31. 目覚め

目を開く前に感じたのは、臭いだ。
何かが腐ったような臭いと埃っぽいような。
いい臭いではないそれに顔を歪め、瞼を開けたのだった。
視界は思っていたより暗くて、目が慣れるまではうっすらとしか見えない。
頭上の月明かりに、なんとか助けられている部分が大きい。

段々目が慣れてきた。
自分の状況も理解した。
ここは、何度も夢見た場所。
竹林だった。

大小様々な竹がそこら中に生えている。
私は特に縛られている様子もなく、地べたに寝かされていた。
身体を動かそうにも、何故か動けない。

思い出した。
私はハンカチを取ろうとしていたんだった。
ハンカチに触れた瞬間に黒い煙みたいなのに包まれて…
ここに連れ去られたのか。


「もう起きちまったのかァ?」


何度か聞いたことのある声が掛けられた。


「久しぶりに家に帰れて良かっただろう?ずっと寝ておけば、苦しまなかったのによ」


鬼の言葉にギリっと唇を噛む。
私が見ていたのは、現代に限りなく近い夢だ。
この鬼に見せられていた、という現実が胸に刺さる。
泣きたくなるくらい、酷い夢だ。

鬼は月明かりの下に姿を現すと、その真っ赤な目で私をじろりと見た。

「いつもなら目覚める筈はないんだが。まあ、いい。最期の慈悲で見せてやっただけだからな」

ヒヒッ、と気持ち悪く笑い、私を見下ろす鬼。
最期、それは私の命がもう幾ばくもないという事だろう。
この鬼にしてみれば、私は待ちに待ったご馳走。
自分の術でわざわざ私を呼び寄せ、さっさと食べたかった代物の筈。

「慈悲…?」

鬼の言葉をオウム返しする。
現代の夢を見せられていた。
とても居心地が良くて、懐かしくて。
私の大切な家族に囲まれて。

でもそれは夢だ。
あのまま取り残されていたら、私は二度と目は覚めなかっただろう。
帰れた訳では無い。ただ死ぬ前の夢だ。

あれが慈悲だと?

「 時間は掛かったが、やっと頂くことが出来る。面倒な所に逃げてくれたお陰でな」

鬼がしゃがみこんで私の前髪を掴む。
そのまま顔を持ち上げられ、鬼の顔が近づく。
犬歯が発達した口元、赤く充血した目、そして何より臭い。

「お?臭うか?前菜を頂いただけなんだがな」

私が顔を歪めた事に気づいた鬼が、背後を指さした。
ちらりとそこに視線を向けると、褐色に染まった布と人の足の一部が転がっていた。
さっきから感じていた臭いの原因だ。

「人を殺したの…?」
「味はいまいちだったがな。やっぱり、別時代の味には勝てねぇよ」

ニヤリ、と気味悪い笑みを浮かべる鬼。

考えて。
このままだと私はこいつの胃袋の中だ。
何か方法があるはず。

頭の中を色んな情報が駆け巡る。
まだ死ぬわけにいかない。
何か、手が。

それなのに私の身体は動かない。
手足が痺れたように、横になっている。
薬を盛られたか、鬼の術か。

「どこから頂こうか。あれだけ楽しみにしてたんだ、ゆっくり頂くぜェ?」

髪から手を離した鬼が、私のお腹をするりと撫でる。
ゾクリとした感覚に逃げたくなる。
触らないで、来ないで。

「お前の前に呼んだガキは男だったが、脂身が豊富でな。次は程よく痩せてる女にしようと思ってたんだ」

そんな理由で私は呼ばれたのか。
鬼をキッと睨みつけながら、私は口を開いた。

「あんたみたいなクズ、もうすぐ死ぬよ」
「はァ、自分の状況わかってんのかァ?」
「私を殺した後、あんたは首を斬られる」

私を何処から連れ去ったのか覚えていないのか。
あの屋敷に一体どれだけの鬼殺隊の隊士がいたと思ってる。
そしてその実力も。
彼らが間に合わなくても、きっと後で必ず成し遂げるだろう。

「言うじゃねえか」

クッと小さく笑い、鬼が私から離れた。

手足は動かないけど、胴は捩ることができる。
ゆっくり鬼から後退する私。
それを見下ろしながら、鬼は笑っていた。

もうすぐ私は死ぬかもしれない。
そうはなりたくないが、現状抵抗する術がない。
彼らが来てくれるなら、助かるかもしれないけど、来てくれるだろうか?
連れ去られた時だって一瞬だった。すぐにここまで来れるとは限らない。

食われて死ぬ。

その現実が重くのしかかる。
怖い怖い、こわい…

でも、タダでは死なない。
こいつを殺せなくても、私以外の誰かが殺してくれる。


我妻さんなら、きっと。


金色の羽織を纏った我妻さんを思い浮かべる。
いつも私を守ってくれたあの人なら、鬼なんかすぐに殺すだろう。
私が死んだ後でも。


私は鬼から目を離さない。
睨みつけたまま、無理矢理にでも手を動かそうと藻掻く。
無抵抗で死ぬ気はない。



でも、死ぬ前に顔が見たかったな。