61. 乗っ取り



彼女は植木に囲まれた、外からも中の人間からも見つからないような場所まで来ると、やっと俺の腕を離して、またニコリと微笑む。

「やっと二人きりになれましたわね」

普段の名前ちゃんとは違った言葉遣い。
妖艶に微笑む姿からも、普段のそれとはまったく違う事が伺える。

耳からの情報は当てにならない。
だって彼女は名前ちゃんなのだから。
強いて言えば無感情の音がする、くらいか。

「…俺も二人きりになりたかったよ」
「まぁ、嬉しい。こんな素敵な殿方にそう言って頂けるなんて。私の事、好きにしていいのよ?」

そう言って彼女はそっと俺の胸に飛び込む。
が、俺はすぐにその肩を掴んで彼女を引き剥がした。
冗談じゃない。

身体を引き剥がされて、彼女は少し驚いた顔を見せた。
俺だって名前ちゃんならそんな酷い事はしないさ。
名前ちゃんなら、ね。

頭の中で警鐘がずっと鳴ってんだよ。
耳が頼りにならなくても、感覚だけは冴えてるみたいだ。
ガワが名前ちゃんだとしても、中身はそうじゃない。
俺は彼女を睨みながら、背中に担いでいた箱を下ろす。
俺の視線に気付いた女は「ちっ」と小さく舌打ちを零した。

「あーあ。すぐバレちゃうなんて。そんなにわたくし、下手でしたぁ?」

女は高笑いをしながら、自分の頬に手を当てて目を細める。
うっとりするような仕草に女らしさを感じる。
女の鬼か、こいつ。

「…どうしてすぐに分かったのかしら。見た目は勿論、人間に近い行動をしたのだから、不自然でもなかったでしょう?」

「お前、あの貴婦人か…だったら、名前ちゃんが必死に何を探してたのか、知ってるだろ」

俺の言葉に鬼は笑みを消して、ポカンと何を言っているのか分からない、といった顔をした。
首を傾げて「あぁ、あの髪飾り」とぽつり呟く。
心の底からどうでもいいような声色だった。


「簡単に鬼狩りを喰えると思っていたのに。面倒な娘を引き当ててしまったようですわ」
「…酷く手馴れているな。それで何人喰った…?」
「忘れたぁ」


ジリ、と鬼から少しづつ距離を取り、箱から日輪刀を取り出した。
日輪刀を見た鬼は楽しそうに声を上げ、自分の唇を舌で一舐め。
名前ちゃんの声で、名前ちゃんの身体で。


「鬼狩りじゃなくて、他の男を狙えばよかったわ。この娘が他の男と口づけを交わすところを見せてやれば、男と鬼狩り二匹釣れたのに」


クス、と口角上げて唇に触れる女。
俺は反射的に眉がぴくりと反応する。
駄目だ、こんな事で心を乱されるな。
すぅっと息を吐き落ち着きを取り戻す。
腰に刺した日輪刀の鍔に手を掛けると、金属音がその場に響いた。

「あぁ、頸を落とすつもり? この娘の?」

ソイツは名前ちゃんの首をゆっく傾けると、細い指で指さした。

「ここ。傷一つない首よねぇ。斬ったら、さぞ綺麗な色の血が見れるんでしょうねぇ」

ギリ、と俺は自分の歯を噛みしめ、目を細めた。
鬼の言う通り。いくら中身が鬼だからといっても、ガワは名前ちゃんだ。
刃を振れば、死ぬのは名前ちゃんの方だろう。
名前ちゃんから鬼を出さない限り、俺は手を出せない。

考えろ、考える事を辞めたら名前ちゃんが死ぬ。
殺させない、死なせない。
守ると決めた、彼女を。


その時、鬼が何かに気付いたように名前ちゃんのドレスをまくり上げた。


「こんな所に刃物を隠しているなんて、いけない子」


名前ちゃんの短刀を見つけた鬼は自分の頭の上にそれを掲げるように持ち上げ、俺を見つめる。


「どうせ、この娘に傷つける事すらできないでしょう?でも、私は貴方を傷つける事が出来る。とっても楽しい楽しい、遊戯の始まり」


状況は最悪だ。
名前ちゃんが刃物を持ったところで何の影響もないが、相手は鬼だ。
こっちは攻撃を受け流すか、避けることしか出来ない。
少しでも刀を振ろうものなら、名前ちゃんに傷がつく。


真面目に万事休すかよ…。
こんな事なら、連れてくるんじゃなかった。
命が危険なのは分かっていたけど、自分の実力をおごっていた。
俺の、責任だ。

カラン、と短刀の鞘がその辺に捨てられる。
鬼が刃を指でなぞり上げると、その指からはポタポタと雫が垂れる。

クソが。


血が滴る指を口に含む鬼。
そしてまた口角を上げて笑う。

「人間の味覚では美味しく感じないわ。さっさと終わらせましょう」

そう言ってケラケラと笑っている。
短刀を持つ手がゆっくり動く。

その刃が俺に向かって向けられた、が、ぐりんと急回転し刃が名前ちゃんの首に当てられる。
鬼は驚いた表情を見せ、咥えていた手ですぐに短刀を掴むと、寸前の所で刃先を止めた。

ぶるぶると震えながら活動を停止しているが、気を抜いたら刃先は名前ちゃんの首を刺してしまいそうだ。



「オイッ!! やめろ!!」

「…ふざけんじゃないわよ、それは、こちらの台詞…小娘ェ…」



慌てて声を上げたが、どうも様子がおかしい。
鬼の顔から笑みが消え、必死で短刀を止めている。
俺から見れば自分で自分の首を刺そうとしているようにしか見えない。

自分、で…?


「名前、ちゃん…?」


俺は目を見開いて、その姿を見る事しか出来なかった。



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