89. どうか


「名前、向こうに…安全な場所に…」

後藤さんが私の肩をポン、と優しく叩く。
けれど私はブンブンと首を横に振ってそれを制止した。
一人泣いている場合ではない事くらい分かっているし、私なんかがなんの役に立つのか分からない事も理解している。
だけど、ここで離れたら今度こそ、善逸さんと最期のような気がする。
私は逃げない。

「…私に、できる事を」

貴方が命を懸けるなら、私だってそれに見合う命の捨て方をする。
一人でなんて逝かせない。
善逸さんの走っていった方向へ私は歩を進めた。
辺りで倒れている人を、少しでも手当しないと。

ちら、と戦闘現場に視線を飛ばすと伊黒さんの姿が消え、それから炭治郎さんが倒れていた。
そこにボロボロの伊之助さんが加勢に入り、さらに善逸さんが入った。
炭治郎さんが倒れた穴を必死で二人がカバーする。
善逸さんと伊之助さんの叫び声を僅かに聞き、私は走り出した。
まず目に入ったのは、善逸さんと同じく建物に突き刺さるように倒れていた不死川さんだった。
後藤さんが持っていた包帯をぼろぼろと零したので、慌ててそれを拾い上げる。

もうどこが出血しているのか分からないくらい、血で汚れた服。
一番重症そうな腹部に包帯を巻いていく。

「不死川さん、不死川さんっ…」

お願い、起きて。
一人でも多くの人がいる。
戦える人が。

不死川さんの腕がぴくりと反応する。
ハッとなり、不死川さんの顔を見ると、苦しそうに瞼を開ける姿がそこにあった。

「……俺の手はまだ繋がっているか」

低くひねり出された声に私はこくこくと頷いた。

「この手は、離れませんよ」

きっと指が欠損しているのだろう。
手の甲から刀の柄を包帯でぐるぐる巻きにされた手を見つめ、私はその上からぎゅっと握った。
不死川さんは虚ろな目でそれをじっと見つめ、ふ、と笑った。

「安心しろ、すぐに終わらせてやらぁ」

ぐぐ、と身体を無理矢理起こし、刀を杖のようにして立ち上がる不死川さん。
無事じゃすまない、そんな事分かっているのに。
どうしてこの人達はそれでも、戦場に戻ろうとするのだろう。
…大切な人を守る、そのためなのだろうか。


「じゃーな」


それが別れの言葉だなんて、思いたくはなかった。
不死川さんはそれだけ言って、ふらふらの身体のまま善逸さんと同じように駆けて行った。
胸が締め付けられるように痛い。
どれだけ、見送ればいいんだろう。
全員無事に、なんて、夢物語もいいとこだ。

私は不死川さんの血が付いた掌をそのままぎゅっと固く握った。

「お、おい、名前!」

後藤さんが呼んでいる。
だけど、もう遅い。
私は走っていた。

技を出した後の炭治郎さんが大勢を崩し、そしてそれを庇うように善逸さんが前に出たからだった。


「神速 霹靂一閃」


足を潰してしまう程の威力の技を聞き、私は全力で走った。
スローモーションのように光景が見える。
無惨の触手のような腕が善逸さんに向けられた。

ズシャ、と耳を塞ぎたくなるような音がして、善逸さんが崩れ落ちる。
炭治郎さんが目を見開き、それを見ていた。
私は倒れるように、善逸さんの上へ覆いかぶさる。
追撃が来る。

無惨の攻撃から善逸さんを庇うため、頭を低くした。

が、追撃は来なかった。
私と善逸さんの上を炭治郎さんが飛び、それから大きく深呼吸する音が聞こえた。


「日の呼吸、日暈の龍 頭舞い」


それは無惨を後ろに弾き飛ばし、大きく体勢を崩させた。
その間も炭治郎さんは休むことなく次の技を繰り出す。

「烈日紅鏡」

ドン、と無惨の身体が建物にめり込んでいく。
大きく振りかぶった炭治郎さんが渾身の力を込めて叫ぶ。

「陽華突」

無惨の腹部に炭治郎さんの刀が突き刺さる。
途端、無惨の腕が大きく広がり、炭治郎さんを包み込もうとした。
それを横から走る影が止めた。

「もう、いい加減にしてよぉ!!」

大粒の涙を流し、身体全体で止める甘露寺さんだった。

「馬鹿ァ!!」

甘露寺さんの叫び声と共に、無惨の腕はブチブチと音を立て千切れた。
ただ、千切れた先で腕が暴発し、甘露寺さんを襲う。

「甘露寺さん!!」

私と炭治郎さんが同時に叫ぶ。
思わず私も身体が動いた。
けれど、私の腕は何者かによって止められた。


「行くな!!」


善逸さんが私の腕を掴んで叫ぶ。
そして、次の瞬間には善逸さんと私の身体の位置がぐるんと回転し、善逸さんが私の上に覆いかぶさった。
瞬間、無惨から衝撃波が繰り出され、離れた位置にいる私達にまでその被害が及ぶ。

「ぐっ…」

善逸さんの苦しい声が耳元に残る。
衝撃が完全に止んだ時、くたりと善逸さんの身体から力が抜けていくのを感じた。

背後で無惨に最後の攻撃を仕掛ける声が聞こえた。
だけど、私は私を庇った善逸さんの身体を抱き締める事しかできなかった。

どうか、どうか。
これで終わってくれと、切に願いながら。



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