84. 漆ノ型 火雷神


「雷の呼吸 肆ノ型 遠雷」

獪岳の声が聞こえた。
俺もよく知っている、その技は鬼化の影響なのか全く別のものに見えた。
まるでじいちゃんの大切なものが汚されたような気さえする。
酷い苛立ちと吐き気を覚えながら、俺はそれをただ見ていた。

獪岳とのすれ違いざま、俺は軽蔑の眼差しを獪岳に向けた。

「おせーんだよ、クズ」

途端、獪岳の方から胸に掛けて血が噴き出す。
遅い。遅すぎる。
じいちゃんの所に居た時、獪岳はこんなものだっただろうか。
それとも俺が強くなったのか。
どちらにせよ、どうでもいい話だ。

獪岳は酷く驚いた表情をしていた。
俺みたいな弱い奴に一太刀入れられた事が信じられないのだろう。

獪岳と向かい合う。
じわじわと獪岳の表情の怒りが見え始め、そしてプルプルと手が痙攣しながら刀を掴む。

「死んで当然なんだよオオ!! ジジイもテメェもォオ!!」

怒りに震える獪岳を見つめる。
奴が駆けだした。

「雷の呼吸 弐ノ型 稲魂」

これもよく知るじいちゃんの技だ。
だが俺の知ってるそれとは比べ物にならない威力だった。
一息の間に5連撃が飛んでくる、とてもじゃないが、人間には不可能だろう。

俺の頬にピシっと傷が入る。

「大勢人を喰ったな、もう善悪の区別もつかなくなったんだな?」
「善悪の区別はついてるぜ」

ニヤリと獪岳が笑みを浮かべた。

「参ノ型 聚蚊成雷」

何とか避けた。
だが避けたというのに何発か頂いている。
羽織が裂ける程の傷、そこから滴る血。
それをみて更に楽しそうに獪岳が笑う。


「俺を正しく評価し認めるものはW善W!!」


獪岳の身体がぐるりと回転し、刀を振り上げる。
そして、また俺の身体に波状攻撃が刺さる。
致命傷ではない、だがこれ以上傷を受ける訳にはいかない。

「低く評価し、認めないものがW悪Wだ!!」

俺は刀を構え、次の技を受け止める準備をする。
ギリ、と奥歯を噛み獪岳を睨みつけた。

「伍ノ型 熱界雷」

俺の頬に激痛が走る。
ビキビキと自分の身体が悲鳴を上げた。
獪岳から放たれた技が、ただの技なはずがない。
コイツはもう、鬼なのだから。

痛みとともに思い出すのは、昔はじいちゃんの屋敷で一緒になって修行をしたあの頃。
休憩時間には名前ちゃんが、桃の入ったカゴを持ってフラフラとやってくる。
それを乱暴に受け取って獪岳は他所へ行ってしまう。

もう、戻ってこない、日常。

「どうだ?血鬼術で強化された俺の刀の斬れ味は。皮膚を!!肉を!!ヒビ割って焼く斬撃だ!!」

獪岳の声に虫酸が走る。
だが、受けた傷は確かにタダでは済まない。

「陸ノ型 電轟雷轟」

俺の目視で捉えることが出来た、黒い稲妻。
一つ一つが斬撃となり、俺の身体に突き刺さっていく。
避けなければならない、だけどそんな簡単に避けられるものでは無い。
俺にはこの技は使えないけど、よく見てきた。
そして鬼化のせいで、どんな威力になっているのかも理解した。

俺の後ろにあった襖達がバラバラと崩れ落ち、微塵となる。


「喰らった斬撃はお前の体でヒビ割れ続ける。目に体に焼き付けろ、俺の力を。鬼になり雷の呼吸を超えた!!」

壁を突き抜け、そのまま床のない場所まではね飛ばされる。
自分の身体が落ちていくのを感じながら、にやりと笑う獪岳を見ていた。

「俺は特別だ、お前とは違う。お前らとは違うんだ!!」

そうだ、俺は獪岳とは違う。
ひたむきに努力していたアンタと修行から逃げたかった俺とは、そもそも土台が違う。
だけどこんな俺でも、支えてくれる子がいたから、今までやって来れたんだ。
アンタは…

ずっと羨ましかった。
じいちゃんからも他の弟子達からも一線を引く存在。
そんなアンタみたいになりたかった。
だから、夜中にこっそり練習してみたりした。
人を守る理由が出来てからは、より一層努力した。

嫌い合うんじゃなくて、もっと言葉にすればよかった。
無視じゃなくて喧嘩をすればよかった。
今更後悔しても遅いけど。

『私が…獪岳を殺します』

ふと頭に響く名前ちゃんの声。
そんなことさせられる訳ない。
俺を庇って言ってるのはわかったんだけどさ。
でも、これは俺の仕事だ。

じいちゃん、ごめん。
俺たちの道は分かたれた。

残り少ない体力で空中でぐるん、と身体を回転させる。
足場になりそうな壁に足を着いて、頭上の獪岳へ視線を飛ばした。

ごめん、兄貴。

俺は獪岳に向かって、大きく跳躍した。


「雷の呼吸 漆ノ型 火雷神」


獪岳の頸だけを落とす事を考えて繰り出した技は、未だ誰にも見せたこともなかった。
奴の動きよりも遥かに早い速度で、俺は頸を刎ねた。
入れ替わるように俺より低い位置で落下していく獪岳。
俺は自身の身体が落下していくのを、何の抵抗もできずに身を任せた。

「畜生!!畜生!! やっぱりあのジジイ贔屓してやがったな!!お前にだけ教えて、俺に教えなかった!!」

既に身体と頸が離れた獪岳が、最後の断末魔を叫ぶ。
俺は口を開いた。

「違う」

淡々と、そこには何の感情も乗っていない。

「爺ちゃんはそんな人じゃない。これは俺の型だよ、俺が考えた、俺だけの型」

下の方から獪岳が息を飲むのが聞こえた。



「この技で、いつかあんたと肩を並べて戦いたかった…」



もう二度と叶わない夢だ。


獪岳の身体がボロボロに消えていくのを目にしながら、俺は小さく息を吐いた。
自分の手首に目をやって、目を細める。

「あー…切れちゃった」

視線の先にあったのは、かつて俺が眠っている間にあの子がお守りと称して糸を編んでくれたそれ。
残念だけど、先程の戦闘で切れてしまったらしい。

「怒られるかな。やだな、名前ちゃんが怒ったら面倒なんだ」

諦めに近い声だった。
きっとあの子はこのお守りが切れた事よりも、自分を置いていったことにご立腹だろう。
俺がもう戻れないことを知ったら、どれだけ怒るかな。
怒る、というか泣くかもしれない。

脳裏に浮かんだ名前ちゃんの泣き顔。

「泣き顔なんて、見たくないんだけどな。どうせなら、笑った顔を見て逝きたかった」

最後に見たあの顔。
苦しそうに俺を引き留め、自分も一緒に行くといった、あの顔。


「ごめんな、名前」


聞こえる筈なんてないのに、俺は愛しいあの子を想いながらそう呟いていた。


――――――――――


ここは、どこだ。

目の前に見える川、足元に咲く彼岸花。
ふと対岸に目を向けると、見知った人がそこに立っていた。

「爺ちゃん!!」

もう会えない、大好きな。
俺は思わず叫んだ。

「ごめん、俺…俺が居なかったら、獪岳もあんな風にならなかったかもしれない」

自然と零れる涙。
情けないと言われるかもしれない、けど拭う事もせず叫び続けた。

「ほんと、ごめん!! 何も恩返しできなくってごめん、爺ちゃんが生きてる内に柱になりたかった。俺の結婚したところだって、見せたかった!!それなのに…!」

ずんずんと爺ちゃんに向かって歩を進める。

「俺の事、嫌いになった?何か言ってくれよ、爺ちゃん…」

足元の彼岸花が足に絡まる。
まるでそれ以上そちらへ行くなと言っているようだ。
チッ、と舌打ちしながら俺はなんとか振り払おうと必死だ。


「善逸」


ずっと黙っていた爺ちゃんが口を開いた。
俺は黙って爺ちゃんを見つめる。
爺ちゃんの瞳から、俺と同じように涙が零れた。



「お前は、儂の誇りじゃ」



にこりと微笑む。
俺は自分の視界が段々と色を失っている事に気付いた。
爺ちゃん、と叫んだけれど、もう声にもならない。
ただただ爺ちゃんは俺をみて泣いて、笑っていた。

そして、最後に。

「儂の可愛い孫を、よろしくな」

まるでついでのように、そう言い残して爺ちゃんは俺の視界から消えた。



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