90. 最期のお別れを


上半身を起こして、ボロボロの善逸さんの身体を抱き締める。
私の目線の先は炭治郎さんと無惨だ。
凄まじい衝撃波の後、無惨の周りにいた人たちは皆吹き飛ばされてしまい、炭治郎さんだけが刀を突きさしたまま耐えていた。
片腕で。

炭治郎さんの腕が無くなるのを見た。
あまりの光景に私は善逸さんを抱き締める力が籠る。
炭治郎さんの後ろからいち早く起き上がった派手な羽織の人が炭治郎さんの身体と、刀を支える。
もう既に日の光は見えている。
それが無惨も分かったのだろう。
身体を大きく膨らませ、私達の何倍もの大きさになると、その姿はまさに赤ん坊だった。

日の光から逃げようと太い腕で顔を隠そうとする姿。
凄まじい光景だ。
突然、ドン、と押される形で派手な羽織の人が弾かれる。
炭治郎さんと刀を無惨に残して。
ミチミチと炭治郎さんがゆっくり無惨へ飲み込まれていく。

そして大きな赤ん坊となった無惨が異形の悲鳴を上げ、日の光から逃げようと地べたを這いずる。
それを待っていたとばかりに崩れかけの周りの建物から、生き残った隊士と隠の人たちが大きな本棚や家具を落下させ、無惨の行動を止める。
隙を作らない動作で、車が無惨に突進して行った。
2台の車は無惨に衝突すると、さらに加速しようとアクセルを踏み込んだのだろう。
が、無惨の腕が大きく振り下ろされ、間一髪の所で運転していた後藤さんや他の隠の人は逃げたが、車は見事にぺちゃんこになってしまう。
その反対側では大きなバスを沢山さんの隠の人が押し込み、無惨を退がらせないよう必死の形相だった。
また無惨の手が振り上げられようとしていた。


「風の呼吸 玖ノ型 韋駄天台風」


頭上から切り裂く風が降ってきた。
ボタ、と背中から地面に落下する不死川さん。
血を吐き、咳き込みながら立ち上がると「さっさと塵になりやがれェ!!」と再度刀を握った。

無惨の片腕は切り落とされた。
が、バスの上に乗りかかるように体重を掛け始めたお陰で、バスのバランスが崩れ始める。
無惨の後ろから太くて長い鎖が伸びてきた。
それは無惨の首にかけられ、鎖の先には悲鳴嶼さんが渾身の力で鎖を握っていた。

「悲鳴嶼さ、」

悲鳴嶼さんの足が。
私はその時、悲鳴嶼さんの足が欠損している事を知った。
それでもなお、数人の隊士に支えられながら立ち上がり、無惨の動きを止め、そのまま力の限り後ろへ引くと、
無惨は地面に背中を付けて倒れた。

「ギャア、アアアッ」

ジュウと身体が灼ける音がする。
赤ん坊となった無惨の身体に凄まじい勢いで火傷が出来ていく。
無惨はまだ動いていた。
地面に潜り込んで日の光から逃げようとしていた。
それを見て私は自分の身体が勝手に動き出そうとしている事に気付いた。
でも私の身体は動かなかった。
何故なら、善逸さんが私を離さなかったからだ。

「ぜん、」

善逸さんは唇を噛んで無惨を睨みつけていた。
口の端から滴る血を見ながら、善逸さんの羽織を握り締める事しかできない。

最後とばかりに無惨に不死川さん、伊黒さん、派手な羽織の人が技をかけていく。
皆、ボロボロだった。
私は自然に涙が零れていた。


「ア゛ア゛ア゛ア゛」


無惨が天を仰いだ瞬間。
ボロボロと音を立てて、無惨の身体が散って行った。
その姿を見て、私はやっと身体の力を抜くことが出来た。

ああ、これでやっと、終わり。


◇◇◇



無惨が跡形も消えたあと、一寸置いて雄たけびのような声が上がる。
生き残った隊士たちが皆、涙を流し抱き合い、喜んでいたのだ。

それからハッとしたように皆がけが人の所へ駆けていく。
善逸さんと私の所にも数人の隠の人たちが走り寄って来た。

「終わった?」

安堵したのか、善逸さんがぼそりと穏やかな声を漏らす。
私はこくりと頷きゆっくり善逸さんを地面へ寝かせた。

「……ボロボロじゃないですか」
「俺だけじゃないよ」
「分かってますけれど」

先程から涙が止まらない。
ボロボロな身体でも生き残ってくれていた事が嬉しい。
また貴方が私の傍に居てくれることが、こんなにも喜ばしく思えるなんて。

それと同時に、終わる命もあるのだろう。

私は善逸さんの手当てが粗方終わると、ふらりと立ち上がる。

「どこ行くの?」

私を見上げる善逸さん。
私は不器用に笑みを見せながら「最期のお別れを」と言い、無惨が死んだ現場に歩き出す。

最初に見つけたのは悲鳴嶼さんだった。
穏やかな顔をして、壁に背中を預けた姿は、彼が既にこの世の人ではないことを示していた。

「悲鳴嶼さん」

悲鳴嶼さんの身体の周りに嗚咽を漏らす隊士たちが集まっていた。
こんなにも愛されている人、見たことがない。
きっとこの人は穏やかに逝けたのだろう。
悲鳴嶼さんの前にしゃがみ込み、固くて大きな掌に触れさせてもらった。

「ありがとうございました」

脳裏に掠める悲鳴嶼さんの姿。
誰よりも強かった、柱。
私は涙を堪えながら最期のお別れをした。

次に見つけたのは甘露寺さんと伊黒さんだった。
二人が寄り添っているのを見て、私は生きていると思い小走りで駆け寄ろうとした。
それを他の隠の人に止められた。

「…暫く二人きりで」

そう言われて、やっと理解した。
震える唇で「はい」と答え、私は二人を目に焼き付けながら、その場を後にした。

伊之助さんは見るからに元気だった。
私が近付くと血を吐いていたけれど「名前」と私を呼んだ。

「伊之助さんは死なないって、わかってましたよ」
「…ゴフッ、あたりめェだ」

それでもこんなにボロボロなのに。
私の頬を伝う涙を伊之助さんがそっと指で拭う。

「やっぱり来てんじゃねーか…」
「あたり前、でしょ」

伊之助さんのように返答して笑うと伊之助さんは満足そうに頷いた。

伊之助さんの近くで眠っていた不死川さんに目を向ける。
彼もまた、この戦で生き残った一人だ。
いつものような怖い顔ではなくて、まるで子供の様な顔で眠る姿を邪魔したくはなかった。

最後に。

大通りの中心部に座り込む、一つの影。
私はゆっくりと近付いていく。
私の前を派手な羽織の人がふらふら近付いて行った。
きっとこの人は、炭治郎さんが言っていた兄弟子さんなのだろう。

その人が泣きながら炭治郎さんの身体を抱き締めているをの見て、私の心臓が痛む。
ああ、嘘だ。うそでしょ。
近付く足取りが重く感じる。
誰よりも優しく、穏やかなあの人が、そんな。

私の足は完全に止まった。
炭治郎さんから少し離れた場所で、ぽつんと立ち尽くした。
皆の泣く声が聞こえる。
ドクンドクンと心臓が脈打っている。

『名前と善逸は良い仲なんだろう。そんな匂いがしたから』

炭治郎さんの声が頭に響く。
そう言って困ったように笑ったあの人が。

誰か、嘘だと言って。

くちゃ、と視界が涙で歪む瞬間。
私の目に映ったのは、無くなった筈の炭治郎さんの腕が生え、そして鋭い視線をこちらに向けている姿だった。

たん、じろうさん?



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