86. 合流



全身の痛みで目が覚めた。
瞼を開けるだけでもこの激痛、無理矢理身体を動かしたら、悲鳴を上げたくなった。
俺をおぶさっていた村田さんは、俺の横で潰れていたけど、俺が起き上がると一緒に目を覚ました。

「…こ、ここは?」
「さぁ?」

酷いもんだ。
落とし穴から落ちたのは覚えているけれど、落ちた先も同じような光景なんて。
これじゃ、どこを歩いているのか分かりゃしない。
壁なのか床なのかもう見分けのつかない空間に、俺と村田さん二人。

取り合えず誰かと合流しなければならない。
痛む身体を何とか引きずって、壁に手をついて立ち上がる。
すぐに崩れるように倒れる俺。
それを村田さんが腕を掴んで何とか立たせてくれる。

「肩、貸すぞ」
「どうも」

野郎の身体に密着なんてしたくないけれど、そうも言ってられない。
俺はまだやるべきことがある。
兄弟子との闘いでは何とか生き残ったけれど、この先の戦いで死ぬかもしれない。
結局の所、名前ちゃんの顔を見る事はもうないのかも。
ズキズキと胸が痛む。
兄弟子にやられた傷じゃない。
あの娘に会えない、あの娘を置いていく事に対する罪悪感。

本気の本気で置いてきて正解だったな。
こんなところ、いくら俺が守ると言っても限度があった。
事実、俺は今こんな状態だし。
ただ、最期に顔が見れないだけで。

「…死なせないからな!」
「へ?」

俺の心を読んだのか、村田さんが前から視線を外す事なく呟く。
突然言われた言葉に俺は思わずポカンとしてしまった。

「俺よりも階級の下の奴らを、これ以上死なせてたまるか…っ」
「…まあ、俺も努力はしますよ」

易々と死ぬつもりはない。
もしかしたら、生き残るかもしれない。
また、あの娘に会えるかもしれない。
生きて会えるなら、それ以上の事は望まないから。

先程まで力の入らなかった足を踏ん張って、地面を蹴った。
ずるずると身体を引きずる俺たち。

村田さんだって、仲間とはぐれて動揺している。
それくらい俺には分かる。
だけど、俺をなんとか元気づけようとしてくれている。
さっきだってそうだ、意識朦朧とした俺を皆で守ってくれた。
だったら俺も応えないといけない。
例え、ここで死んだとしても、タダでは死なない。

ダッダッダ、と何かが向かってくる足音がする。
村田さんはピタと足を止め「何の音だ…?」と俺を見る。
俺は瞼を閉じて、自分の耳に集中した。

俺たちの前にある角を曲がった先、そこを走る2つの足音。
良く知る、足音。

「…ぁ」

俺がその名を口にする前に、角から勢いよく飛び出した影。
それは村田さんの顔面に蹴りを入れ、そのまま突っ込んできた。
村田さん共々俺はそのまま後ろに倒れ、バコンという鈍い音が体中に響く。


「ってぇ…伊之助!!」


俺たちを蹴り上げたのは伊之助だ。
良かった、生きていた。
そんな感情よりもまず出てくるのは、よくも蹴ってくれたなという怒りだ。

見慣れた猪の頭が俺たちを見据えた。
その後ろには同期のカナヲちゃんが居るところをみると、二人で合流先を探していたんだろう。
ただどちらもケガをしていることくらい見て分かった。

「紋逸!!」

決して俺の名前は紋逸なんかじゃない。
付き合いもそこそこ長いけれど、伊之助が俺の名を正しく呼んだことなんて数回しかない。
その癖こいつは、名前ちゃんの名前だけは間違わないで呼びやがる。
思い出すだけで腹が立つ。

俺は倒れたまま手をついて、顔を上げた。
悪い事をしたのは伊之助だというのに、何故かぷんすかと頭から湯気を出しながら興奮している。

「悪かったな! 許せよ!」
「…何で加害者がそんな態度なんだよ」

これでも伊之助からしたら謝っているつもりなんだろう。
俺はチッ、と舌打ちを零しつつ身体を起こした。
伊之助の後ろで両手を口元にやって驚いているカナヲちゃん。
クソ猪のとんでもない行動に驚きを隠せないようだ。

「炭吾郎なら許してくれるぞ、あいつなら蹴りなんて喰らわねぇか!!」
「ふざけんなクソ猪」

村田さんが蹴られた頬を抑えて立ち上がる。
額には青筋が見えた。
あ、この人もまた怒っている。

ピリピリとした空気が俺たちの間を走る。
そんな中、先に動いたのはなんと後ろで固まっていたカナヲちゃんだった。

後ろから伊之助を突き飛ばすように倒し、そのケツに向かって高々と上げた平手。
そして勢いよくバシンバシンと痛そうな音を立てて、尻を叩き始めた。

「ギャァ、お前っ、何、すんだっ、おい!」

尻を叩くそれに合わせて伊之助が悲鳴を上げる。
それを見て村田さんがにやりと笑ったのが分かった。


「馬鹿じゃん、こいつら」


呆れたように呟く俺もまた、同じように笑っていた。




「…おい、今状況はどうなってやがる?」
「上弦の陸は俺が倒した。後は知らない」
「こっちは上弦の弐だ」

尻を摩りながら伊之助が猪の頭を取った。俺もその横に腰を下ろした。
あとの残りはそれぞれ柱が付いているらしい。
まだまだ、敵は残っている。
俺は奥歯を噛みしめて眉間に皺を寄せた。

「ところで、お前…名前はどうした?」

不思議そうに俺の顔を覗き込む伊之助。
こいつはこんな大変な状況なのに、名前ちゃんの事を考える余裕があるとは。
まあ、俺も人の事言えないけどね。

「置いてきた」
「はぁ?」

いつも一緒にいるからだろう。
伊之助は俺の言葉を聞いて、唾を飛ばして叫んだ。
俺は伊之助から視線を逸らして「当たり前だろーが」と呟いた。


「死なせる訳にいかないんだ、名前ちゃんだけは」


俺の、唯一だから。
ぐ、と右手をぎゅっと握る俺。
ぷるぷると震える手を見て、伊之助が何かを感じたように口を閉ざした。
お前だってわかるだろ?
名前ちゃんが好きなんだったらさ。


「…ハッ、馬鹿じゃねーか」
「あ?」


と、思ったら鼻で笑って俺を見据える伊之助。
端正な顔が邪悪な顔をしているのが、微妙に似合っていて余計に腹が立つ。
俺は逸らしていた目を伊之助に飛ばして、額に青筋を作った。

「あれが、大人しく待ってられるかよ」
「…それはそうかもしれないけど」

今までの事を思えばそうだ。
待てと言っても付いてくるし、どれだけ拒否しようが彼女はいつも俺の隣にいた。
そんな事は分かってる、だけど今回ばかりは無理だ。

「お前、アイツと一番付き合いが長いくせに知らねーのか」
「どういう意味だよ」
「アイツはな」

すう、と伊之助が息を吸う。
そして俺をじっと見つめて、口を開いた。


「自分の命よりもお前が大切なんだよ」


いつだってな。
と、伊之助が珍しく真面目な顔で呟いた。
…ああ、知ってるよ。

そんな事、知らない筈がない。
俺は伊之助の言葉に、こくりと頷いた。


―――――――――


足が千切れても走るつもりだった。
いつかの山を一晩中駆け回った時のように、いくらでも走ってやるつもりだった。
だけど、残念だけど私の足じゃ善逸さんの所に着くには、遅すぎる。

「今から行っても間に合うかどうか分かんねぇ。それでもいいのか?」

宇髄さんの言葉に即座に反応する。
深く頷いて、一つしかない瞳を睨みつけた。
間に合わなくても、走るしかない。
私に残されたやるべきこと、それを遂行するだけ。

呆れたようにため息を吐く宇髄さん。

「……雛鶴」

ぽつりと零された名前とほぼ同時に、宇髄さんの後ろに雛鶴さんが湧いた。
一瞬の事で私は驚いた。まさか雛鶴さんを使って私を止めようとしているの?
宇髄さんから一歩後ろに退いた。
だけど、それを見て宇髄さんはニヤっと笑う。

「つまんねーことしねぇよ。お前の足じゃあ絶対間に合わねぇ。雛鶴に案内させる」

案内…?
宇髄さんと雛鶴さんの顔を交互に見つめる私。
後ろの雛鶴さんは私を見て優しく微笑んでいる。

「お嫁ちゃん、大丈夫よ。私に任せて」

そう言う姿に私は涙が出る程安堵した。

…もう少し。もう少しであなたの傍に行きますから。



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