鬼の首が宙を舞い、鈍い音を立てて床へと叩き付けられる。
斬られた鬼自身も理解が追いついていないようでその表情からは戸惑う様子が見えた。
首よりも先に変化が現れたのは、人よりも大きく膨れ上がった体の方だった。
首の根本からまるで灰になっていくように、鬼の体が消えていく。
初めてみる光景に、私は驚きを隠せない。
「嘘ダロォ? 俺が? こんな奴に?」
クソッ、とひと際大きい声を上げて鬼の体が抵抗しているのがわかった。
でも首を斬られた手前、体が我妻さんを求めて彷徨っているだけのように見える。
「あ、我妻さんはっ?」
はっと我に返り、私は床下から這い出た。
刀を抜いた我妻さんは一瞬で姿が消えてしまった。一体何処に消えたのか。
鬼の首の横を恐る恐る素通りし、ドアどころか壁まで無くなってしまっている廊下へと飛び出した。
いた。
我妻さんは、廊下へ出たすぐの所で鼾をかいて寝ていた。
現存する壁を背中にして「ぐー」と幸せそうに眼を瞑っていた。
我妻さんの無事を確認して、私はへなへなとその場に座り込んでしまった。
…良かった、無事みたい。
ほっと安堵の息を漏らした瞬間、女性の悲鳴が私の後ろで響いた。
「いやぁぁ、丈、嫌よ。私を置いて逝かないで、いやぁぁああ」
問診をしてくれた女性だった。
細い腕で必死に鬼だった首を抱きしめ、大粒の涙を流している。
先程の無表情からは考えられないくらい、感情的な涙だった。
「サチコ…」
「ダメよ、丈。貴方は医者なのよ…! こんなところで死んではダメよ」
「……サチコ、」
最後に鬼は女性の名前を呟いて、消えてしまった。
女性の嗚咽だけがその場に残った。
私は若葉色の羽織を脱いで、寝ている我妻さんの身体にかけた。
それから女性の元に向かう。
「……いつかは、こんな日がくると、分かっていました」
蹲る女性の傍らに寄り添い、ゆっくりと背中を擦る。
この鬼は確かに“丈先生”だったのだろう。
腕が良く、患者に優しく接する聖人君主のようなお医者様。
「彼の様子が変わって、初めて人を食べるのを目撃した時…私の手で葬り去るつもりでした」
ワナワナと震える手を出し、彼女は着物の袖を捲った。
そこには痛々しいくらい血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「何も、できなかった。むしろ彼に血を与えるため、自らに刃を入れたのです」
大切な人が鬼になる。
そんな経験をした事がないから、彼女の悲しみと葛藤に共感できるか分からない。
でも想像できないくらい、彼女は苦しんだ筈だ。
自らを傷つけても生きていて欲しかった彼を、大切に思っていたから。
「私は彼と共犯です。沢山の人を殺しました。極楽へは行けません」
そうかもしれない。
人を殺めた罪は大きい。
「サチコさん。鬼は、人の血を目の前にすると我慢するのが難しいそうですよ」
え?とサチコさんが顔を上げて、私の見つめる。
落ち窪んだ目が私を映しているのが分かった。
「理性を保ち、殺さず生き血だけを貪るなんて、簡単ではないようです」
丈先生は、貴方だから食べなかったんですよ。
そう言うと、彼女は小さい声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪の言葉を永遠繰り返していた。
―――――――――――――
「何で!?何がどうなってんの!?」
目が覚めた我妻さんは何も覚えていないのか、周囲をキョロキョロと見渡して叫んでいた。
鬼は!?と尋ねられた時には、何と言っていいか分からなかった。
貴方がやったんですけど!?
全く記憶にないの!? 信じられない。
「ギャアア!名前ちゃん、ケガしてるじゃない!ケガしてるじゃない!」
私の右手を見た我妻さんが悲鳴を上げる。
この人、起きている時は本当に五月蠅いな。
「こんなのかすり傷ですよ。それより、我妻さんの方がお怪我はありませんか?」
「カスリ傷でも!女の子が傷作っちゃダメでしょおおぉぉ」
私の言葉の何倍もの大きい声で返す我妻さん。
さっと私の手を引いて、自ら持っていたハンカチで血を拭ってくれる。
「お嫁に行けなくなったらどうすんの!?」とブツブツ文句言いながらしてくれる様は、
先程カッコよく居合いを決めて見せた人と同一人物なんて、考えられないなあ。
「お嫁に行けなくなったら、責任持って我妻さんにもらって頂きますよ」
ね?と我妻さんに言うと、ぽかんとした我妻さんの頭から湯気が出てくのが分かった。
「はぁああああ!?もう、俺を殺す気なの!?」
途端鼻血を出して後ろへぶっ倒れる我妻さん。
はあ、とため息を吐いて今度は私が我妻さんの血を拭ってあげた。
本当にカッコよかったんですよ。
刀を手にした我妻さん。
私の中の我妻さんNo.1が更新されたけど、絶対口には出さないでおこう。