76. 逃避行




伊黒さんの所での修行は怪我が多かったけれど、めきめきと善逸さんの動きが初日から全然違うものになった。
ボカスカ叩かれていた数も日が経つにつれて、減っていき、相変わらず私には何をしているのか全然見えないけれど、2人で仲良く金属音を鳴らす程度にはやり合っている。
そして私はと言うと休憩時間の度に、伊黒さんから甘露寺さんの所での過ごし方を質問され、時には誘導尋問までされて会話を楽しんでいた。
どうやら2人は文通しているらしく、毎日ころころ変わる甘露寺さんの話題に、私は感嘆の声しか出ない。

そうして何日か経ったある日。
善逸さんが奇跡的に伊黒さんの肩に、木刀を当てることが出来たようだ。
伊黒さんに要約すると「次の柱へ行け」というような事をネチネチネチネチと言われている善逸さんに、同情の視線を送った。
そして磔にされている隊士の人からの、悲し気な視線を感じながら、私たちは出ていく準備をする。


「伊黒さん、もっと積極的にお食事のお誘いをした方がいいですよ」
「分かっている。お前に言われなくとも、次の約束は抜かりない」
「…何の話だよ」

すっかり仲良くなった私は伊黒さんにお別れの挨拶をして、伊黒邸を後にする。
伊黒さんは見た目邪悪だけれど、甘露寺さんにはとても優しい紳士だと、私は知っている。
きっと2人はいい仲になれるだろう。
2人の行く末を脳裏に浮かべていると、思わず頬が緩んでしまう。
それを目を細めて変な顔で見つめる金髪は、小声でずっと文句を言っていた。

「何ですぐ仲良くなるわけ? ねえ、なんで?」

そんな事を言われてもこっちだって困る。
むしろ私からすれば、ほぼ毎回何故、喧嘩腰で対応するのか知りたいくらいだ。

「でも、次の柱は多分無理じゃないかな」
「とんな方なんですか?」

絶望が垣間見える表情でため息を吐く善逸さん。
柱の方って個性的だけど、悪い人はいない。
善逸さんはそう言うけれど、案外あっさりと仲良く慣れるような気がするんだけどな。

「風柱のアレが笑った所なんて見たことないよ」
「それは善逸さんがただ嫌われているだけじゃないですか?」
「…今の一言がブスっと心臓に突き刺さったよ」

道中はそんな会話をしていた。
風柱の不死川さんのお家に着いて、私はその話が嘘ではなかった事にようやく気づいた。

「お前らかァ? 稽古つけてやるから、そこに立ってろ」

ぶっきらぼうにそう言う不死川さんの顔を見て、私は内心帰りたくて仕方なかった。
ここここ怖い怖い怖い。
なんであんなに傷だらけなの?何であんなに瞳孔開いてるの?
獪岳も怖かったけど、不死川さんがダントツだわ。
ちらりと隣の金髪を見ると、こちらは悲壮感に満ちた顔で「だから言っただろ」と言いたげであった。
善逸さんと仲良く並んで立っていたら、お庭から悲鳴が聞こえてくる。
それを聞いてさらにビビり上がる私。

「おい、金髪こっち来い。次はお前だ」

そう言って鋭い眼光の不死川さんは、庭からひょっこり顔を出し、善逸さんを呼んだ。
私も怖いもの見たさで、その後ろを着いていく。

結果的に言うと、大人しく屋敷の中に入っておけば良かったと後悔することになった。

不死川さんの周りには息絶えた隊士さん…ではなく、気を失った隊士さんがバッタバッタと倒れており、今まで回った柱稽古の中でも1番キツイのが見てわかった。

「おい、女ァ。お前、こいつらに水をかけろ」

地面に倒れた隊士さんの首根っこを掴んでひょいひょいと私の足元に投げつける不死川さん。
ヒィィ…こ、怖すぎ。
私でこんなに怖いのだから、善逸さんはもっとヤバいんじゃ…と目を向けたら、なんと立ったまま気を失っていた。

「ぜ、善逸さん! 戻ってきて!起きて!」

慌ててほっぺたをバチンバチンと叩くと、すぐに目覚めたけれど、目覚めた瞬間から「無理無理無理ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」と叫び始めた。
これはダメだ。

案の定「うるせえ」と真っ先に不死川さんに斬り掛かられて、善逸さんはその後暫く鬼ごっこをする羽目になった。

不死川さんの稽古は、不死川さんに斬りかかるだけでいい打ち込み稽古だった。
簡単そうに言ったけど、1番大変だ。
何せ稽古が終わるのは善逸さんが気を失ったら。
つまり、起きていればずっと不死川さんと殺り合ういう辛くて恐ろしい稽古だ。
善逸さんの前に打ち込み稽古をしていた隊士の皆さんは、見事失神されており、私が井戸から汲んだ水を掛けると一瞬で目は覚める。
けど、状況に気づいてすぐさま、また気を失う。
誰だってあんな稽古したくないよね。

そんな中、暫く善逸さんは頑張っていたけれど、不死川さんの一撃が腹に入り、そのままバタンと倒れてしまった。

「クソが…」

そう言って善逸さんをひょいっと持ち上げて、私の方へ投げつける不死川さん。
慌てて善逸さんに駆け寄って、顔を見るとそれはもう無惨な死に顔だった。
いや、死んではないけど。

善逸さんが寝ている間に起きた隊士の人が次の被害者だ。
私は眠った方々の腕を引っ張り、なんとか庭の隅に連れてくると、それぞれの1番酷い怪我に冷たい手ぬぐいを乗せた。
中には嘔吐して気を失った方もいたので、なるべく綺麗にしてあげる。

…はあ、こんなに大変な稽古、長く続くのかな。

私の不安は数日後に的中する事になる。



ーーーーーーーーーーーー

不死川さんのお家に来て1週間が経った。
朝から晩まで不死川さんに立ち向かう隊士の皆さんは、本当に凄い。
でもそれを休憩なしに相手にする不死川さんも凄い。

日に日に増えていく皆さんの怪我は相当なものだった。


天気が良さそうだったので、皆さんの布団を干していた時。
ジャリ、と後ろから砂利を踏む足音がした。
特に気にせず布団を干し続けていると、私の腰がふわっと持ち上がる。

「ぎゃあっ」

吃驚して声を上げると、私を持ち上げた人が慌てて私の口を塞いだ。
なになに!不審者!?変質者!?

出来うる限りの力で抵抗するけど、全く歯が立たない。
やだ、やだ!
善逸さん!助けて!!

「ちょ、ちょっと! 騒がないで名前ちゃん!」
「んーっ!?」

不審者は善逸さんだったみたいだ。
冷静に考えれば、私を持ち上げて口を塞ぐなんて芸当、一般人には無理だろう。
それこそ毎日鍛えている人じゃないと。

善逸さんは私の口から手を離して、よっこいせとお姫様抱っこに持ち変える。

「お願いだから、静かに。しーっ!」
「…何してるんですか、善逸さん。暴漢かと思いましたよ?」
「暴漢でも何でもいいから、とりあえず静かにして!」
「は、はぁ…」

善逸さんは必死の形相だ。
急遽任務でも入ったのかな。
私は善逸さんの尋常ではない様子に口を噤む。

私が黙ったのを確認した善逸さんは、私を抱いたまま、タッタッタッと庭を駆ける。
そしてあろう事か、庭の塀をぴょんと飛び越え、屋敷の外へ。
…あれ、様子がおかしい?

善逸さんの表情は何かから怯えたようなものだし、額は汗でびっしょり。

え、もしかして…

「善逸さん…? 何処に行くんですか?」
「何処って、逃げるに決まってるでしょー!? あんな所に居たら命が幾つあっても足りないよぉお!!」
「に、逃げっ…嘘でしょ!?」

疑いの眼差しで善逸さんに問うと、案の定逃げるつもりのようだ。
私を抱きながら道を滑走している様子に、呆れてものも言えない。
…あの不死川さんから到底逃げられるとは思わないけど、大丈夫なのだろうか?
捕まったら余計酷い目に合う気がする。

「私は戻った方がいいと思いますよ」
「無理無理いぃぃ!! 俺死んじゃう! 稽古で死ぬうぅ!!」
「捕まっても死ぬと思いますが…」

唾を飛ばして「無理だ」と叫ぶ姿は些か情けない。
だけど本当に逃げるつもりがあるなら、私の事は置いて1人で逃げればいいのに。
変なところ律儀なんだなぁ。

まあ、少しの間にはなるだろうけど、ちょっとした逃避行を楽しむことにしよう。
久しぶりに抱っこしてもらったし。

私は走ることに夢中の善逸さんにバレないように、胸板に顔を埋めた。
あ、善逸さんの匂いと音がする。
まるで変態だな、なんて考えながら善逸さんの音に耳を傾けていた。



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