る。

「ど、どうしたんですか? 我妻さん」

なるべく優しく問いかけてみたが、我妻さんはちらっと私を見るとより一層びぇええええんと気持ち悪い声で泣きはじめた。
私が一体何をしたの言うのだろうか…。
よく分からないので、炭治郎さんに聞いてみたけど「俺からはなんとも…」と煮え切らない態度。

「おい、うるせぇぞ」

伊之助さんが我妻さんの横を抜け、自分のベッドへ潜り込む。
大きな雫を目の縁に溜めて、キッと伊之助さんを睨みつける我妻さん。

「お前の所為だろうが! お前の!」
「伊之助さんに何かされたんですか? 我妻さん」
「いや、だから……って、いのすけ、さん?」

さっきまでガンガン泣いていたのに、ころころと変わる表情に苦笑した。
殺気だった様子で伊之助さんに噛みついていた我妻さんが、驚愕した顔でこちらを見つめる。
今度は私かい、何なんだほんとにもう。
一瞬ぽかんとした我妻さんは私の肩を掴もうとしたけど、腕が短くて足りず私の前に崩れ落ちた。
それを咄嗟に抱きとめる私。

「伊之助さんが、何か?」
「は、はぁああああ? い、いのすけさんって何だよォオオオ!」

私に抱きかかえられたまま、見上げて大声で叫ぶ。
近距離でその声を聞いてしまったばかりに、私の耳がキンと痛んだ。
だから、私が何をしたっていうの。
少しばかりの苛立ちと呆れで、私ははあ、とため息を吐いて我妻さんを元の位置へと座らせた。

「今日の我妻さん、何か調子悪いみたいですね」

何か疲れた。
別にそっけなくされるのはいい。原因は私だから。
でも身に覚えのない事で怒鳴られるなんて、私そんな面倒な人の相手をしたくないし。

すっと気持ちが冷めていくのを感じ、私はすたすたと自分の部屋へ戻る事にした。

「名前ちゃん? まだ話は終わってないんですけどぉお!」

我妻さんの声を聞きながら私は力強く扉を閉めた。



◇◇◇


「善逸……」

炭治郎が呆れたように俺を呼ぶ。
分かってる、炭治郎が言いたいことは。

名前ちゃんが出て行った。しかも結構怒ってる。
扉に向かって手を伸ばしたけど、華麗に無視されてしまった。
彼女が怒るところを見るのは初めてじゃないけど、それでも胸にチクリと痛みが走る。

「名前が可哀想だ」

炭治郎の言いたい事は分かってる。

でも、名前ちゃんの事を考えると、気持ちが振り回されておかしいんだ。
俺だって名前ちゃんに普通に接したいさ。
名前ちゃんの顔を見ると、那田蜘蛛山での出来事を思い出して、小っ恥ずかしくて、もどかしくて。
彼女は俺の事を好きだと言ってくれたあの時、俺は情けなくも反応できなくて。
感情を制御出来なくて、今に至るんだけどさ。

そんな時に「伊之助さん」なんて言われてる場面を見てしまったら、俺はもうどうしたらいいのかわかんないよ。

「名前ちゃんに嫌われたくないんだ」

どうしたらいいかな、炭治郎。
涙を乱暴に拭いながらそう聞くと、炭治郎は眉を潜めた。

「名前が善逸を嫌うなんてあるわけないだろう」

素直になればいいと思うよ。と炭治郎は言った。
それが一番難しい事をこの真面目馬鹿は理解しているのか?
言われたことは理解出来るけど、名前ちゃんに対して素直になれるかと言われると、わからない。
一人悶々と考えている間に、伊之助は布団の上で肘を付いて俺の方をじっと見てくる。

「紋逸が寝こけてる間に、奪っちまうぞ」

ぼそりと伊之助が呟いた声が、俺の頭の中で何とも反芻する。

は?
奪う?

全身の血が一瞬にして沸騰したみたいに身体が熱い。
反射的に伊之助を睨むが、当の伊之助は平然としていた。


「は、何だよ伊之助。お前名前ちゃんの事、好きなの?」


俺だけが余裕なくて。
それが何故だか伊之助に見られたくなくて、隠すようにわざと煽った。
煽ったつもりだった。
いつもの伊之助なら「んなわけねえだろうがァ!」と怒る筈だと思っていたからだ。

だが、伊之助は何も言わなかった。
まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。

何だよコイツ。
ふざけるな、名前ちゃんは俺が、俺の事が


好きなんだよ、俺も。


思わず怒りで拳を作った。
袖からは見えないし、今の俺じゃ立ち上がることもままならないけど。
ずっと好きだった。いつからなんて分からない。
爺ちゃんの屋敷に居た時から、ずっと一緒だったんだ。

いつか彼女は元の時代へ帰ってしまうかもしれない。
そんな考えが頭を占めていた時もあった。
でもそんな事どうでもいいんだ。


「お前にだけはやらないからな」


伊之助にそう言うと「うぜぇ」と声を上げた。