62. 奪還


鬼は必死で短刀を止めようとしている。
ただゆっくりとそれは前に進んでいて、名前ちゃんの白い首に刃先が触れようとしていた。

「…死ぬ気? この娘。…チッ」

鬼が先程とは違い嫌悪感を隠すことなく表情に映す。
完全に想定外だったことが伺えた。鬼の舌打ちを最後に、名前ちゃんの身体がふっと力が抜け、その場に崩れ込む。

「名前ちゃん!!」

俺が倒れた名前ちゃんに近付こうとしたが、名前ちゃんの身体の前には、血のように赤いドレスを纏った鬼が立っていた。
足元まである髪はまるで灰を頭から被ったような色をしていて、白い肌に目立つような赤い紅。
額に見える二本の角が異形のモノであることを示していた。
妖艶な恰好からは考えられないくらい、眉間に皺を寄せ足元の名前ちゃんを睨む鬼。

コイツが、中身か。
中にいると何も出来ないということね。
刀の手に力を込める。いつでも走り出す用意は出来ている。


「意識ない癖に邪魔はするのねぇ」


そう言って厚底のある靴を履いた足を振り上げ、倒れている名前ちゃんに勢いよく蹴飛ばそうとする鬼。
俺は地面を蹴り、鬼の足が名前ちゃんに到達する前に抱き上げ、鬼から距離を取った。

胸に抱く名前ちゃんは呼吸をしている。
ただ意識が無いだけのようだ。

ほっと胸を撫で下ろし、今度は俺を鋭く睨みつけている鬼を見た。
身体が向けられている殺意に反応して、また警鐘を鳴らしている。

…来る。

名前ちゃんを抱き上げたまま、その場から大きく飛ぶと、先程立っていた地面が次の瞬間には大きくえぐれていた。
全く見えない。
けど、音は聞こえる。

次の攻撃が来る前に、離れた位置に俺は名前ちゃんを寝かす。
ジャケットを脱いでその小さな体に掛け、俺は振り返った。

「鬼狩りって美味しいのかしら。食べた事がないから、分からないわ。楽しみ」

イライラを隠そうとせず、歪んだ表情のまま鬼は俺を見据える。
ゆっくり立ち上がり、俺も自分の刀の鍔をカチャリと鳴らす。

集中しろ、音を聞け。
じいちゃんに教わった事を、忘れるな。
大きく息を吸い、そしてゆっくり吐く。


鬼が先に動いた。
近くの植木が宙に浮かび、それらが俺に向かって飛んでくる。
名前ちゃんに当たらないよう、俺はその場から駆けた。
俺の後ろに鈍い音を立てて植木が落下する。

その音で会場の人間が異変に気付いたようだ。
騒めく声が聞こえる。


「逃げる事しかできないの?」


クス、と笑いながら鬼はゆっくり前に出る。
空に向かって大きく手を広げた鬼が、右手で指を鳴らした。
俺は警戒して、またその場から飛んだが「無駄よ」という声に顔を上げた。

頭上に見える雫たち。
まるで大雨の様に俺の頭上に降ろうとしているそれは、一瞬でマズイと感じるものだった。



「雷の呼吸 一ノ型」


刀を構え、身体を前傾姿勢にし俺はゆっくり息を吐く。



「霹靂一閃」


地面を蹴り上げ、降ってくる雫に向かって刃を振るう。

「…ッ!」

取りこぼした雫が頬を掠める。
まるで火傷をしたような痛みが頬に走った。
酸かよ、これ。


「全部溶かすつもりはないのよ? 私の食べる分が無くなってしまうもの」


酷く楽しそうに笑う鬼。
何処かで間合いに入らないと、面倒だ。
乱暴に頬の傷を拭い、俺は唇を噛む。

「さぁ、楽しみましょう?」

鬼の掛け声とともに、周囲一面に宙に浮く雫。

「…だから、俺は早く帰りたいんだってば」

チッ、と舌打ちを残し、俺はまた地面を駆けだした。




――――――――――――――


身体に軋むような痛みが走ったことで、私は瞼を開けた。
自分の身体がどうなって、今どういう状況なのかを理解したいのに、理解が追いつかない。
私は何をしていた?

顔の横にあった手で石畳に触れる。
他には何かないか、腕を伸ばしてみる。
こつんと指先に触れたのは、私の愛刀だ。

手繰り寄せるようにそれを持つと、私は自分の上半身に力を入れて身体を起こした。

ここ、は?

周囲を見渡して気付いたのは、ここはダンス会場ではなく、立派なお庭だった。
つまり、外。
いつの間に外に出ていたんだろう。
確か私は自分の落としたシュシュを探していて、歩き回っていた筈だった。
一人の女性が私のシュシュを手渡してくれた所までは覚えているんだけど…。

その時、私の背後でドォオオンと爆音が響いた。
慌てて振り返ると、赤いドレスの鬼と善逸さんが対峙している所だった。
そこで初めて私は自分の肩に、善逸さんのジャケットが掛けられている事を知った。


「ぜん、いつ、さん」


ここから見て分かるのは、鬼の攻撃に善逸さんの表情が硬くなっているということ。
鬼がたまに繰り出す攻撃が善逸さんの頭の上から降ってきていて、むやみに近寄れないようだ。
善逸さんは間合いに入ってこそ力を発揮する。
このままじゃ、ジリ貧になる。

フラフラとその場に立ち上がった。
ヒールの靴をポイっとその場に捨てて、私は短刀を握る。

長いドレスも鬱陶しい。
腰下からドレスに刃を入れ、足元まで裂いた。
そこから適当に足が見える程度まで短く裂いて、私はゆっくり歩きだした。

あとで真田さんに怒られるかな?
状況が状況なので、許してほしい。
少し勿体ない気もするけど、背に腹は代えられない。

「……あーあ、折角可愛くしてもらったのに」

ブツブツ文句を言いつつも、歩む先は鬼だ。
すぐにばれてしまうかもしれないけど、背後からゆっくり近づいていく。
なんか足も震えているような気がする。
情けないなぁ、善逸さんが戦っているのに。

肩のジャケットに袖を通した。
別に善逸さんの匂いがするわけでもないけど、まるで善逸さんに抱き締められているような感覚になる。

あ、足の震えが止まった。
私って、現金な奴だなぁ。



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