60. 違和感


名前ちゃんの後から会場に戻ると、藍色のドレスを着た名前ちゃんは一目を憚らず、視線を足元に集中し、頭を下げ必死になって髪飾りを探していた。
さっきまでお上品な佇まいだったというのに、一瞬でそれが崩壊してしまっている。
これをあの五月蠅い男が見たら唾を飛ばして怒ってくるだろう、と思いながら俺は壁を背に名前ちゃんを眺めていた。
あの様子だと他の男も名前ちゃんには近づかないだろう、むしろ名前ちゃんがそれどころではない。

そんなに大切かねぇ、俺と同じ羽織の髪飾り。

自分で考えていた癖に体温が少し上昇する。
大切にしてくれている事は今までも分かっていたけど、無くなったらあんなに怒るなんて。
少し吃驚したけど、嬉しいのは確かだ。

必死に探す名前ちゃんに、一人の貴婦人が近づいているのがこちらから確認できた。
貴婦人の手には黄色い塊が見えたから、もしかしたら拾ってくれたのかもしれない。
案の定、それを見た名前ちゃんが大歓喜して頭を上げ、今にも飛び出しそうな音を立てて貴婦人に頭を下げていた。
なんだ、あっさり見つかったじゃん。
はあ、と俺はため息を吐いて視線を逸らした。

それにしても鬼の気配がしない。
舞踏会も中盤に差し掛かっている、そろそろ人が居なくなってもおかしくはないんだけど。
視界の隅に名前ちゃんだけを入れておいて、本来の任務である鬼の気配を探る事にした。

全然、聞こえねぇ。
本当に鬼がいるのかと思わず思ってしまうくらい、気配がない。
とりあえず、名前ちゃんが戻ってきたら会場の外を探ってみるか。



そんな事を考えていた時だった。
俺は明らかに人間ではない音を耳にする。

…え?

慌てて音の発生源を探したけど、一瞬しか聞こえなかったため、見当たらない。
反射的に名前ちゃんを見たけど、彼女はまだ貴婦人前の立って、こちらには背中しか見えない。
特に問題なさそう、だな。

だが、一瞬。
確実に鬼の音がした。
心臓まで冷えるような、鋭い音だ。
この会場にいた筈だ、一瞬だけど。

いよいよお出ましかよ。

俺は壁に立てかけておいた楽器を収納する箱に手をやる。
踊るとき、流石に無理があったから、日輪刀をここに入れていたのだ。

それにしても名前ちゃん、早く戻って来てよ…。
何してんだよ。

ちらりと遠くの方にいる名前ちゃんに目をやると、既に貴婦人は居なくなっており、名前ちゃんだけぽつんと立っていた。
何してんだ…あの娘。

はあ、と何度目かのため息を吐いて、俺は名前ちゃんの方へ歩いていく。
その細腕を掴んだ時、ゆっくり名前ちゃんが振り返って、俺を見て微笑む。

「探し物は見つかった?」

そう言って尋ねると名前ちゃんは、普段見せないような笑みを浮かべて「えぇ」と笑った。
見つかった、と言いつつ名前ちゃんの手と頭には髪飾りが見当たらない。

「付けないの?」

腕を引きながら、人の少ない壁側へ連れて行く。
大人しく名前ちゃんはついてくるけど、何か違和感を感じる。



「後で付けますわ」



その言葉に俺の違和感が増した気がした。

でも音は、変わらないんだよな。
何だろう、この違和感。

壁に置いていた楽器の箱を掬い取り、俺達はそのままてらす?と呼ばれる外へ出て行く。
今の所、外に人はいないみたいだ。
扉を閉めて、誰にも聞かれない事を確認してから、俺は名前ちゃんに向き直った。

「名前ちゃん、さっきさ…一瞬、鬼の…」

そう言って顔を見た瞬間、
俺は思わず言葉が止まってしまう程、俺は吃驚した。

名前ちゃんが少し背伸びをして、俺の襟を掴みそのまま俺に口づけをしたんだ。

え、え、え?

わざと音を立てて、名前ちゃんの口が離れて行く。
俺は自分の唇を指で触れながら、段々顔が高揚してくるのが良く分かった。

「な、な、な、何してんのぉぉお!?」

俺は驚きと恥ずかしさで声を上げたけど、名前ちゃんは平気そうな顔でニコっと微笑むだけ。
は?何笑ってんだよ!!こんな人の目がありそうなところでするんじゃないよ!!

「こちらに来て…」

名前ちゃんは俺の腕を引っ張り、庭へ降りていく。
未だ顔が赤いだろう俺はそのまま階段を下りて行った。

どういうこと?どういうこと?
名前ちゃんらしからぬ行動に俺は、頭の中はこんがらがって大変だ。

庭を歩く際にポトリと名前ちゃんから髪飾りが落ちた。
それに気付いた名前ちゃんは、それを拾う事もせず一瞥して「こっちです」と一目がなさそうな場所へ引き連れていく。
慌てて俺は髪飾りを拾い、自分の胸にそれを仕舞った。

俺の違和感は、その内確信に変わっていた。



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