07. 猪男

亡骸に近付き私はそっと彼の瞼を閉ざし、両手を合わせて、死者を弔う。

この時代にきて、人が死ぬところは初めて見た。
普通に考えれば怯え叫んでも可笑しくない状況。それなのに私はどこか冷静だった。
私が叫べば、我妻さんがどうなるのか手に取るようにわかるからだ。
本音は勿論、叫び出したい気持ちで一杯である。

戦闘に入る前に不能になるのは勘弁してほしい。

ふと気が付くとまた我妻さんの事を考えていた。
ぐ、と唇を噛んで目の前のこの人を精いっぱい弔おうと切り替える。

「に、兄ちゃんじゃない…」

背後で怯えていた男の子がぽつりと呟いた。
この亡くなった彼はこの子たちのお兄さんではなかったらしい。
ほっとしたような悲しいような、複雑な気持ちになる。

「善逸! 行こう」

男の子の言葉を聞いて、意を決した炭治郎さんが叫んだ。
この短時間だけれども、炭治郎さんが優しい人だということが良く分かる。
この子たちのお兄さんも捕まっている上、この人同様他にも人がいるかもしれない。
早く助けに行かないと、という気持ちがひしひしと伝わる。
炭治郎さんの言葉にこくりと頷きながら、我妻さんを見た。

彼は恐怖顔を青ざめ、ただただ黙って首を振っていた。

それを見た炭治郎さんの周りに威圧のようなオーラを感じ取った。
気づいたのは私だけかと思ったら、我妻さんの表情が更に歪む。
「そうか、わかった」と低い声で答えると、炭治郎さんは我妻さんに背を向けて立ち上がった。
それを見て慌てた我妻さんが縋りつくように泣き始める。

「何だよぉぉお! 何でそんな般若みたいな顔すんだよぉお! 行くよぉおお」
「無理強いするつもりはない」
「行くよぉお!」

確かに私からもチラっと見えた炭治郎さんの表情は般若そのものだった。
正直、相手が我妻さんだったからよかったものの、私に向かって怒られていると思ったらちびっていたかもしれない。
ずるずると我妻さんを引きずりながら、炭治郎さんは私と子供たちの方へ歩み寄ってくる。

ことり、と私と子供たちの前に炭治郎さんは木箱をそっと置いた。
木箱を優しく撫で、そして私と子供たちを見つめる。

「もしもの時のためにこの箱を置いていく。何かあっても守ってくれるから」

そう言って、私たちに背を向けて家の中へと消えていく炭治郎さん。
その後をビクビクしながらついていく我妻さん。
堂々と歩く炭治郎さんを見た後では、酷く情けない姿である。
私はモヤモヤしながらその背中を見送った。

「お、お姉ちゃん…」

女の子が私のスカートに擦り寄り、ぎゅっと裾を握る。その頬には一滴の涙が流れていた。
スクールバッグから汚れていないハンカチを出して私は涙を拭ってあげた。

「私の名前は名前っていうの。貴方たちは?」
「僕は、正一。妹はてる子…」
「そうなの」

彼らを不安にさせてはいけない。
自分よりも遥かに小さな子たちの前で、私はにこっと微笑む。
その様子にどうやら少しは安堵して貰えたようだ。
我妻さんと炭治郎さんが戻るまで、私はこの子たちを守る義務がある。
まだ昼間とはいえ、山奥で人里から離れた場所であるし、何が起こるか分からない。

もしも何かあったらこの子たちを逃がす事ができるくらい、できるよね?
身を挺することができれば、鬼の意識を彼らから私のみに移すことだって可能なはずだ。
鬼にとって私は魅力的なご馳走だそうだから。

覚悟を決め、私の役目を再認識した時、炭治郎さんが置いていった木箱からかすかに音が聞こえる。
カリカリ、と爪で何かを引っかくような。
音に即座に反応したのは、子供たちだった。

「いやぁああ!」
「てる子!」

てる子ちゃんが泣き叫びながら、家の玄関へと走っていく。
それを追いかける正一くん。
突然の事に咄嗟に身体が動かなかった。私も慌てて彼らを追いかける。

「ダメ、入っちゃダメ!」

私の叫びも虚しく、てる子ちゃんと正一くんは玄関から中へと入ってしまった。
戸惑う事なく私も後へ続いた。

「入ってきたら駄目だ!」
「名前ちゃん!」

入って早々、炭治郎さんと我妻さんの声が目の前で聞こえた。
良かった、まだ遠くに行っていなかったみたい。
玄関から入ってすぐの廊下に、炭治郎さんと我妻さんが立っているのが見えて、私は一人胸を撫で下ろした。

「お、お兄ちゃん。あの箱カリカリ音がして…」
「ごめんなさい、炭治郎さん。私がもっと早く止めてれば良かったんです」

少し驚いただけなのよね。ただでさえ、怖い思いをしているんだもの。
追いついた私が、そう言って炭治郎さんに謝罪する。

「名前、そ、それはいいんだが…だからって置いてこられたら切ないぞ…」

あれは俺の命より大切なものなのに。
そう言いながら少ししょんぼりとしてしまう炭治郎さん。
頭に萎れた犬の耳のようなものが一瞬見えた気がしたけれど、気のせいだろうか。

あぁ、ごめんなさい。ほんとごめんなさい。
酷くショックを受けた様子の炭治郎さんに向かって、心の中で謝罪しておく。
でも正直私も急に箱から音がして怖かったんです。
勿論、これは口に出さないけど。

そんなやり取りをしていた矢先。
家全体に鳴り響く鈍い音。
誰よりも先にその音に我妻さんが反応してしまった。

「キャァアアア!」

まるで女の子のような声を上げて暴れる我妻さんに傍にいた炭治郎さんが狼狽える。
我妻さんのお尻がボンと、炭治郎さんとてる子ちゃんを隣の部屋へと押し出す。

「あっ、ごめん!」
「我妻さん! 何して…」

私の言葉の途中でまたしても鼓の音がその場に響く。
音がしたと同時に、眼前にいた炭治郎さんとてる子ちゃんの姿が見えなくなっていた。

「えっ!?」

一応キョロキョロと見回してみたけど、二人の姿はどこにもない。
炭治郎さん達が居なくなっただけではない。
先ほどまで立っていた場所と光景が違う。
つまり、部屋が変わった。
背中を伝う変な汗と嫌な予感がして我妻さんを見ると、さっきよりも青白い顔でポロポロと泣き始めていた。

「死ぬ死ぬ死ぬ死んでしまうぞこれは死ぬ!」

目を限界まで見開いて、口は痙攣し、その縁には泡まで見える。
嫌な予感が的中した。これは非常にまずい、我妻さんがパニックを起こしている。
早口で永遠と同じことを叫ぶ我妻さんを見て、正一くんの顔も曇っていく。
急いで落ち着かせないと、正一くんにも悪影響だ。

「我妻さん、落ち着いて…」
「炭治郎と離れちゃった!」
「それは分かったから、冷静に」
「もう駄目だぁあああ」


「善逸さん!」


我妻さんの両肩をガッチリ掴んで、焦点のあってない目を見据えた。
連日の鬼に対する恐怖心で頭が一杯になってるのは分かってる。
頼りになりそうな炭治郎さんと別れてしまって恐怖が増幅していることも。
更にいうと私達を守らなければという責任で気持ちが押しつぶされそうになっていることも。
全部全部、わかっている。

だけど、それでも私たちは、

「善逸さんしか、いないの」

私達を守れるのは。


私の声で我妻さんが落ち着いたのかはわからない。ただ荒かった呼吸もゆっくりと穏やかになって、それから金色の瞳が私の瞳を見つめている。
落ち着いてると言っても先程よりマシというだけで、いつ何時さっきみたいに泣き叫ぶか分からない。
安心するかわからないけど、しないよりましだと、私は我妻さんの手を握った。

「名前、ちゃん」
「怖いのは我妻さんだけじゃないんですからね。女子供を守る度胸くらい、あるでしょ?」

決して我妻さんの事だけ弱虫だなんて言えない。
繋いだ手から伝わる私の手の震えを見て、我妻さんはハッと目を見開いた。
それからしばらくして、何も言わないで我妻さんはこくりと頷いた。


「てる子! てる子!」

私が我妻さんを落ち着かせてる間に、正一くんは周囲を駆け回り、てる子ちゃんを探し始めていた。

「てる子、てる…」

私達が入ってきた玄関の扉を開けた正一くんが、言葉を詰まらせる。
扉を開けたそこは玄関の外、ではなく別の部屋となっていた。

「嘘だろ! ここが玄関だったのに! 外はどこに行ったの!」

それにいち早く気付いた我妻さんが、部屋の中へ入り、次の扉に手を掛ける。
ガラ、とひと際乱暴に扉を開けて、今度は我妻さんが固まった。

「あがつまさん?」

後ろから覗き込むように、次の部屋の様子を伺う。

「猪?」

頭に猪の皮を被った上半身裸の…鬼?いや、人だ。
が、鼻息荒く部屋の真ん中に立っていた。
何なの、この人。

それはこちらに背を向けていたが、ゆっくりと振り返り。

「化ケモノだぁぁぁあ!」

ギャアアア、という我妻さんの声を合図に、私たちの間を抜けて猪男は次の部屋へと走り去る。
私は猪男を避けようと後ろに下がったら、下がりすぎてしまったみたいだ。
隣の部屋の襖に勢いよく倒れ込んでしまう。

「名前さん!」
「え、名前ちゃ…」

最後に見たのは我妻さんがこちらに気付いて、その手を伸ばそうとしていた所だった。


どこかで鳴った鼓のお蔭で、私の視界から我妻さんと正一くんが消えた。