88. 似合う


誰が、こんなひどい事を。

あまりの衝撃にダッシュする事も出来ず、ふらふらと善逸さんに駆け寄った。
やっと会えたのに、嘘…。
固く閉じられた瞼を見て、私は善逸さんの胸に耳を当てた。
トクン、トクン。
僅かに聞こえる心臓の音。
それだけで安堵するのは充分だった。
それから、ペタペタと手や足に異常がないか確認していく。

大丈夫、大丈夫。
でも。

五体満足であることを確認した私は、意識のない善逸さんの頬に手を伸ばした。
頭から血を流して。頬にはひび割れのような傷まである。
善逸さんの羽織はボロボロで、勿論羽織の下も真っ赤に染まっている。
傷口がぐちゅぐちゅと音を立て、膨らみ始めている。
なにが、何があったの…?

それでも、手には日輪刀を握っている姿を見て、私は余計に胸が苦しくなる。

やっと会えた、会いたかった。
愛しいこの人に会うために走ってきた。
でも、こんなボロボロの貴方に会いたくなかった。

「ぜん、いつ…さん」

私の紡いだ声は聞こえてますか?

背後からの爆風を感じた、次の瞬間。
また一つ建物が崩壊する音が聞こえ、私は振り返る。
炭治郎さんと誰かが、無惨に攻撃を仕掛けていた。
あれは、

「伊黒、さん」

伊黒さんもまた、ボロボロだった。
柱の一人である伊黒さんが、顔面に大きな傷を負ってもなお、炭治郎さんを助け、隙を見て無惨を攻撃する。
他の人たちがどうなったのかなんて、考えたくもない。
だけど視界には入ってしまう。
周囲の建物に突き刺さる様に見える、足、身体。
それぞれの持ち主が生きている事だけを願う。

そうこうしていられない。
こんなところで善逸さんを寝かせていたら、いつ何時この建物まで崩れるか分からない。
血で汚れた善逸さんの腕を肩にかけ、私は立ち上がろうとした。
パラパラ、と頭の上に落ちてくる小石。
それに気付いた時、私は一瞬で善逸さんを担ぐことをやめ、覆いかぶさるようにうずくまる。

結果的に私の判断は正しかった。
次の瞬間には建物が崩れ、私達の真横に大きなコンクリートの塊が降ってきたからだ。
後数センチ、ずれていたら私の頭はまるでスイカのように割れていただろう。

「あぁっ、くっ…」

それ程大きくはないが、私の背中にもコンクリートは降ってきた。
ぐにゃりと身体が押しつぶされそうになったけど、必死で堪えて両の手に力を込めた。
目の前にある善逸さんを、これ以上傷つけるわけにいかない。
唇から血が出る程、噛みしめてひたすら耐えた。

建物の崩壊が止むと、私は起き上がろうと首を動かす。
だけど、コンクリートの山の中に自分の髪が挟まっている事に気付いた。
首を動かそうにも、ある一定の所で動かない。
私は戸惑いなく懐から短刀を取り出した。

自分の首元付近にある髪を大雑把に掴み、さく、と刃を入れた。
全てを切り終わった時、はらりと私の髪だったものが肩から落ちる。
それを軽く払い、やっと自由のきく首を押さえた。

どさくさに紛れてシュシュまで落ちてしまった。
こんな非常時だというのに、それだけはちゃんと回収する。

善逸さんの様子を見ると、砂ぼこりが掛かったくらいで特に問題ないようだった。
袖からハンカチを取り出し、軽く拭う。
今度こそ善逸さんの肩を担いで、瓦礫の無い道へと出た。
私の疲労感たっぷりの足ではすぐに限界が来てしまい、近くの建物の壁に到達する前に崩れ落ちる。

「名前!!」

どこからか、声がした。
私を呼ぶ声に顔だけ上げると、その先に後藤さんの姿が見えた。
後藤さんは私達の前まで走ってくると、善逸さんの姿を確認して「生きてるのか?」と尋ねる。

「後藤さん、善逸さんの傷が変なんです、どんどん酷くなってるんです、お願いっ…」

私の肩にある腕の傷も変色し始め、それからまるで生き物様にビクビクと痙攣し始めている。
ただの切り傷で済むはずがないと直感で分かった。
後藤さんは焦った顔でこくりと頷き、手に持っていた注射器を善逸さんの腕へと刺した。

「大丈夫だ、これで大丈夫だからな。名前、こいつは死なないよ、大丈夫だ」

私を安心させるために、後藤さんが呟く。
その注射が何なのか知らないけれど、みるみる善逸さんの傷口の変化が収まり始めた。
善逸さんの腕からそっと身体を抜け出し、自分の膝の上に善逸さんの頭を乗せる。
まだ戦闘の音は聞こえている。
夜明けまであと少しなのは空を見ればわかる、なのにまだ。

「まだ、この人に戦って貰わないといけないなんて」

炭治郎さんと伊黒さんだけで無惨を倒すには、いくらなんでも無茶だ。
一人でも多くの人がいる。
戦える人が。

膝にある顔を撫でる。

こんなに傷だらけなのに。
今度こそ死ぬかもしれないのに。
何で、何でこの人が。

今まで堪えてきた涙が零れ落ちそうになる。
戦闘中だというのに、悲観的なっている場合ではないことは重々承知だ。
自分の袖で乱暴に拭った。

ピクリ、と善逸さんの瞼が動いた。

「あっ、意識が」

後藤さんが言う。
私はきゅっと唇を結んで、その目が開かれるのを待った。


「……名前、」


両方の瞼が開いて、第一声は私の名だった。
掠れた酷い声だった。
視点がまだ定まっていないのか、不安定に瞳が動いている。
善逸さんの傷だらけの手を握って、私は口を開いた。

「ここですよ」

ぎゅっと気持ちを込めた。
やっと善逸さんの瞳が私を映した。


「…あれ、何で」
「善逸さんが置いて行くから、会いに来てしまったんです」
「なに、言って」
「ここまでどれだけ遠かったか、ご存じですか? お陰でとんでもない道草をくう事になったんですよ?」
「…戻って、早く」


善逸さんの力ない声が私を気遣う。
だけども私だって負けていない。
こんなどうしようもない金髪に会うために、どれだけ苦労したと思っているんだ。
今更戻れと言われても、簡単に言う事聞けるほど、私だって大人じゃない。

「言いたいことは沢山ありますが…」

背後に聞こえる爆音が更に強さを増す。
うだうだしている時間はないようだ。


「私を置いて行った罰、後でしっかり受けてもらいますからね」


だから、ちゃんと生きて帰ってきて。
強く、強く握る手に力を込めた。
善逸さんの目が少しばかり見開かれて、それからすぅっと細くなる。

「わかった」

そう言って、善逸さんは顔を歪めて私の膝から頭を上げた。

腰に日輪刀を差し、無惨と戦う炭治郎さんの方を睨みながら、ふらりと立ち上がった。

「……名前ちゃんさ、」
「はい」

やっと声に力が戻ってきたみたいだ。
普段と変わりない、まるで戦闘中であることを忘れるような穏やかな声。
善逸さんは私を背にして、振り向かずに続けた。


「髪切っても似合うね」


それだけ言って、善逸さんは駆けだした。
どこにそんな力があるのか分からないくらい、速く。

私と言えば、善逸さんに言われた一言で思わずポカンと口を開けてしまった。
ああ、もうあの人は。


「普段似合うって、あんまり言わない癖に」


こういう時に言うのは、まるで最後みたいではないか。
今度こそ、私は溢れる涙を堪える事が出来なかった。



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