34. 猪陥落


一瞬の内に、吉原全体が見渡せる高さまで上がったかと思うと、そのまま屋根の上を滑走する宇髄さん。
私は正直恐怖でしかなかったけど、口を開けば舌を噛みそうで、ただひたすら耐えていた。
音もなく瓦の上を走る姿には本当に驚いた。
流石忍者である。

少し走ったところで、屋根の上に見慣れた2人の姿が見えた。
数日顔を見ていなかったけど、彼らは無事のようだ。
本当に良かった。
2人の前にすとん、と降ろされた私はそのままへなへなと座り込んでしまい、慌てて炭治郎さんが寄ってきた。

「名前、大丈夫か?」
「え、えぇ…なんとか…」
「そんな顔には見えねぇけどな」

伊之助さんが腕を組んでそう言う。
そりゃあんた達みたいな脳筋野郎と一緒にしてもらっては困る。
私はただのか弱い女子なのだから。

「おい、それよりも定例だ。何があった、話せ」

宇髄さんの低い声で私ははっとする。
炭治郎さんと伊之助さんも私が善逸さんと一緒では無いとこを見て、何かあったのか察したようだ。
私はこくりと頷き、自分が見たもの、感じたもの、善逸さんに何があったかを話した。




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「お前達には悪いことをしたと思っている」


一通り私の説明が終わり、気になる所の質問にも答えた後。
宇髄さんがポツリと零した。
そのセリフが、善逸さんに良くない事があったかのように言うものだから、私は唇を噛んだ。

「俺は嫁を助けたいが為にいくつもの判断を間違えた。お前らはもう花街から出ろ。階級が低すぎる」

私たちに冷たく言い放つ言葉に、私は苛立ちを覚えていた。
帰れるわけがない。
だって善逸さんはここにいるんだから。
置いてなんて行くわけが無い。

私の表情を見て尚も宇髄さんは続ける。



「ここにいる鬼が上弦だった場合、対処出来ない。消息を絶ったものは死んだと看做す」



ひゅっ、と喉の奥が鳴った。
死んだ…?
そんなあっさり死んだなんて言われても、はいそうですかとはいかない。
悔しくて、私は両手で拳を作った。


「あとは俺一人で動く」
「いいえ、宇髄さん!俺たちは……!!」


炭治郎さんが宇髄さんに食ってかかる。
それを遮り、宇髄さんは軽く首を振った。


「恥じるな、生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」
「待てよ、オッサン…!!」


それだけ言い残して、宇髄さんは姿を消した。
途端、涙が溢れてくる私。
生きている人が勝ち?そんなのクソ喰らえだ。
善逸さんが居ないのに、私が生きて行けるわけが無い。
もし、善逸さんが死んでいたなら、私もここで死ぬ。
元よりその覚悟だ。

宇髄さんが消えた場所を睨みつけるように見ていた。
炭治郎さんが私の肩にぽんと優しく手を置いた。


「炭治郎さん…善逸さんは死んでないですよね?」


零れた涙を拭う事もせず、炭治郎さんを見た。
炭治郎さんは私に優しく微笑んで「勿論。それは1番名前がよく知ってるだろう?」と言う。
その言葉にこくりと頷いて、袖で乱暴に涙を拭った。


「だがこの後、どうする?」


伊之助さんが険しい顔で炭治郎さんに問う。
宇髄さんに出ろと言われたけど、私たちはここから離れる気は無い。
炭治郎さんは少し悩んで口を開いた。


「もうすぐ夜も更ける。そしたら俺はすぐに伊之助のいる荻本屋へ行く。それまで待っててくれ、1人で動くのは危ない」


今日で俺のいる店も調べ終わるから、と続けて言う炭治郎さんに、伊之助さんが声を上げる。
そして炭治郎さんのほっぺを抓りあげた。


「何でだよ!俺のトコに鬼がいるって言ってんだから、今から来いっつーの!!頭悪ィなテメーはホントに!!」
「イタタ…ちょ、」
「伊之助さん、炭治郎さんが可哀想だからやめて」


慌てて炭治郎さんと伊之助さんの間に入るも、問答無用と言わんばかりに炭治郎さんのほっぺが可哀想な事になっている。
そして、今度はぺちぺちと炭治郎さんの後頭部を叩き始めた。
本当に可哀想だ。やめてほんと。


「でも鬼は京極屋にいますよ?じゃないと善逸さんが失神させられるはずないですし」
「はっ、アイツがただ弱ェだけだろ」
「…伊之助さん、ひどい」


ピシャリと言い切られてしまった。
でも実際問題、鬼は複数いるのだろうか?
伊之助さんのとこと、京極屋に一体ずつ。
確かに上弦の鬼だった場合は分が悪いだろう。


「でも、伊之助の店の鬼も今は姿を隠している。という事は、建物の中に通路があるんじゃないかと思うんだよ」
「通路?」


炭治郎さんを叩いていた手が止まる。
私と伊之助さんが首を傾げて炭治郎さんを見る。
炭治郎さんは身なりを軽く整え、私達を見て真剣なトーンで話した。


「そうだ。名前の言うように、その花魁が鬼の場合、巧妙に人間の振りをしていればいるほど、人を殺すのには慎重になる。バレないように」
「成程、確かに。花魁の位についているのだから客はいるはずですもんね」
「殺人の後始末には手間が掛かる。血痕は簡単にはけせねぇしな」


こくりと炭治郎さんが頷き、私達の前に座り直した。


「ここは夜の街だ。鬼に都合がいいことも多いが、都合の悪いことも多い。夜は仕事をしなきゃならないと不審に思われる」
「全くその通りですね」

そして炭治郎さんが私をじっと見つめて続ける。

「俺は善逸も宇髄さんの奥さんたちも皆生きてると思う。そのつもりで行動する。必ず助け出す」

炭治郎さんの言葉に私の胸が温かくなる。
その通りだ。皆を助けるために、私達に今何が出来るか。
私が善逸さんを助けるために、どうすればいいのか。
一つ一つ的確にこなしていかなければならない。

「伊之助にもそのつもりで行動して欲しい。そして絶対に死なないで欲しい。勿論、名前も。善逸を助けた時に名前に何かあったら、俺が殴られてしまう」

にこっと微笑む炭治郎さん。
私もつられて笑ってしまった。


「それでいいか?」


炭治郎さんが私と伊之助さんの顔を交互に見て尋ねる。
私は勿論、と答え、伊之助さんは「今俺が言おうとしてたことだぜ!!」と叫んだ。


「それじゃあ、二人とも夜が更けるまで店で待機しておいてくれ」
「あの…炭治郎さん」
「どうした、名前?」


作戦内容が決まり、各々が行動しようとしたところで、私が水を差すように手を上げた。
不思議そうな顔をした炭治郎さんが、私を見る。

「実は私、鬼に顔を見られています」
「…でも、バレてはいないんだろう?」
「善逸さんが攫われている事から、善逸さんが鬼殺隊員だと気付いていると思うんです。その善逸さんに、ぴったりくっついていた私の素性なんて、簡単に導き出せるんじゃないですかね」

困ったように言うと炭治郎さんの顔が強張った。
少なくともこのまま店に戻ると、もしかしたら善逸さんの二の舞の可能性が高い。
善逸さんを見つけることが出来るかもしれないが、結局助ける事は出来ない。


「そうだな…可能性は高い」
「ですので、私伊之助さんの所に行こうと思うんですけど…」
「はぁっ?何で俺なんだよ!!」


顎に手を掛けて悩む炭治郎さんに言うと、横に居た伊之助さんが顔を近づけて、唾を飛ばしてきた。
いや、本当にご迷惑かもしれないんだけどね。


「私はこの通り戦えませんので、炭治郎さんか伊之助さんの所にいるのが一番いいと思うんです。伊之助さんはもう店の探索は済んでるんでしょ?私くらい一緒に居てもなんとかなるでしょ?」
「意味わかんねぇ!!危ない目に合うかもしれねぇだろ」
「そんなの今更ですよ」
「じゃあ何でついてきたんだ、馬鹿かテメェ!!」
「善逸さんが居たからです!!」


伊之助さんと睨みあうようにして、唇を尖らせる私。
善逸さんの名前を出した途端、伊之助さんがうっ、と言葉に詰まった。



「ね、いいでしょ?伊之助さん」


伊之助さんの肩を掴み、上目遣いで懇願する。
猪相手にこの方法が通用するか分からないけど、私はそれだけ必死だ。
自分の生存確率を上げるためには、そうするしかない。



暫く黙って歯をギリギリ鳴らしていた伊之助さんだったが、ちっと舌打ちをして


「足手まといになるなよ」


とだけ言った。



多分それ無理。



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