81.産屋敷襲撃


あれから、数日が経った。
気持ちの整理はまだつかない。
だけど、善逸さんは表面上はなんとか折り合いをつけているようで、稽古に真剣な様子で取り組んでいた。
炭治郎さん達が私達を見て、不思議そうにしていたけれど、まだちゃんと説明する気にはなれなかった。
でもきっと、ちゃんと伝える事が出来ると思う。
それまで時間が欲しい。

皆が皆、思うように稽古をすすめ、以前よりも体付きも変化してきた。
悲鳴嶼さんはあまりちゃんと説明しないけれど、あの人の教えることは間違ってはいない。

三日月の綺麗な夜だった。
善逸さんもやっと稽古から戻ってきて、晩御飯はいらないと言ったから、軽食用におにぎりを作った。
縁側で2人並んで、月を見ていた。

月を見ると旦那様の御屋敷を思い出す。

なんだか右手首がズキズキと痛むような気がする。
気の所為だろうか。
ふと視線をかつてあった痣のあった場所に向けた。

「あれ?」

薄ら、痣が見えた。
今朝まであっただろうか。
500円玉くらいの、丸い痣。

「どうしたの?」

善逸さんが私の声に反応して首を傾げる。
私は善逸さんに痣のことを説明しようとした、その時。


「緊急招集ーッッ!!緊急招集ーッ!」


屋敷にいた誰かの鎹鴉たちが、一斉に泣き叫び始めた。
尋常ではない様子に善逸さんと私も言葉を失う。

「産屋敷邸襲撃ッ!!産屋敷邸襲撃ィッ!」

次に鴉達が発した声に、私は驚愕する。
産屋敷とは御館様のお名前だ。
鬼殺隊の長の家が襲撃されるような事は、決してないと聞いていた。
巧妙に隠されているし、そこら辺の鬼では見つけることは出来ないと。

「無惨だ…」

ポツリと善逸さんが呟く。
私はゴクリと唾を飲んだ。
鬼舞辻無惨、それは鬼の始祖。
諸悪の根源。
奴を倒す事が鬼殺隊の目的。

そんな奴が出てきたというの?

「…もう最後の戦いになる」

その言葉で、今までの柱稽古はこの為にあったんだと、瞬時に理解した。
だったら、急がなくてはならない。
隊士の皆が駆けつけるだろう。

「善逸さん、早く準備をしましょう!」

私はお盆を端に置いて、自身のカバンから短刀を取り出す。
それを懐に差し、サイドに流していた髪も邪魔にならないよう、括り直そうとした。

だけど、それは善逸さんの言葉によって動作を止めてしまった。


「名前ちゃんは、連れて行かないよ」


はらりと手にあった髪が落ちた。
驚いた顔で善逸さんを見ると、善逸さんは笑っていた。

「…えっ?」

気の所為だろうか。
首を傾げて尋ねると、善逸さんの口がもう一度動く。

「だから、連れて行かないよ」

そう言いながら、隊服の上半身を纏い、私のカバンの横にあった自身の羽織の袖を通した。

「…何言ってるんですか、行かないなんて今更無理です。私はずっと善逸さんと一緒ですから」

善逸さんの言葉を無視して、落ちてしまった髪を纏め上げようとした。
こんな時に何の冗談を言うんだ。

「…分かってる。でも、無理だ」

私の手首を掴んで善逸さんが呟いた。
さっきまで笑ってたのに、急に真面目な顔をしている。
変なの、善逸さんじゃないみたい。

「嫌です」
「……」
「だって、いるんでしょう?そこに…」

獪岳が。
ふ、と笑って善逸さんの手を振り払おうとしたけれど、全然離してくれない。
手首の痣がより一層痛みを増した気がした。

「…私も行きます」
「駄目だよ」
「どうして…っ…」

いつもは、最初はダメだと言う。
でも後から呆れたように仕方ないと納得してくれる。
なのに今日は…。
いつもと違う善逸さんに戸惑いを隠せない私。
まるで責めるように声を荒らげた。


「名前を、死なせたくないから」


鋭い視線が私の瞳を射抜いた。
掴んでいた手首を引かれ、私はそのまま善逸さんの胸の中へ。
私の右手は善逸さんの手が絡められていた。
背中までぎゅっと抱きしめられ、掠れた声で耳元で囁く。

「いつもありがとう。でも、俺が殺らなくちゃいけない。…きっと、余裕なんてない」
「…いやです、私も…」
「俺が弱いせいで、名前を死なせたくない。頼むから、今回は言う事聞いて」
「やだ!」

まるで子供のように駄々をこねる。
善逸さんの背中の羽織に掴み、引っ張るけどびくともしない。
私が残る?無理だ。
だって、善逸さん。


「死ぬ気でしょう?」


泣き叫びながら言った。
でも善逸さんは答えなかった。
それが肯定しているように聞こえて、私は善逸さんの羽織に雫を垂らしていく。

「善逸さんの居る所が、私の場所なんです…!一緒に、ずっと一緒にいるんです!」
「うん、今まで俺の傍に居てくれたよね」
「今回だって、なんとかなるかもしれないじゃないですか。今までそうだったように!」
「いや…今回は無理だよ」
「そんなこと…!」

善逸さんが私の顔を見る。
とっても苦しそうに、その口が動くのを見ていた。


「俺が守るって決めたんだ」


昔、善逸さんが私を守る、と言ってくれた、あの時を思い出した。
傍に居ることよりも、遠くで、絶対安全な場所で、私が生きていることを望んでいる目だった。

「だから、待っててよ」

さっきまでの表情を捨ててにこりと微笑む善逸さん。
それでも私は泣きながら首を横に振るしか出来ない。

「…もう、頑固だなぁ」

困ったように笑って、そして
私の唇に啄むような口付けを落とす善逸さん。

まるで、それが最後とでも言うような。

名残惜しそうに唇が離れ、

「…ごめんね」

善逸さんの声が聞こえた時には、私の意識が薄れていくのを感じた。
いやだ…善逸さん…!

手首の痛みだけじゃない、胸が痛い。
そうして私は意識を手放した。


ーーーーーーーーー


「はぁー随分手荒いことするねェ」
「…うるさい」

無理矢理眠らせた名前ちゃんを抱いていたら、後ろから声が聞こえた。
腕を組み、俺を見下げる男。
その表情は薄ら笑みが見えた。

「そんなこと言って良いのかァ?俺様が連れて行かなかったら、嫁はその辺に置き去りだぜ?」
「そんな事したら殺す」
「出来るもんならやってみろや」

クックッ、と何が楽しいのか、大男宇髄さんは笑っている。
俺は名前ちゃんの額に口付けをして、そのまま宇髄さんの元へ名前ちゃんを連れていく。

「…心配すんな。お前の嫁は帰ってくるまで俺の嫁だ。絶対守ってやるからよ」
「アンタの嫁ではないだろーがッ!!」
「冗談も通じねえ」

こんな時に冗談を言ってる馬鹿はこの大男しかいないだろう。
俺は宇髄さんの腕で眠っている名前ちゃんを見て、ポツリ呟いた。

「生きててさえ、くれたら…」

そんな呟きを宇髄さんが鼻で笑う。

「これでお前が死んだら、お前の嫁、後追いするんじゃね?」
「…かも」
「じゃあ、死ねねーな」
「うん」

ほら行け、と尻を蹴っ飛ばされ、俺は小さく悲鳴を上げた。
もう一度、名前ちゃんを見て、それから自分の手首にぶら下がっている編み込まれた糸を見た。

『お守りでーす。善逸さんみたいに毎回怪我をする人は御守りに頼らないといつか死にます』

そう言って、恥ずかしそうに耳まで赤くした彼女。
糸の色が俺の髪の色と、名前ちゃんの羽織の色であることはすぐに気づいた。
俺を想って編んでくれた事なんてすぐに分かる。

「離れていても、一緒だから」

ぐっと拳を握って、俺は走り出した。



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