名前ちゃんが消えた。
俺の目の前で。
彼女と屋敷の庭で休憩していただけだ。
もう休憩が終わる、と彼女が俺の背中を押していたと思ったら、彼女のハンカチが風で飛んで。
それを捕まえに行った彼女が突然、黒いもやのようなものに包まれた。
何の音もしなかった、気づかなかった。
彼女の小さい悲鳴が聞こえて、そこで初めて手を伸ばしたけど、到底間に合わなかった。
彼女を包んだもやは、一瞬のうちに空へ消えてしまい、その場には彼女のハンカチだけが落ちていた。
連れ去られた、鬼に。
時間の余裕はない。
後ろから炭治郎が走ってくる音が聞こえる。
鬼の臭いを感じたんだろう。
炭治郎の他にしのぶさんや伊之助の足音も聞こえる。
俺は名前ちゃんが消えた所をひと睨みしてから、その場から全速力で駆け出した。
鬼の音は分からなくても、彼女の音はまだ聞こえてる。
彼女の痕跡がある今、俺のするべき事は一つだ。
必ず守るって約束したんだよ。
家族に会うことが出来ず、見知らぬ土地、時代で何年も過ごしてきた彼女を、
俺が必ず守るって。
「チュン太郎!」
ちゅん、と俺の頭の傍ににつくチュン太郎。
廊下では状況を把握した鎹鴉が鳴きわめいていた。
部屋に置いてた日輪刀だけを掴んで、俺は走り出ていこうとした。
「善逸さん!」
廊下を出てすぐにアオイさんに捕まった。
アオイさんの手には隊服と羽織が掛けられていた。
今はそれどころじゃないと首を振ったが、アオイさんはまくし立てるように口を開く。
「隊服を!これがあるのと無いのとでは全然違います!」
緊急事態なのはわかっていますが!と声を荒らげる。
その顔は不安と怒りが満ちていた。
アオイさんも名前ちゃんが心配で堪らないのは、音と顔で分かった。
アオイさんだけじゃない、この屋敷にいるみんなそうだ。
この屋敷を纏う空気がそれを物語っている。
「ありがとう」
そう言って俺は隊服と羽織を受け取った。
ーーーーーーーーーーーーーー
「名前、もう起きないと遅刻よ」
母の声が頭から降ってきた。
まだまだ眠気が残る瞼をゆっくり開けると、小さくため息を吐いた母と目が合った。
「和樹はもう出ちゃうわよ」
扉を顔の分だけ開けてそれだけ言うと、母はトコトコとフローリングを歩いて行ってしまった。
よく寝ていたのだろうか。
まだ夢を見ているような、ふわふわした感覚になりながらも上半身を起こす。
ちらりと時計を見ると7時。
いや、まだ寝れる。
もう一眠りさせて貰おうかなーっとベッドに横になった。
あー久しぶりにスプリングの効いたベッドに寝たから、布団から出るのが辛い。
……え?
いつも私はベッドで寝ていたよね?
なんで、久しぶりって思ったんだろう?
ふとした疑問が頭に浮かぶと、さっきまで眠かったはずの頭も起きてしまった。
やっぱり布団から出よう。
変な感じがして、ベッドから抜け出す私。
自分の部屋、だよね?
部屋を見回すと見慣れたいつもの自室である。
学習机の周りはヘッドフォンが転がっていて、壁には私のセーラー服が掛けてある。
本棚には途中で集めるのを辞めた漫画が入っているし、足元には昨日読んだ雑誌が乱雑に重ねられている。
何一つ変わらない私の部屋だ。
なんだろう?違和感が消えない。
おもむろに壁のセーラー服に近づいた。
近くで見ても変わらない。
この前夏服を出したばかりだから、綺麗だし。
綺麗?
あれ、セーラー服こんなに綺麗だった?
最近、砂埃が酷くて洗ってばかりで結構傷んでよね?
なんで、汚れてたんだっけ?
枕元のスマホを掴んで、画面を見た。
あれ、電源入ってる。
昨日充電したから当たり前だけど。
でも長い間充電が切れてて使えなくて……あれ?
「名前、まだなのー?」
母の声にはっとする。
ああ、そうだ。
学校行かないと。
適当に返事をして私は、セーラー服を手に取った。
さっさと着替え終わると、私は鏡で自分の姿を確認する。
あ、羽織がないわ。
どこいったんだろ。
キョロキョロと部屋の中を探した。
羽織?
羽織って、何?
カーディガンではなくて?
訳が分からなくて首を傾げた。
ん?どういうこと?
セーラー服の上に羽織なんか着てたっけ?
若葉色で、金色の羽織と一緒に並んでも可愛かった羽織。
金色の羽織?
頭がずきんと痛む。
金色を思い浮かべるだけで、頭が響くようだ。
ずっとその羽織を見ていた。
長い間、ずっと隣にいた。
金色の羽織の…だれ?