78. 兄弟喧嘩


一瞬何が起きたか分からなかった。
大きな音と共に縁側の横の障子が倒れ、中から炭治郎さんとしのぶさんの屋敷で会った不死川玄弥さんが這い出てきた。
りんごを食べていた隊士の皆さんがぽかんとそれを見ていて、一寸置いて善逸さんが声を上げた。

「うわあああああ!!」

私の耳元で叫ばれる声に一言言ってやろうと思ったら、すぐに善逸さんと他の隊士さんが地面に突っ伏する。

「戻ってきた!戻ってきた!血も涙もない男が!伏せろ、失神した振りだ」

その声に倣って皆さん同じように突っ伏している。
血も涙もない男、というのは風柱の不死川さんのことだろうか。
私だけが縁側に座り、他の皆さんは地面に這いつくばっているという異常な状況で、善逸さんがやっと気づいた。

「あれ?炭治郎か?」

この人は何を言っているんだとばかりに、冷たい視線を投げる私。
だけどそのすぐ後に這い出た炭治郎さんが、家の中に向かって声を上げる。

「やめてください!」

まるで恐ろしいものを制止するように叫ばれた声に、私もそちらの方に視線を向けた。
倒れていない障子からぬっと出てきたのは、風柱の不死川さんだった。
今気づいたけれど、不死川玄弥さんって、不死川さんと同じ苗字だ。

ただ、先程とは様子が全然違う。
何か、怒りを溢れ出したようなそんなオーラが私にも見えた。
あながち、血も涙もない男というのは正解かもしれない。

「どういうつもりですか!!玄弥を殺す気か」

次に炭治郎さんから吐かれた言葉に身震いした。
えっ?それってどういうこと?

「殺しゃしねぇよォ、殺すのは簡単だが、隊律違反だしよォ」

間髪入れずに不死川さんが続ける。
そしてその恐ろしい眼差しを炭治郎さんとその後ろにいる不死川玄弥さんに向けて、ニヤリと笑った。

「再起不能にすんだよォ、ただしなァ今すぐ鬼殺隊を辞めるなら、許してやる」

左手を上げて、怖い顔でそう言う不死川さん。
ピリピリとした空気が私たちを包み込む。
不死川さんが、不死川玄弥さんを殺そうとした?
情報がイマイチよく分からない。

「ふざけんな!貴方にそこまでする権利ないだろ!!辞めるのを強要するな!」

炭治郎さんが食って掛かるように叫ぶ。
そして、

「さっき弟なんかいないって言っただろうが!!玄弥が何を選択したって口出しするな、才があろうが無かろうが、命を懸けて鬼と戦うことを決めてんだ!」

唾を飛ばしながら玄弥さんを庇うように言い放つ姿を見て、何となく状況を理解した。
玄弥さんは柱の不死川さんと兄弟なんだ。
そして、鬼殺隊に入ったことを反対されている、と言ったところだろうか。

「兄貴じゃないって言うんなら、絶対に俺は玄弥の邪魔をさせない!玄弥がいなきゃ、上弦に勝てなかった!再起不能になんか、させるもんか!!」
「そうかよォ、じゃあまずテメェから再起不能だ」

額に青筋を沢山作った不死川さんが、ゆらりと炭治郎さんに近づいていき、そして急にその太い腕を振り上げて、炭治郎さんの腹に一撃をお見舞いする。
鈍い音がその場に響き、私は思わず自分の口元に手を当ててしまった。
た、炭治郎さん…!

「うっわ…炭治郎!」

善逸さんも同じことを思ったのだろう、声を上げる。
炭治郎さんの方をよく見ると、不死川さんの拳と炭治郎さんの腹の間に、炭治郎さんの手が入っていて、直撃は回避出来たのが分かった。
歯を食いしばり、宙に浮いたまま炭治郎さんが腕に力を込める。

「ふんがァ!」

炭治郎さんの身体が大きく回転し、右足が不死川さんの後頭部に直撃する。
その拍子に後ろに吹っ飛ぶ炭治郎さん。
すぐに体勢を戻し、こちらを見る。

「善逸ーっ!玄弥を逃がしてくれ!頼む」

不器用にウィンクを飛ばして言う姿は少し格好良かったけれど、問題は金髪の方である。
急に名前を呼ばれたことで、目を限界まで見開いて首を横に振っているが、炭治郎さんはそれに気づかない。

だけど、その合間にも不死川さんの蹴りが炭治郎さんを襲う。

「炭治郎!」

後ろにいた玄弥さんが叫び、寸前で炭治郎さんが避けた。
ピッと顔に一筋の傷が走る。
よ、避けたのに…!

「いい度胸ォしてるぜ、テメェは。死にてェようだから、お望み通りに殺してやるよォ」
「待ってくれ、兄貴!炭治郎は関係ない!」

すぐさま玄弥さんが止めに入ろうとした、が、その前に金髪が走り出し玄弥さんの手を掴んだ。
手を引いたま私の方へ走ってくると、空いている手で私の片手も掴み、走り出したのだ。

「お前、離せよ!」

片手に玄弥さん、もう片手に私を携えたまま、炭治郎さんと逆方向に走る善逸さん。

「揉めてる人間は散らすといいんだ、距離を取る!」

なるほど、善逸さんの言うことは一理ある。
だけど何故私まで連れて行かれているのかわからないけれど。
バタバタと全速力で足を回転させる。

「アレ、お前の兄貴かよ!?完全に異常者じゃん!気の毒に…」

善逸さんが同情の眼差しで玄弥さんを見た瞬間、玄弥さんが手を振り払い、その手で善逸さんの頬に1発殴りかかった。

「俺の兄貴を侮辱すんな!!」
「俺味方なのに!!」

善逸さんが私との手を離してくれたので、私は巻き込まれずに済んだけれど、善逸さんの頬に華麗に決まったパンチのお陰で、鼻血を飛ばす善逸さん。
あぁ…!可哀想!


ーーーーーーーーーー


結局炭治郎さんの方も他の隊士さんが雪崩込み、ようやく止まったみたいだ。
こちらはこちらで、怒った玄弥さんが善逸さんに殴り掛かるのを間に入って止めて、なんとか事なきを得た。
でも無傷とはいかなかったけれど。

炭治郎さんは別室にて叱られ、風柱の不死川さんとの稽古は中止する事になってしまった。
というか、炭治郎さんと不死川さん、接近禁止令が出たらしい。
多分次に顔を合わせたら、今度こそ死人が出るだろうし。


不死川邸から予期せぬ出来事で追い出されてしまった私たちは、そのまま次の柱の稽古に向かう事になった。
道中炭治郎さんは勿論、玄弥さんの顔は凄く暗くて横に並んで歩いているだけでも、その感情が分かってしまう程だった。

「…玄弥さん」
「げ、玄弥、さん…!?」

何か言わなければ、と声を発したら、玄弥さんではなく、私の逆隣にいた頬を大きく腫らした金髪が反応した。
貴方じゃない、貴方じゃ。

「な、なんだ…」
「お兄さんなんですね、不死川さんと。何があったかは深く存じませんけれど、私も弟がいる身ですので、長子の思うところは若干分かりますよ」
「……」

顔を俯かせる玄弥さん。
玄弥さんの思っていることと、不死川さんの思っていることは、きっとそれぞれ一致している。
お互いを思いあっているだけの話なのだ。
でも当人達はきっと自力で気付くのは難しい。

「私も弟とはそんなに仲が良い方ではなかったんですけど」

もう会えない家族を脳裏に思い浮かべる。

「幸せになって欲しいって、思っていますよ。だから、不死川さんも思いの形は違えど、同じ事を思っているんじゃないかなーと」

まあ、家庭環境が違うので、必ずしもそうだとは言い切れませんが。
にこっと玄弥さんに笑いかける私。
不安そうに揺れる瞳と目が合った。

「ね?」
「…そ、そうだと…いいなぁ」

つられて玄弥さんも口元を緩めてくれる。
少しだけでも気分が前向きになってくれたのなら、とても嬉しい。
前を歩く炭治郎さんもいつの間にかこちらを見て、にこにこしていた。
私の隣の金髪だけが歯ぎしりをして、呪詛をブツブツ唱えていたけれど。

とうとう我慢出来なくなった善逸さんが、私と玄弥さんの間にわざわざ割り込んできた。
「ちょっと…」と声を上げたけれど、問答無用で玄弥さんの顔面に顔をギリギリまで近づける善逸さん。
あぁ、玄弥さんとお話したかったのか。
それならそうと言ってくれればいいのに。

私は空気を読んで、玄弥さんの隣を善逸さんに譲ってあげた。

暫く、まるで玄弥さんを睨みつけるような熱視線を飛ばしていた善逸さんだったが、ボソリと呟く。


「…惚れるなよ。俺のだから」


残念ながら、その言葉は私には聞こえなかったので、
微笑ましく二人の様子を見ている事しか出来なかった。



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