72. うさぎおにぎり
夜中に息苦しさを感じて目が覚めた。
まだ日も登っていない、というか真っ暗。
喉の渇きを覚え、枕元に置いていた水を手探りで探したが、コツンと何か指先に触れたなぁと思ったら、手に冷たさを感じる。
あ、零しちゃった。
慌てて手拭でそれらを拭い、後始末をした。
布団まで濡れる事は無かった、けれど喉の渇きは増すばかり。
仕方ない、炊事場まで行くか。
ヨロヨロと立ち上がり、夜中なのでそーっと自室を出た。
確かこっちだったよね。
人様のお家程、歩きにくいものはない。
壁伝いにゆっくり歩いていく。
無事に炊事場にたどり着いた。勿論、誰もいない。
まだ起きるにも早い時間。
なるべく物音を立てないようにそっと水を用意する。
カチャカチャと小さいガラス音が誰もいない炊事場に響く。
「ねえ、何してるの?」
「ウワァッ!」
自分以外誰もいない筈。
急に背後から聞こえた声に驚きの声を我慢する事なんて出来なかった。
全く可愛くない声を出した瞬間に慌てて口を手で塞いだけれど、後の祭り。
背後に立っているその人に「うるさ」と一言呟かれてしまう。
「と、時透さん!?」
振り返って声の主を確認すると、何故か既に隊服を身に纏い、昼間と同じ顔でこちらを見る時透さんの姿がそこにあった。
炊事場の入り口にぽつんと立っているけれど、私だと確認すると中に入って来る。
まだ心臓がバクバクしている。こんな夜中に驚かさないで欲しい。
「何してるの、って聞いてるんだけど」
「の、喉が渇いたので…お水を頂こうと」
「ふぅん」
聞いたくせに対して興味の無さそうな顔である。
私と変わらない身長なのに、何故か威圧感を感じる。
昼間の事もあって少々気まずいけれど、この場の空気が耐えられないのでそっと話題を提供する。
「時透さんは、何を…?」
「任務の後始末にね。昼間は出来ないから」
「た、大変ですねぇ〜…」
ふう、と一息を吐く時透さん。
よく見るとお疲れのご様子。
鬼が急に活動しなくなった、とは言え直前まで悪さをしていた鬼もいた。
そういう任務の後始末だろうか。
でも昼間は隊士たちの面倒を見て、夜中にそんな事をしていたら寝る時間なんてないんじゃなかろうか。
そんな事を続けていたら身体が持たないだろうに。
「まだ起きられます? もしよかったら、おにぎりで良ければ用意致しますけど」
時透さんの様子を見ていたら、自然とそんな台詞が口から出ていた。
断られるかと思ったけれど、少し驚いた顔をしてコクリと頷く時透さん。
「では、畳の上でお待ちください。ここは冷えますので」
用意出来たら持っていきます、と声を掛け私は自分の袖を捲る。
その様子を確認した時透さんは消え入りそうな声で「ありがとう」と言うと、音も立てずに炊事場を出て行った。
忍者か。
―――――――――――
「お待たせしました。どうぞ、召し上がって下さい」
居間で待っていた時透さんの前にコトンとお盆を置く。
小さめに握ったおにぎりと暖かいお茶を置いて、私は時透さんの向かいに腰を下ろした。
焦点のあっていない目で私の作ったおにぎりを眺める時透さん。
何だろう、何かマズイことしたかな。
「何でこのおにぎり、のりが変な形をしているの?」
「あっ…」
時透さんに指摘されて私は気付いた。
しまった…。
そうだ、ついいつもの癖でのりにはさみを入れてしまった。
というのも、以前善逸さんにおにぎりを出す際、悪戯心でのりをうさぎの形に切って、それをおにぎりに貼り付けた事があった。
あの人はそれを見てとても喜んでくれたから、以来ずっとおにぎりはうさぎの形ののりを貼り付けている。
可愛らしいうさぎのシルエットがおにぎり側面に貼り付けられた状態で時透さんの前に鎮座している。
柱にお出しするものに何てことをしたんだ。
さーっと血の気が引いていくのを感じながら「え、と、あの…!」と何とか弁解しようとする。
「うさぎ?」
「そ、そうです…」
首を傾げ、おにぎりを持ち上げる時透さん。
表情だけでは何を考えているか分からない。
どうしよう、昼間みたいに怒られたら。
今は善逸さんも居ないし、困ったな。
最悪の事態を想定しつつ、時透さんの出方を待つ私。
けれど予想に反して無表情だった口元が微かに微笑んだのを私は見逃さなかった。
「可愛いね」
その言葉に心底安堵する。
よ、よかった…!気分を害されていないようだ。
緊張でまた喉が渇いたので、自分用に持ってきたお茶を啜る。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
ぱくり、と時透さんがうさぎおにぎりを一口。
咀嚼する様子を見ていたけど、味も問題なさそう。
ほっと胸を撫で下ろす。
暫く時透さんは無言でおにぎりを食べていたけれど、ごくりと飲み込んだあと、私に向かって口を開いた。
「君さぁ、女中手伝いって聞いてたけど、本当に女中手伝いなの?」
「え、そうですよ?」
「全然そんな風には見えない」
時透さんって、良く分からない人だけれど、確実に言える事は私に対して若干失礼だという事だ。
そんな風に見えないだと。これでも長い事女中をしてたのに…!
「何故そう思われるんですか?」
少しむっとして言うと、時透さんのどこを見ているのかわからなかった瞳が、私を見つめる。
「だって、僕の方針に口出しするし」
「あの時は仕方ないです。皆さん、時透さんみたいに体力オバケではないんですよ」
「体力オバケ…」
反復して呟く時透さん。
怒るかと思ったけれど、そんな事はなかった。
昼間より話の分かりそうな雰囲気。
「あと君…」
「どうせならお名前、覚えてください。苗字名前といいます」
「…名前は、あの金髪の隊士と行動してるんでしょ。何で?」
そう言うと時透さんはもう一かじり、おにぎりを頬張った。
ぱちぱちと瞼を何回か瞬きさせ、時透さんを見る。
「宇髄さんから聞いていませんか?」
「女中手伝いと聞いてるけど」
「私、善逸さんの保護者なんです」
「は?」
は?と言った時透さんの顔が思ったよりも間抜けで、私は思わずくすりと笑ってしまった。
だってさっきまで殆ど表情を変えなかったのに、急にポカンって顔になるんだもの。
それが年相応に見えて、私も心の中で安心する。
ちゃんとこの人は少年だ。
「……まあ、いいや。あの金髪の隊士がいる間は名前もここにいるって事でしょ」
「そうなりますね。それまでしっかりお仕事させて頂きますよ」
「今度は邪魔しないでね」
「それは約束できません」
私の言葉に今度は時透さんがムっとする。
段々表情の変化が著しい。
それが楽しくて、私は微笑みながら続けた。
「人間って疲れている時に何をしても駄目なんですよ。だから休息が必要なんです。時透さんだって、今凄く疲れているでしょう? そんな時に頑張ったって、身に付かないんです」
いくら隊士の強さを底上げする必要がある、といっても。
そう言うと、時透さんは何か考え込むように俯いて、顎に手を当てる。
ぼそっと小さな声で「面倒だな」と呟いたようだけど聞かなかったことにした。
私にすれば貴方たち体力オバケ(善逸さん含む)の方が面倒ですけど。
「とは言え、サボるのは訳が違いますから。うちの善逸さんは隙あらば逃げようとしますので、監視しておかないといけないんです」
「…保護者ね」
「でも良い所もあるんですよ?」
「ふーん」
許されるなら善逸さんの良い所の一つくらい言ってもいいけれど、
きっと時透さんには凄く興味のない事だと分かるから、口にはしない。
指についたご飯粒をぺろりと食べる時透さん。
有難い事に完食してくれた。
空っぽのお皿を前に出して「ごちそうさま」と言う。
「お粗末様でした」
お皿をお盆の上に乗せ、私は立ち上がる。
同じように時透さんも立ち上がる。
さて、もうひと眠りしようかな。
「名前」
「はい、なんですか」
お皿を炊事場に持っていこうとした時、時透さんが私の名前を呼んだ。
ちゃんと名前は憶えてくれたらしい。
「ありがとう」
そう言って、幼さが残る微笑みを向ける時透さん。
良い事をした気分になったので、私もつられて笑ってしまった。
「いえ、どういたしまして」
時透さんと仲良くなれた気がして、心の中がほっこりした。
その日の朝、私に対して少し柔らかくなった時透さんを見て、
善逸さんが超絶不機嫌な顔で「何があったの?」としつこかった。