32. 全部


善逸さんは大丈夫だろうか。
物凄く怒っていた、それだけはひしひしと伝わってきた。
善逸さんがいなければ、私は何をされていたんだろう。
考えるだけでも身震いしてしまう。

廊下の壁に背中を付けて、私はその場にへたり込んでいた。
震える肩を両手で掴み小さくなって、扉を見ていた。
中では何が起こっているんだろうと意識をそちらに向けたけど、外に出てしまえば中の音は聞こえない。
善逸さんは何でここに居る事がわかったんだ。

でもほんと、来てくれて良かった。



ほっと胸を撫で下ろしていた時だ。
勢いよく折檻部屋の扉が開き、中から怯えた表情の平次さんが出てきた。
私は思わずビクリと跳ねたけど、私の事なんか目に入っていないようで、平次さんはその場からフラフラ揺らしながら大慌てで走って行ってしまった。
平次さんの背中を見ながら、中で起こった事を想像するのは難しくない。

平次さんが出てきたという事は。

次に扉に目をやったら、暗い顔をした善逸さんが扉の前に居た。
私は腰が引けてまだ覚束ないけど、立ち上がって善逸さんに近寄る。


「ぜ、善逸さ…きゃぁっ!」

近付いてすぐに腕を引かれ、そのまままた折檻部屋へと戻された。
ご丁寧に扉まで閉めて。

傾いた私の身体はしっかり善逸さんの胸と腕によって支えられ、私をそっと包んでくれる。
暗い部屋の中、さっきはとても怖く感じていたのに、この人がいるだけで怖くない。
私も善逸さんの背中に手を回した。


「来るのが遅れてごめん」


耳元で囁かれる声は掠れていて、苦しそうだった。
私は大丈夫、の意味を込めて手に力を込めた。


「遅れてないです。善逸さんが来てくれて良かった」


情けないけど、私は無能だから。
男の人に手を掴まれただけで行動できなくなってしまった。
善逸さんは今まで警告してくれていたのに、私が能天気だったのもあるし。
自分で蒔いた種だ。


「名前ちゃん…」


色気を含んだ声が頭上から聞こえて、私は顔を上げる。
暗くてよく分からないけど、善逸さんが私の顎をクイっと上げてゆっくり顔を近づけた。
本能的に瞼を閉じてしまったけど、間違っていなかったようだ。

唇に柔らかな感触がして、啄むようなキスが降りてくる。
でも離れてはキス、を繰り返して善逸さんの手がそっと私の後頭部に触れる。
更に強くキスを求められ、私は息が切れそうだった。


「ぜ、ん…っ…んっ…」


声にもならない。
ただただ善逸さんに応えようと必死だ。
とても長い時間慌ただしいキスを繰り返して、やっと顔が離れた時に見えた善逸さんの顔は辛そうで。
私の胸がビクンと跳ねた。


ぎゅう、っとまた抱きしめられて、善逸さんが囁く。



「全部、俺のだよ」



そのセリフに私の体温は二、三度上昇してしまったんじゃないだろうか。
普段そんなこと言わない癖に。

でも、その通りですよ。
ずっと離さないでほしい。





二人で抱き合っていたら、ふと善逸さんの顔を見て気付いた。


あ、紅が…。
きっと私の紅と善逸さんのそれが大変な事になっている。
クス、と笑ってしまった私に善逸さんも気付いたようで、二人で苦笑いをした。
何だか恥ずかしい。ほんと今更なんだけど。


廊下に出て光に当たった時に、私は手鏡を出して余分な紅を拭いとる。
善子ちゃんのそれも拭って丁寧に紅を引き直した。
これで違和感ない、よね?
女装していた善子ちゃんにまでドキドキするなんて、これが惚れた弱みという奴だろうか。
のぼせ上っている気がして恥ずかしくなる。


「これで大丈夫、可愛いですよ、善子ちゃん」
「…また善子に戻ってる…」


私が善子ちゃん、というとため息を吐いた。
だって仕方ないじゃない、善子ちゃんなんだから。


二人で折檻部屋に続く廊下を出て、やっと明るい所へ出た。
その時、善逸さんの眉がぴくりと反応する。

「名前ちゃん、緊急事態だ」

真剣な顔で言う善子ちゃんに私は慌てて尋ねる。


「鬼ですか?」


任務の事を忘れて居たわけじゃない。
でも、善子ちゃんが緊急事態というくらいだ。鬼関連だと思っていいだろう。

そんな予想も一瞬で覆されてしまったんだけど。



「女の子が、泣いてる」



酷く真剣そのもの。
キリリとした顔は善子ちゃんではなく、善逸さんの顔だ。
プチン、と頭の中で血管が切れる音がする。


善子ちゃんの背中をバシンと手で叩いて「ご勝手にどうぞ!」と言うと、痛みで涙目になった顔がこちらを見た。

「…ほんと最低」
「いや、別に深い意味はないって!!ちらっと見てくるだけだから、さ!!」

先程までの空気はどこへやら。
普段通りのそれに安心はするんだけど。
目の座った私だけを残して、善子ちゃんは小走りで現場へ向かってしまった。
恋人を置いて他の女の子に駆け付けるとは?

考えるだけで腹が立つけど、善逸さんの良い所だ。


「女の子には、優しいんだよね。女の子には」


はあ、とため息を吐いて背中を見送った。
でも私はその時一緒に付いていけば良かったとこの後後悔することになる。



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