48. 袴
名前ちゃんと藤乃さんが出て行った後、閉められた扉を見つめてじいちゃんが口を開いた。
「本当によく帰ってきたな」
「たまたま、時間があったから。それに、名前ちゃんが帰りたそうにしてたし」
脳裏に蝶屋敷で偶に寂しそうな音をさせている名前ちゃんが思い浮かぶ。
彼女はいつも何も言わないけど、音は正直だ。
まあ、俺も少しは帰ってみようとは思ってたけどさ。
「じいちゃんと藤乃さんは変わりはない?」
「あぁ、どちらもピンピンしておる。…お前の方は面構えが変わったな」
じいちゃんの鋭い眼光が俺を見据えた。
俺は思わずビクリと身体を揺らしたけど、気付かれたくなくて後ろの畳に手を着いて姿勢を崩した。
「俺も成長したってことだろ」
「うむ。人を守るのは大変な事だろう?」
「……まあね」
じいちゃんが優しく問う。
誰のことを言っているのか一目瞭然だ。
今まで起きた事を考えて俺はため息を吐いた。
「…普段はさぁ、しっかりしてる癖に自分の事になるとホイホイ危険な所に行っちゃうんだよ。来るなって行っても付いてくるし。んで毎回俺を庇おうとするしさ、何考えてんだよ、こっちの神経が持たないっての」
はぁぁぁ、と少し長めのため息がまた漏れた。
それを見てじいちゃんはくっくっくっと小さく笑い、肩を震わせる。
その様子に俺は唇を尖らせて、じいちゃんを見た。
「何で笑うんだよ」
「…面倒な娘だと思っているだろうが、今まであの娘は何度もお前を助けているだろう?ここに居た時も、旅に出てからも。お互い様じゃろ」
「…それは、そうだけど。でも『私も剣道習おうかな』って言われた俺の気持ち分かる?これ以上俺の心配事増やさないで欲しいよ、ホント。多分、ここにいる間に名前ちゃん、じいちゃんに習おうとするよ」
俺の心労は絶えることはない。
人の事よりも自分の事を考えて欲しいのに。
そりゃ面構えが変わってもおかしくはないだろ。
心労でぶっ倒れるよ、俺。
「あの娘が…そこまでしてお前の傍に居たいという事だろう」
じいちゃんの口角がニヤリと上げられる。
俺はなんとも言えなくて、じいちゃんから目線を逸らした。
何なんだ、折角帰ってきたのに誘導尋問を受けているような気分だ。
いつになったら藤乃さんと名前ちゃんは戻ってくるんだよ。
「時に善逸、獪岳とは連絡が取れているか?」
「獪岳?…いや、全く。こっちから飛ばしても返事はないね」
思い出したようにじいちゃんが獪岳の名前を口にした。
俺も気にはなっていたから、とりあえず首を横に振っておく。
旅に出てから何度も連絡入れている。
それはじいちゃんも同じだと思うけど。
今のところ任務で顔を合わせたりしていないから、どうしているのか不明だけど、生きているはずだ。
「返事なしか。まあ善逸は獪岳に嫌われておるからな」
「言っとくけど、俺もアイツ嫌いだからね。名前ちゃんも嫌いだと思うよ。ってか、アイツを好きな物好きなんていないって」
「名前は最初からそうだったな…」
遠い目をしたじいちゃんがこくりと頷く。
名前ちゃんに嫌われるって、よっぽどだよ。しかも初見でかよ、アイツ何したんだ。
「まあ、元気にしてるんじゃないの。連絡無いのがその証拠ってことで」
「だといいが…」
ばたん、と俺は後ろの畳に横になる。
獪岳の事は俺も気になるけど、獪岳自身も俺なんかに心配されたくないだろうし。
なんかあったらじいちゃんには連絡するだろう。じいちゃんには。
「あら、善逸さん。もう横になりますか?」
すっと襖が開けられ、藤乃さんが顔を出した。
転ばれるならお布団用意しますけど、と笑う藤乃さんにとりあえず否定しておく。
「ちょっと転んでただけ。なんか落ち着いちゃってさー」
実家なんて無かったから知らなかったけど、こう落ち着くもんなのかもしれない。
蝶屋敷とは違った落ち着く空間。
気を抜いたら確かに意識が飛びそうだ。
俺は眠らないうちに身体を起こした。
「あれ、そう言えば名前ちゃんは?」
藤乃さんだけがお盆を持って帰って来たけど、一緒に出たはずの名前ちゃんがいない。
首を傾げて藤乃さんに言うと「もう来られますよ」と言って襖を見た。
あ、ほんとだ。
廊下を歩く足音と名前ちゃんの音が聞こえる。
「お待たせしました!」
ドタバタを襖を開けた名前ちゃん。
その様子に俺は言葉を失った。
海老茶色の袴に、青い矢絣柄の着物。
髪は下ろして、上の方だけいつもの髪飾りでまとめてあった。
初めて見る名前ちゃんの袴姿。
街での流行最先端に違いない。だってこんなに可愛いんだからさ。
「藤乃さんが買っておいてくれてたんです。似合います?」
「おー…名前、よく似合うぞ。なあ、善逸?」
その場をくるくる回って袴姿を喜ぶ姿を俺は目に焼き付ける。
じいちゃんなんか完全に孫娘を愛でる顔になっているし。
俺は勿論言わずもがな。
ごくりと唾を飲み込んだ。
暫くじーっと名前ちゃんを見つめていたら、不思議そうな顔の名前ちゃんと目が合った。
「善逸さん?」
「あ、何?」
「何、じゃなくてですね…」
ぷぅーっと頬を膨らませた顔。
分かってるよ。俺の反応を待ってるんだろうけどさ!
そんなの言わなくても分かるだろ!めちゃくちゃ似合ってんだよ。
はぁ、藤乃さんいい仕事する。
チラっと藤乃さんを見たら、いつも目を細めて笑ってるのに、俺を見ている目は何処か悪戯っ子のような、してやったりといった様子だ。
くそ、全部読まれてる…。
「似合います?」
たたた、と俺の隣へすぐに移動してきた名前ちゃん。
俺の目線に合うように座って頭を傾ける。
ねえ、それ狙ってんの?狙ってやってんの?
くそ…。
「に、あう」
名前ちゃんから視線を外してそう言うと、名前ちゃんは不服そうに「何か強制したみたいですよねー」とブツブツ文句を言っていた。
これで勘弁してくれよ…。
ってか、絶対後で覚えといてよね、名前ちゃん。