71. トラブル勃発


時透さんのお屋敷では高速移動の特訓をするようだ。
倒れた人の手当てをしながら横で行われている訓練を見ていると、とても常人とは思えない速さで隊士の人に打ち込みを行い、その結果また次の犠牲者が出ている。
とは言え、何人か時透さんの動きについていこうとしている人もちらほらいるので、練習を積めばみんな出来るようになるのかもしれない。
速さと言う点では善逸さんも負けてはいない筈だ。
今回もそんなに心配する事はないかもしれないけれど。

床に転ぶボコボコに腫れた顔の隊士さんのゆっくり抱き起し、道場の壁に背中をつけて座らせる。
たまに「うっ…」とうめき声が出ていた。
私は目立っている腫れの部分に湿布を貼っていったけれど、湿布だけでは間に合わなさそうだったので
桶と水をお借りし、ハンカチをそれに浸して、腫れている部分を冷やしていく。
そうすると気絶していた隊士の人も瞼が痙攣して、目が覚めた。

「…あ、俺…」

はっと目を覚ました隊士さんがキョロキョロと周りを見渡し、自分の置かれた状況をすぐに理解しようとしている。

「気絶されていたみたいですよ」

そっと声を掛けてあげると、シュンと頭を下げてしまう隊士さん。
その表情は少し暗い。

「もう暫く休憩なさってくださいね」
「ありがとう…」

安心させるようににこりと微笑んでそう言うと、少しだけ隊士さんの表情がほっとしたような顔になる。
それにしても酷い腫れだ。


「…ねぇ」


ハンカチを絞っては腫れた個所に乗せていたら、またもや急に耳元で声がした。
一瞬の内に目の前の隊士さんの顔が恐怖で歪み、私の後ろを見つめている。
私も驚いたけれど、今度は声を上げる事なくゆっくり振り返った。


「…手当をしろとは言ったけど、休憩しろなんて言ってないんだけど?」


無表情の時透さんがそこにいた。
声色はとても冷たくて、目も据わっているように見える。
薄気味悪さを感じながら、私は隊士さんの前に立った。

「…申し訳ありません。でも、先程目が覚めたばかりなので、もう少しゆっくりさせてもよろしいかと」

まさか私が反論すると思っていなかったのか、
少しだけ時透さんは目を見開いて驚いた顔をしたけれど、すぐに元に戻って私を見据える。

「鬼殺隊にそんな甘えた事、通用しないよ。いいから早く立ちなよ」
「それは存じ上げておりますけれど、このまま訓練に戻ればすぐに倒れてしまいます」
「…僕の言う事、聞けないの?」

目の前の時透さんの雰囲気がガラリと変わる。
見えない重い空気みたいなものが時透さんから出ている。
まずい、怒らせたかもしれない。けれど引くわけにはいかない。
けれど私の足は情けない事に、微かに震えていた。
私より年下とは言え、柱の人。
前に出た事を若干後悔しつつ、私は唇を噛んで時透さんを見つめる。


「…君」


時透さんの手がゆっくり動く。
何故か分からないけれど、殴られる、と思ってぎゅっと目を瞑った。
怖い、怖い、怖い。


「…ちょちょちょっと待ったああ!!」


聞きなれた叫び声は私の目の前から聞こえた。
瞼を開けてみると、隊服の背中と金色の髪が見えた。


「何、君まで邪魔するの?」
「ははは、柱だからって女の子に手を出すような事、していいのかよ」


善逸さんは大きく手を広げて、私を庇う様に前に立っていた。
緊張していた心が途端に安堵する。
けれどそれも一瞬だった。時透さんのターゲットが私から善逸さんに移ったから。


「僕のやり方に文句があるなら、君から稽古つけてあげるよ。前に出て」
「…ぜ、善逸さん」


震える声で善逸さんを呼んだけれど、善逸さんは私の方をチラッと見て


「大丈夫だから」


と、優しく微笑んだ。



―――――――――――――――


「痛たたたたァァ!! もっと優しく冷やしてよぉお!!」

お昼休憩となり、他の隊士さんが皆ご飯を食べている頃。
私と善逸さんはお屋敷の縁側に座っていた。
目的は善逸さんのボコボコに腫れた顔を治療するため。

「何が、大丈夫だから〜ですか。全然大丈夫じゃないんですけど」
「うるさいよ! 俺が居なかったら顔が腫れてたのは、名前ちゃんだったかもしれないだろ!」

涙目でそう訴える善逸さん。
その通りだ。
結局あの後、善逸さんは時透さんにボコボコにされて、この有様。
だけど、善逸さんがいなければきっとボコボコになっていたのは私の方だ。


「…ごめんなさい」


善逸さんの頬に手を添えて、小声で謝った。
今回は私が悪い。
私を庇ったから、善逸さんがこんな目にあったわけだし。
自己嫌悪になりそう。

一気に気持ちが沈む私を見た善逸さんは、私の頭にぽんとその固い大きな手を乗せる。

「きっとあの隊士は名前ちゃんに助けて貰って、喜んでると思うよ? だからそんな顔しないでよー」
「でも、善逸さんが…」
「俺の事心配してくれるなら、今度から余計な事しないで俺の後ろにいてくれると嬉しいんだけど」

金色の前髪の隙間から見えた瞳が、思っていた以上に優しい眼差しだったから、私は見入ってしまった。
悪戯っ子のように笑った口元を見て、私もくすりと笑ってしまう。

「さすが善逸さんですねー…かっこいいセリフが似合います」
「それ俺を馬鹿にしてる? ねえ、馬鹿にしてる?」
「誉めてるんです」

ふふ、と笑いつつ私はお庭に立った。
善逸さんに向き直って、そして

赤く腫れたほっぺにそっと口づけを落とした。

音を立ててすぐに離れると、善逸さんのリンゴみたいな顔がそこにあった。


「…そんな優しい善逸さんが好きです」


私までつられてドンドン顔に熱が籠るけれど、善逸さんにバレたくなくてすぐに後ろを向いてしまった。
まあきっと、バレバレでしょうね。



< >

<トップページへ>