詳しいお話をしていたら、いつの間にか夕方になってしまった。
私は少しだけ気持ちを吐き出したことにより、何だか少しすっきりした気がする。
しのぶさんの部屋を出て、廊下を歩いていく。
我妻さんと2人だけの秘密ではなくなってしまったけど、味方が沢山いると思ったらこんなに心強いことはない。
しのぶさんの方から、多方面に周知してくれるということだった。
すごく有難いけど、私は今後人がいる場所で過ごさなければならない、と言われてしまった。
決してこの屋敷が安全かと言われると、必ずしもそうではないから、と。
まあ、その方が私も気は楽なんだけど。
でも一緒に過ごす相手って、アオイさんたちは忙しいだろうし、我妻さんはなんか当分顔みたくないし。
結構限られるんだよね。
まあ我儘を言ったって仕方ないから、しばらくはあの3人の訓練に立ち会っておこう。
我妻さんも変なこと言わないだろうね!
…言わないよね?
考えたら少し心配になったけど、まあ仕方ない。
縁側を歩いていたら、向こう側から伊之助さんが歩いてきた。
一瞬私の顔を見て、ビクンと猪の頭が揺れる。
あ、動揺してる。そう言えば、訓練始める前に小言を土産に置いてきたっけ。
伊之助さんもなんか女の子に対して失礼な事言ってたから、ムカッとして言っただけでそこまで他意はないんだけど。
無視するわけにも行かないので、私は伊之助さんの声をかけた。
「訓練は終了したんですか?」
ぎこち無く微笑んだのだが、伝わったようで「あ、あぁ」と詰まりながら返ってきた。
立ってるのもなんなんで、2人で縁側に腰を掛けた。
茜色の空がゆっくり空全体を包み込んでいた。
その光景が神秘的で思わず「綺麗ですねー」と声を上げた。
伊之助さんは首を傾げながら私の見ている方向に目をやるけど、理解はして貰えてないみたい。
この猪に理解しろというのが難しいのかも。
「今日は訓練は上手に出来たんですか?」
昨日まで炭治郎さんと2人、訓練終了後は今にも死にそうな顔で部屋に戻ってきていたから、訓練自体は難しい筈だ。
我妻さんが士気を高めたけど、それにしたって大変だと思うし。
疑問をぶつけると、伊之助さんは思い出したようにこくりと頷いた。
「あたりめェだろ!紋逸に出来て俺に出来ねぇことはないぜ」
「あ、我妻さんも出来たんですね。はあムカつく」
あんなに気合い入れてたから頑張るよねそりゃ。
脳内で女の子とキャッキャウフフしている我妻さんが目に浮かぶ。
ウザイ、ほんとウザイ。
「なぁ」
「なんでしょう?」
珍しく伊之助さんから話しかけて来た。
この人とは最近よく話すようになったけど、それでも私が聞いたことに対しての返事が殆どである。
猪から話しかけてきたのは、数回くらい。
猪の頭に問いかけてみると、奴はすっと頭を揺らせて少し挙動がぎこち無くなる。
何だろう。小刻みに猪の頭が揺れているのは少し気持ち悪い。
「言いたくないなら、別にいいんですけど…」
「そんなんじゃねェ!」
「では何でしょう」
「うぐっ」
そんなに言いづらいのだろうか。
さっきから何か言おうとしては止めてを繰り返している。
いつもの伊之助さんらしくないから、変なの。
暫く悶えた伊之助さんは、意を決したように、私に向き直った。
「名前」
「はい」
「…手を出せ」
「…はい?」
初めて伊之助さんに名前を呼ばれた気がする。
わりと新鮮だけど、悪い気はしない。
でも手を出せは結構違和感ある。
「こうですか?」
右手を掌が上になるようにぱっと前に出した。
それを見た伊之助さんは、ガシッと乱暴に掴む。
少しびっくりして慌てて引っ込めようとしたけど、手はビクともしない。
手と猪の頭を交互に見つめて「あの?」と問う。
「なんだよ」
「いや、こっちが聞きたいんですが。どうしました?」
「手を繋いで悪いのかァ?」
「あ、手を繋いでるんですか、これ」
機嫌悪そうに「見て分かるだろ」と言われたが、いや分からない。
残念ながら一方的に掴まれただけだ。
「何を思ってかは知りませんが。伊之助さんの手も固くて大きい手ですね」
ふと掌にある細かい傷だらけの手を見つめた。
我妻さんみたい、と声を出すと伊之助さんは「うぜぇ」と声を上げた。
ぎゅうっと手に力が掛かったのが分かった。
「あの、女の子にはもっと優しくしてあげるべきですよ」
その内痛みそうな手を見て私は言う。
この猪は女子の扱いを心得ているのだろうか?無理だろうな。
こんなに強く掴まれたら、私は別にいいけど意中の女子なら嫌がってしまう。
「は?」
「女の子と手を繋ぐときは優しく掴まないと」
こんな感じ、と伊之助さんの手を軽く握ってあげる。
すると伊之助さんは急に黙り込んでしまった。
どうした?どうした猪?
無反応になってしまった伊之助さんにびっくりしたけど、手は離してくれないし。
再起動させるのを暫くこのまま待った。
「俺と、名前は…」
「ん?」
意識が戻ってきたか。
伊之助さんの口が開らくと同時に猪の頭が剥ぎ取られる。
あ、イケメン登場。
ガラス玉みたいな目が私を見つめる。
「良い仲か?」
「え?」
思わず声に出してしまった。
意味がよく分からなくて、首を傾げた。
軽く舌打ちをした伊之助さんがもう一度口を開く。
「だから!俺とお前は良い仲かって聞いてんだよ!」
「いや、はい分かりますけど」
分かってるなら何か言えよ、とぶっきらぼうに言われてしまい、私は戸惑った。
どう答えたらいいの?
伊之助さんと初めて会った日にそんな会話をした事を思い出した。
良い仲とは何だと聞かれて、手を繋いだり、一緒に過ごしたり、名前を呼んだりみたいな事を言った気がする。
え?
ここ最近の伊之助さんの様子がフラッシュバックする。
急に散歩についてきてくれたり、名前を呼び合ったり、そして最後はこの手。
順を追って理解していくと、最終的に私の頭はボンと音を立てて湯気が出そうなくらい熱を持った。
「え、ええ?いや、あの、えと違、あの」
「はぁ?何が違うんだよ」
「いえ、えっと、仲は良いですよ?最近はね、えっと…」
なんと答えればいいだろう。
きっと伊之助さんにはなんの気なしにした事だと思うけど、意味合いはちょっとまずい。
あの時の説明をもっとちゃんとすれば良かったと後悔した。
「良い仲というのはですね、お互いが相手のことを想っていて…ですね、えと…」
「だから何だ」
「私と伊之助さんは、仲は良いですけど、良い仲と言われると違うような…?」
何を説明してもしどろもどろになってしまう。
あぁもう、誰かこの猪に分かりやすく教えてあげてください!
「違わねェだろ」
ぶすっとした顔でそう言う伊之助さん。
え、と…?
私がなんて言おうかなと悪戦苦闘している時。
突然後ろから声が聞こえた。
「何してんの?」
慌てて振り返ったら、目が座った我妻さんがいた。
思わずポカンとしてしまったけど、我妻さんはその様子にかなり苛立ったようで「何してんのって聞いてるんだけど」ともう一度聞いてきた。
怒ってる!めちゃくちゃ怒ってる!
なんか怒ってる!
我妻さんが怒ってる!
私はもうさっさとこの場から逃げ出したい気持ちになった。
帰っていいかな?