31. 怒り


ここに入ってから、三味線だけでなく琴まで練習をさせられる羽目になった。

元はと言えばあの音柱の所為で名前ちゃんはこの店に入る事になったし、どこぞの羽虫に名前ちゃんは目を付けられるし。
良い事なんて一つもない。
それに一つも気付いていない名前ちゃんも名前ちゃんだ。

いくら任務だとは言え、彼女があんな羽虫相手に優しくする必要などないのだ。
優しい所が彼女の良い所ではあるんだが。

琴の練習が済んだから、先に店について調べている名前ちゃんと合流しよう。
耳をすませて、彼女が居そうな所に耳を傾ける。
どうせ雑魚寝部屋あたりだろう、と思ったけど、名前ちゃんの音がしない。
嫌な予感がする。

そこらへんを歩き回りながら音を探す俺。
だけど一向に名前ちゃんは見当たらない。
これはいよいよ大変だ。
段々冷や汗が出てくる。

ただでさえ、鬼が何処にいるのか分かっていないんだ。
また彼女に何かあっては遅い。
彼女は鬼にも好まれるらしいから。

内証の横を通り過ぎた時、俺は気付いた。
クソ虫が居ない…?
中には楼主一人、書棚に向かって探し物をしている。

内証は楼主の事務室だと言っていなかっただろうか。
楼主の家族である、あのゴミ野郎が内証に居ない事なんて早々ないだろ。
嫌な予感が最悪な方で敵中しそうだ。

名前ちゃんは折檻部屋と呼ばれる行灯部屋に入ろうとしていた。
昨日その話をされ、空き時間に見てみようという事で話していた所だ。
もしかしたら、そこにいるかもしれない。
廊下を小走りで駆け、人にぶつかろうが何しようが目的の場所に向かう。

この店は広い。
とは言え、名前ちゃんが俺から離れ、遠くに行くことはまずないので、必ず俺の耳の範疇にいる。
それでも聞こえない、という事は。

俺の予想が正しければ、折檻部屋は音が通りづらい筈だ。


一日目に案内された廊下までやってくると、確かに人が通りそうもない雰囲気を醸し出していた。
だけど、恐怖なんて一ミリも感じない。
ズンズンと廊下を進み、つきあたりにある扉に手を掛けようとした。


シャラン


鈴の音が聞こえた。

名前ちゃんが作った髪飾り。
それには確か鈴が付いていなかったか。
俺に聞こえるように鈴をつけたと言っていた彼女が頭を過る。

俺は扉を開け、中へ踏み込んだ。
中は想像以上に薄暗く、目の前の光景が良く見えない。
だが、名前ちゃんの音は聞こえる。

怖がってる音が。



全身の血が沸騰したように熱くなる。
音の方へ戸惑う事なく進む俺。


そして見つけた時には、最悪の現場だった。




怒りで任務だとか女装しているとかすっかり頭から抜けていた。


「何してたの…?」

名前ちゃんに触れる手をひねり上げて、力の限り掴んでやる。
クソゴミ屑は痛そうに顔を歪めたが関係ない。
ちらりと彼女を見て、無事を確認した。
怯えた目が俺を見ていた。


「名前ちゃんに、何しようとしてた?」


自分でもこんなに冷めた声が出るんだと驚いた。
だが、目の前のこの男だけは許さない。
俺が来るのが遅ければ、この男は名前ちゃんに触れていた。
もっと早く来ていれば、嫌な思いはさせずに済んだかもしれない。

自分に苛立ちながらも、怒りを男にぶつける。


「…名前ちゃん、外に出て」
「善逸さん?でも…」
「いいから」


怒りで我を忘れる前に。
男から目を離さないでそれだけ伝えると、彼女は指示通り部屋から出ていった。
彼女の音が聞こえなくなったのを確認して、俺は奴の肩を掴み壁へと叩きつけた。

「ぐ、ぅっ…」

害虫が小さい声を上げた。
どうなろうと関係ない。
俺の見ていない所で、彼女に何しようとしてたんだよ。
その事実があるだけで、この男の首を刎ねてしまいそうになる。


「ぜ、ぜんこ…お前…」

奴が俺に向かって苦しそうに漏らす。
喋っていいのは俺だ。お前じゃない。

男の顎を押さえつけ、俺は奴の目を睨みつけた。



「彼女に触れるな。喋るな。近くに寄るな。息をするな。」


淡々と告げていく。
男は怪訝な顔をして俺を見る。




「全部俺のだ。お前にやらない。触らせない」



分かったか?
低い声で尋ねると男は目を見開いてこくりと頷く。

手に入れるまでどれだけ苦労したと思ってるんだ。
横から取られるヘマなんてしない。
彼女に近付くものは俺の敵だ。


「消えろ。死ねとは言わない。彼女の目に映るな」


そう言って最後に頷いたのを確認したのち、ゆっくり手の力を緩める。
男はストンと尻もちをついて、ただただ恐ろしいものを見るように俺を見つめる。


「早く立てよ」


追い詰めるようにそれだけ言うと、男は慌てて手をついた状態でその場から離れていく。
コケそうになりながら、部屋から出て行く姿を見て、俺も外に向かった。

…名前ちゃん、ごめん。



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