目を開く前に感じたのは、臭いだ。
何かが腐ったような臭いと埃っぽいような。
いい臭いではないそれに顔を歪め、瞼を開けたのだった。
視界は思っていたより暗くて、目が慣れるまではうっすらとしか見えない。
頭上の月明かりに、なんとか助けられている部分が大きい。
段々目が慣れてきた。
自分の状況も理解した。
ここは、何度も夢見た場所。
竹林だった。
大小様々な竹がそこら中に生えている。
私は特に縛られている様子もなく、地べたに寝かされていた。
身体を動かそうにも、何故か動けない。
思い出した。
私はハンカチを取ろうとしていたんだった。
ハンカチに触れた瞬間に黒い煙みたいなのに包まれて…
ここに連れ去られたのか。
「もう起きちまったのかァ?」
何度か聞いたことのある声が掛けられた。
「久しぶりに家に帰れて良かっただろう?ずっと寝ておけば、苦しまなかったのによ」
鬼の言葉にギリっと唇を噛む。
私が見ていたのは、現代に限りなく近い夢だ。
この鬼に見せられていた、という現実が胸に刺さる。
泣きたくなるくらい、酷い夢だ。
鬼は月明かりの下に姿を現すと、その真っ赤な目で私をじろりと見た。
「いつもなら目覚める筈はないんだが。まあ、いい。最期の慈悲で見せてやっただけだからな」
ヒヒッ、と気持ち悪く笑い、私を見下ろす鬼。
最期、それは私の命がもう幾ばくもないという事だろう。
この鬼にしてみれば、私は待ちに待ったご馳走。
自分の術でわざわざ私を呼び寄せ、さっさと食べたかった代物の筈。
「慈悲…?」
鬼の言葉をオウム返しする。
現代の夢を見せられていた。
とても居心地が良くて、懐かしくて。
私の大切な家族に囲まれて。
でもそれは夢だ。
あのまま取り残されていたら、私は二度と目は覚めなかっただろう。
帰れた訳では無い。ただ死ぬ前の夢だ。
あれが慈悲だと?
「 時間は掛かったが、やっと頂くことが出来る。面倒な所に逃げてくれたお陰でな」
鬼がしゃがみこんで私の前髪を掴む。
そのまま顔を持ち上げられ、鬼の顔が近づく。
犬歯が発達した口元、赤く充血した目、そして何より臭い。
「お?臭うか?前菜を頂いただけなんだがな」
私が顔を歪めた事に気づいた鬼が、背後を指さした。
ちらりとそこに視線を向けると、褐色に染まった布と人の足の一部が転がっていた。
さっきから感じていた臭いの原因だ。
「人を殺したの…?」
「味はいまいちだったがな。やっぱり、別時代の味には勝てねぇよ」
ニヤリ、と気味悪い笑みを浮かべる鬼。
考えて。
このままだと私はこいつの胃袋の中だ。
何か方法があるはず。
頭の中を色んな情報が駆け巡る。
まだ死ぬわけにいかない。
何か、手が。
それなのに私の身体は動かない。
手足が痺れたように、横になっている。
薬を盛られたか、鬼の術か。
「どこから頂こうか。あれだけ楽しみにしてたんだ、ゆっくり頂くぜェ?」
髪から手を離した鬼が、私のお腹をするりと撫でる。
ゾクリとした感覚に逃げたくなる。
触らないで、来ないで。
「お前の前に呼んだガキは男だったが、脂身が豊富でな。次は程よく痩せてる女にしようと思ってたんだ」
そんな理由で私は呼ばれたのか。
鬼をキッと睨みつけながら、私は口を開いた。
「あんたみたいなクズ、もうすぐ死ぬよ」
「はァ、自分の状況わかってんのかァ?」
「私を殺した後、あんたは首を斬られる」
私を何処から連れ去ったのか覚えていないのか。
あの屋敷に一体どれだけの鬼殺隊の隊士がいたと思ってる。
そしてその実力も。
彼らが間に合わなくても、きっと後で必ず成し遂げるだろう。
「言うじゃねえか」
クッと小さく笑い、鬼が私から離れた。
手足は動かないけど、胴は捩ることができる。
ゆっくり鬼から後退する私。
それを見下ろしながら、鬼は笑っていた。
もうすぐ私は死ぬかもしれない。
そうはなりたくないが、現状抵抗する術がない。
彼らが来てくれるなら、助かるかもしれないけど、来てくれるだろうか?
連れ去られた時だって一瞬だった。すぐにここまで来れるとは限らない。
食われて死ぬ。
その現実が重くのしかかる。
怖い怖い、こわい…
でも、タダでは死なない。
こいつを殺せなくても、私以外の誰かが殺してくれる。
我妻さんなら、きっと。
金色の羽織を纏った我妻さんを思い浮かべる。
いつも私を守ってくれたあの人なら、鬼なんかすぐに殺すだろう。
私が死んだ後でも。
私は鬼から目を離さない。
睨みつけたまま、無理矢理にでも手を動かそうと藻掻く。
無抵抗で死ぬ気はない。
でも、死ぬ前に顔が見たかったな。