36. 猪改め土竜


「ふざけんな、もう更けてんじゃねぇか!!」


梁に拳を入れながら、伊之助さんが言う。
砂埃がぶわっと舞い、私は軽く咳き込んだ。
何してんの、この人…

確かに炭治郎さんは夜が更けたら合流すると言っていたけど、そんな片鱗さえ見せない。
あまりに遅いから、まさか炭治郎さんにも何かあったんじゃないかと不安になる。
炭治郎さんは約束を破る人じゃないから、きっとそうだ。

「伊之助さん…これ、まずいですね」
「あぁぁぁ!!もうどいつもこいつも、面倒くせぇえええ!!」

頭を抱えて叫び出す伊之助さん。
伊之助さんが待つなんて珍しい事、長続きするはずが無かった。
キッとまた暗闇を睨みつけ「ねずみ!!」と言った伊之助さんに合わせて、つぶらな瞳が顔を出す。
私の短刀と羽織を持ってきたみたいに、少し離れた所から何かをうんしょ、と運ぶ影。

そこには2本の日輪刀を運ぶねずみさんの姿があった。
カッコイイその姿に私はくすりと笑ってしまった。

それを受け取る前に伊之助さんは下の部屋へ飛び降りると、素早い動作で女物の着物を脱ぎ出す。
げぇっ、と私は驚いて慌てて視線を逸らした。
着替えるなら、着替えるって言ってよ!!

でもあっという間だったみたいで、聞きなれた鼻息がすぐに聞こえてきた。
恐る恐る下を除くといつもの猪の頭を被って、上半身裸の伊之助さんがいた。
私はねずみさんから刀を受け取り、もう1つお願いする事にした。


「ねずみさん、善逸さんの日輪刀も持ってきて貰えますか?」

私の言葉を理解したねずみさん達が素早く駆ける。
そして、同じスピードでもう一本の日輪刀を持ってきたかと思うと、私にそれを差し出してくれた。

「ありがとう」

ねずみさんから善逸さんの日輪刀を受け取り、私は三本の日輪刀を持ったまま、下の部屋へ降りようと開口部に近づいた。
ちょ、刀三本ってめっちゃ重いじゃん!!
伊之助さんの二本もあるし!!

「伊之助さん、ど、どいて…!」

恐る恐る飛び降りようとしている私に伊之助さんが鼻で笑う。
こっちはこの高さでも十分怖いんだから!
ぶつかっても知らないからね!!

瞼を閉じたまま、覚悟を決めて私は飛び降りた。
足に畳の衝撃が来るだろうと思っていたけど、それはなくて。
代わりに身体がふわっと浮く感覚が私を襲った。

「…あっ…」

伊之助さんが私の腰を持って、ゆっくりと畳の上へ降ろしてくれた。

「あ、ありがとうございます」

伊之助さんらしくなくて驚いたけど、素直にお礼は言っておく。
猪の頭は無反応だったけど、ずいっと手を私の前に差し出してきた。

「刀を寄越せ」
「あ、どうぞ」

伊之助さんの刀を手の上へ置いて、私は善逸さんのそれを大事に持った。
短刀はちゃんと懐にある。
準備はOKだ。

私を見て伊之助さんが叫ぶ。



「行くぜ、鬼退治!! 猪突猛進!!」


刀を二本抜き、そのまま勢いよく部屋を飛び出す伊之助さん。
部屋の前にいた禿の女の子が猪に気づき、1寸置いて悲鳴を上げた。


「ぎゃああああ!!化け物おおお!!」
「フハハハハ!!退けぇ!!」
「驚かせてごめんなさい、すみません…!!」


慌てて走り去る伊之助さんについて走る私。
女の子とすれ違う時に可能な限り謝っておいたけど、果たして彼女の耳には聞こえているだろうか?
あちらこちらの襖をなぎ倒し、床を剥ぎ、人を突き飛ばしていく伊之助さん。
その度に私が謝ってるんだけど、これじゃあ不審者どころかお尋ね者である。

そして、ここ数日好きに動けなかった反動か、猪はあちらこちらの壁を駆け上がり、驚く程に俊敏に家捜しをしていく。
最初はなんとかついて行っていたが、段々伊之助さんとの距離が離れていくので、諦めて私は叫んだ。


「伊之助さんっ!! 速い速い速い!! お願いだからもっとゆっくり…」


ゆっくり走って、と言う前に猪が急ブレーキをかけたように急停止した。
そして、くるっとこちらを向いたかと思ったら、片手の刀を鞘に戻した。
なに?と思ってたら、そのままズンズンと私の方へやってきて、私の右手を掴むとまた走り出したのだ。

伊之助さんの手に引っ張られ、私の身体は強制的に物凄いスピードで廊下を駆ける。


「い、伊之助さ、んん!! だから、速いってばぁ!!」
「うるっせぇ!! これでも合わせてやってんだろーがァァ!!」


猪の言葉に思わず「どこが!!」と声を上げる私。
足が絡まりそうになるけど、それでも置いてかれるよりマシか。

伊之助さんと私が走る事で、周囲から悲鳴が上がる。
お前ら誰だ!と言われるのはまだマシで、猪の化け物と猛獣使いなんて言われて、私の心は折れそうだ。
ほんと、ごめんなさい…。


「だぁああああ!! ラチがあかねーぜェ!ちょっと退いてろ!!」


暫く走った所で、伊之助さんが私の手をぱっと離した。
床板に2本の刀を刺すと、その前に両手を広げしゃがみ込む伊之助さん。
何となく空気が変わる。
私は少しだけ後ろへ後退した。


「獣の呼吸 漆ノ型 空間識覚」


伊之助さんが叫んだ瞬間、ざわっとした感覚が身体を襲う。
何をしたんだろう?
声を掛けることができなくて、伊之助さんが動くまで私は後ろで見ていた。


「見つけたぜェ!! 名前、行くぞ!!」


おもむろに立ち上がった伊之助さんは、刀をまた鞘に戻して、私の手を掴むと先程と同じように駆け出した。
さっきと違うのは、闇雲に走るんじゃなくて、目的に向かって走ってるみたい。

伊之助さんに引き摺られないように、足を動かす私。
掴まれた手を見ながら、以前初めて伊之助さんと手を握った時の事を思い出していた。

ちょっと強引だけど、手は優しく握ってくれている。


やっと人間らしくなったんだね、伊之助さん。
なんだか子の成長を感じた母のような気持ちになってしまった。


そんな事を考えていたら、廊下を曲がった先で伊之助さんが立ち止まる。
また急に止まるもんだから、私は顔面を伊之助さんの背中に強打した。
何が成長だ、前言撤回だわ。



伊之助さんはそのまま床板を殴り、大穴を開けてしまう。
これ、弁償とかしなくてもいいのかな?大丈夫だよね?
豪快に床板を剥ぐ姿に心配になってしまう。

あっという間に周辺の床板は無残なことになり、床下から小さな穴が顔を出した。


「グワハハハ!!見つけたぞ、鬼の巣に通じる穴を!!ビリビリ感じるぜ、鬼の気配!!」
「す、すご…でも、これ小さくて入れな…」
「覚悟しやがれ!!」


私が止める前に伊之助さんは頭を下にして、穴へ突っ込んでしまった。
残念ながら、頭までしか入らなかったようで、穴に見事に突き刺さっている。


「い、伊之助さん…?」


背後から覗き込むように見ると、ズボっと頭を抜いて顔を上げる伊之助さん。


「頭しか入れねえというわけだな、ハハハ!!」


そんなの見たらわかるじゃない。
思わず突っ込んでしまいそうになったけど、次の瞬間伊之助さんはキラリと目を光らせ、自信満々で声を上げた。


「甘いんだよ、この伊之助様には通用しねぇ」


ゴキゴキと身体からありえない音を立て、腕の関節を外す伊之助さん。
私はあまりの光景に絶句してしまった。
人間離れどころか、本当に人間じゃなかったとは。
正直気持ち悪い。


「俺は体中の関節を外せる男。つまりは頭さえ入ればどこでも行ける」


そのセリフ通り、ぐにゃんぐにゃんに身体を柔らかくする。
いやぁ、キモイ。
完全に引き攣った顔でそれを見つめる私を余所に、伊之助さんは再度穴へ潜り込む。


「グワハハハ、猪突猛進!!誰も俺を止められねぇ!!」
「あ、ちょ、伊之助さん待って!!」


勢いよく穴へ入り込んでしまった伊之助さんの足を寸前の所で掴み、私は伊之助さんを止めた。
誰も止められない、と叫んだ後だったのにね。
ごめんね、伊之助さん。


「んだよ、名前!!」


超機嫌の悪そうな声が私に向けられる。
ほんと、ごめん。
だけどね、あのね。


「伊之助さんは通れるかもしれないけど、私は通れません。もっと大きく掘って下さい」


ぷうっと頬を膨らませて伊之助さんに訴えた。
はぁ?と呆れた声を出す伊之助さん。
いや、だからね。伊之助さんは良くても私は人間なので、こんな穴通れません。


「ほら、早く!」
「お前あとで覚えとけよ」
「はいはい」


両手を叩いて伊之助さんを急かす私。
また穴に潜り、今度はザリザリ音を立てて前へ進む伊之助さん。
あ、掘ってくれてる。

私が言い出したこととは言え、本当に穴を掘りながら進むなんて。

驚き半分、正直引いている気持ちが半分。
でも文句は言わずに、伊之助さんが入った後の穴に私も入っていく。

あ、案外入れそう。



猪じゃなくてモグラかな?


大変失礼な事を考えながら、私は伊之助さんに続いた。



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