85. 落下


七つ目の技、だと?

俺の遥か頭上で力なく重力に身を任せている金髪を睨みつける。
もう俺の頸は胴体と離れてしまったがために、ポロポロと身体が崩れていく。
俺よりも劣っていた奴に、頸を斬られるなんて。
そんな事、許される筈がない。

怒りで目の前が真っ暗になる。
耐えられない、受け入れられない。
あんな奴に俺が負けたというのか?
視界が薄くなる中、ギリと奥歯を噛んだ。

まるで人間のように走馬灯が頭を過っていく。
今までの出来事がずらずらと映像として頭になだれ込んでいくのだ。

忘れていた記憶までもが俺の脳裏を掠める。
寺で他の子どもと過ごした時。
そんな俺を拾ったジジイ。
ジジイが余所から拾った女。
憎い弟弟子。

どれもこれも俺にとって必要のなかったものだ。
なのに何故、今わの際でこんな記憶を振り返る必要があるんだ。

勝手に入り込んでくる映像にどうする事も出来なくて、俺は瞼を瞑った。

『……どうぞ』

露骨に笑顔なんて見せず、俺に桃の入った籠ごと差し出す女。
愛想笑いなんて俺に見せねえこの女は、俺以外の人間に対してはころころと変わる表情を見せていた。
別にそれが気に食わないなんて思ったこともない。
俺もこの女を良く思っていないし、この女も俺の事をそう思っているだろう。
仲良くする必要なんて全く感じなかった。

この女は、あの出来損ないの馬鹿ばっかりについて回り、余計なお世話を必死で焼いていた。
それが羨ましいなんて思っていなかった。
うぜえ。ただそれだけだった。

『…どうか、お身体に気を付けてお過ごし下さい』

俺がジジイの屋敷を出た日。
棒読みで何の感情も籠っていない言葉を俺に投げかける女。
形式的なその言葉に勿論俺は感動なんてするはずなくて、むしろよく嫌いな俺に挨拶しようと思ったなと感心したくらいだ。
それに返事なんて返さず、俺は屋敷を出た。
今の今まで、そんな光景があったことすら、忘れていた。

なのに、何故。

あの屋敷で俺を唯一嫌いだった奴。
金髪ですら、最初は俺と仲良くしようとしていた。
あの女は最初から最後まで俺への態度を改める事もなかった。

だが、あいつとだけは。

あの女は俺よりも遥かに劣る、あの金髪には笑顔を見せていた。
それがなんだと言うんだ。
今更になって。

俺は、羨ましかったのか。
人に好かれたことのない俺が、あの女に好意を持たれている金髪を。
好きだったわけじゃない、ただ想われるとはどういう事なのか、知りたかっただけだ。
自分の、唯一の存在として。

「…っは…うぜぇ」

瞼を開けて落下していく金髪を見た。
残念だったな。あの女の好きだった金髪は俺と共に死ぬ。
あの女の歪む顔が目に浮かぶようだ。

そうしてずっと俺を恨めばいい。
人の記憶に残る方法なんて、恨みが一番だ。
一生、あの女の記憶に俺が居ればいい。
この金髪じゃなくて、この俺が。

この後の事を想像して、思わず笑みが零れた。
だが。


「人に与えない者は、いずれ人から何も貰えなくなる。欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。自分では何も生み出せないから」


ふと聞こえた言葉に俺は目を丸くする。
俺と一緒に落下する陰がもう一つ。
そいつはギロリと鋭い視線で俺を見ると、さらに続けた。


「独りで死ぬのは、惨めだな」


奴はそう言って壁を蹴り、金髪を肩に担いで壁を上っていく。
俺は声にならない声を上げ、ただただそれを見ていた。
悔しい、俺は独りで消えていく。
金髪一人連れていくことも叶わずに。
俺は何のために鬼になったんだ。
何一つ成し遂げていない。

黒い感情が俺の頭を埋めていく。
もう何も見えない。
暗い空間の中、俺は独りになる恐怖を感じていた。

『さようなら』

最後に聞こえたのは、あの女の声だった。
笑いもしない、平坦な声。
…あの女の歪んだ顔を、見たかった

胸に呟いた言葉を最後に、俺は一片も残すことなく消えた。



――――――――――――


「どうだ!? 助かりそうか!?」

目を開けた時に、聞こえてきたのは知った声だった。
まず自分がまだ生きている事に驚き、遅れてやってくる身体の痛みに顔を歪めた。

「顔見知りなんだよ、何とかしてくれよ!」

村田さんの悲鳴に似た声を頭の上で聞きながら、俺は俺の身体に包帯を巻く男に視線をやった。
知らない奴だ。
俺の耳にはそいつが人間でないことは分かっていた。
だがこいつはきっと、前に炭治郎が言っていた珠世さんと一緒にいる愈史郎とかいう鬼だと直感で理解した。
普通の鬼とは違う音、だからといって人とも違う。

「うるさい黙れ村田、味噌っカスの分際で。襲われないよう、しっかり周りを見てろ」
「おめえ!階級何なんだよ!!俺より下だったら許さねえからな!!」

苛立ちを含んだ愈史郎の言葉に、大きな声で怒鳴る村田さん。
俺を囲むように数人の隊士が刀を構えている。
俺は助けられたらしい。

「血鬼止めは使っているが、この顔の傷、ひび割れが止まらなければ眼球まで裂けるぞ。聞こえてるか?」

ペチペチと俺のほっぺに湿布のようなもの貼り付けながら呟く愈史郎とかいう鬼。
叩かれた衝撃で俺はうめき声を上げた。
もっと丁寧に扱えよと思ったけど、治療して貰っていて文句は言えない。

「弱ってる奴に怖いこと言うなや!!」
「あと止血剤も使っているが、出血が止まらない」
「やめろー!!」

本当に俺を助ける気があるのか、恐ろしいことをさらりと言われ。
村田さんが青筋立ててそれに怒る。
そして、周りにいる隊士も「絶対大丈夫!」「頑張れ我妻!」と励ましてくれた。
思わず泣きそうになる俺。

「お前の戦ってた上弦は、まだ自分の術や能力を使いこなせてなかった。運のいい事だ、戦いが1年後だったら即死だったろうな」

俺の袖を捲りながら言う。
はたと頭に浮かんだ獪岳の姿。
確かに今だから勝てた。そういう意味では運が良かったのか。
…どうだろうか。

目を細め、先程の戦闘を思い起こした。
たった一戦しただけでこのザマ。
まだ無惨や他の鬼がいるというのに。

「気が滅入る事ばっか言ってんじゃねえー!!」

村田さんの大声を皮切りに、周囲から湧き出る化け物の気配。
大声を出すからいい的だな、と愈史郎とかいう鬼は呟いた。

俺を担ぎ直し、戦闘に支障のない場所まで運ばれる。
村田さん達が化け物を相手にしている間、俺は朦朧としながら痛みと戦っていた。
…まだだ。
こんな所で寝ている場合ではない。
炭治郎や伊之助だって戦っている、俺も…。
そうは思うのに、身体が言う事をきかない。
悔しさで胸がいっぱいになる。

「…休める時に休め。心配しなくても、後から嫌でも戦う羽目になるだろう」

苦虫を噛んだような顔で、愈史郎という鬼はため息を吐いた。
俺はこくりと頷き、呼吸に集中する。
少しでも早く、復活しないと。

「我妻、立てるか?俺の背中におぶされ!」

やっとこさ、化け物の頸を落とした村田さん達が近付いてくる。
まだ身体が悲鳴を上げているが、俺は大人しく村田さんの背中に乗った。
少しでも誰かと合流しないと。

俺が村田さんの背中に乗っている間に、愈史郎とかいう鬼は絵の書かれた紙をばら蒔いている。
あれは、何だ?
村田さんも他の隊士も不思議そうにそれを見ている所を見ると、何も知らないようだ。
何か意図があってしているんだろうけどさ。

そんな事を考えていたら急に俺達を襲う浮遊感。
なんてことは無い、足元の床が無くなった。

「ギャアアアア!!」
「うわぁあああああ!!」

反射的に村田さんの首に回した腕を強く締める。
ぐえっ、とカエルを踏み潰したような声が聞こえ、俺たちはそのまま真っ逆さま。
最後に見えたのは平然とこちらを見る愈史郎さんの顔と、顔面蒼白でこちらを見る隊士たちだった。



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