02

昨日のパン屋の少年に私はすっかり心を撃ち抜かれてしまっているらしい。
帰ってからも頭の中から男の子の顔が消えない。
美味しいパンを頬張りながら、私は初めての体験に悶々と過ごすのだった。

結局次の日も私の足はあのパン屋に向かっていた。
放課後いそいそと学校を抜け出す私に友達は不思議そうな顔をしていたけど、知られるのが何故か恥ずかしくて適当にはぐらかしてきた。
だ、だってパンすっごく美味しかったし?
あの男の子だけじゃないよ?パンが美味しくてかわいかったんだから!

無理やり自分に言い訳をして私はパン屋への道のりを急いだ。
物陰からこっそりとパン屋を覗く私。
ガラスの窓から見える中の様子は、特別変わった事はなくて、可愛らしいパンが今日も並んでいる事はここからでも確認できた。
でもレジには男の子はいなくて、代わりに綺麗な女性が立っていた。
年齢的には30台くらいの綺麗な女の人。
あれ、男の子は?

てっきり今日もあの男の子がいると思ったのに。
思いっきり心の中で落胆している自分に私は戸惑いつつ、パン屋に向かって歩き出そうとしていた。
ポン、と肩に手が置かれて私の心拍は急上昇してしまったけど。

「ぎゃぁっ」

全然可愛くない声とともに慌てて振り返ると、後ろには私の声で驚いた顔をしている昨日の男の子がいた。
二度吃驚してまた「ぎゃぁっ!」と声を上げてしまった。
何で何で何で後ろに居るんだこの人!!

「驚かしてすまない。苗字さん、何してるの?」

私の可愛くない声をものともせず、爽やかな笑顔と共に話しかけてくる男の子。
心臓がバクバクと五月蠅くて私は自分の胸に手を当てて、男の子を上から下までギョロギョロと思わず見てしまった。

「え、えええ、ええっと…ぱ、パンを…見ようと思って」

完全にどもっていて気持ち悪い私の反応にも、男の子は引かないでこくりと頷いてくれた。
そして「そうだったんだ。じゃあ、一緒に入ろうか」と言ったかと思ったら、私の腕を掴んで歩き出してしまった。
え、ええええ!?
ちょ、待って、ええ?

「俺も今帰ってきたところだったんだ。是非ゆっくり見ていってよ」

にこりと微笑まれてしまったら、私はもう何も言えない。
結局「…うん」と顔を俯くしかなかった。

「母さん、ただいま」
「あら、おかえり炭治郎。…そちらは?」
「お客さんの苗字さん。パンを見たいんだってさ」

カランカランとガラス戸を開け、パン屋へ入私達。
レジにいた女性に「母さん」と声かける男の子。
ええっ、お母さんだったの!?若いし、綺麗だしマジか!!
そんでもって、このお母さんが男の子の事を「炭治郎」と呼んだのを聞いて、私の中の男の子の辞書が新しく書き替えられた。

炭治郎くん。
胸の中でぽつりと呟いておいた。

腕を掴まれていたそれはパッと離されて、私は開放される。
そして炭治郎くんが私にトレーを渡してくれて、トングも一緒に添えてくれる。

「あ、ありがとう」

やっとまともに声が出せた。
炭治郎くんは頷いて「俺は奥で着替えてくるから、見ていて」と言って奥の部屋へ消えて行ってしまった。
私はトレーを持ったまま暫く固まっていたけど、炭治郎くんのお母さんがクスクスと笑う声で正気を取り戻した。

「ごめんなさい、あまりに可愛くて、つい」
「い、いい、いえ…」

口元に手を当ててお母さんが私に微笑む。
可愛いのはお母さんの方ですぅううう!!
とは言えないので、黙って私は顔を赤くしておく。
可愛いなんて言われ慣れてないので、緊張します。

眼鏡をくいっと戻して私は棚にあるパンに目をやる。
今日も最高に可愛い品ぞろえだ。
昨日のクマちゃん、ウサギちゃんもいるけど、今日は普通のメロンパンを狙っている。
メロンパン好きなんだよね、今日はこの子をお持ち帰りしよう!

ニコニコと一番前にあるメロンパンを掬い上げ、私は満足気だ。
他には何を買おうかな。

そんな事を考えていたら、奥からエプロンに着替えた炭治郎くんが顔を出した。

「今日はメロンパンにするのか?」

優しいまなざしを向けられ、私はまたカチコチに固まってしまう。
さっきまでのルンルン気分がバレないよう、黙ってコクコクと頷く私。

「それも焼きたてだから、美味しいよ。何だったら、すぐに食べる?」
「え、えっと…う、うん」

取りあえず同意しておく。
私はまたろくに選ぶこともせずにトレーをレジまで持っていく。
炭治郎くんに声かけられると、全然集中してパンを見ていられない。
これは困ったな。

「可愛いお嬢さん。昨日も買いに来てくれたの?」
「…!! え、えっと…は、はい。美味しかったです」

明らかに自分より可愛いお母さんに「可愛いお嬢さん」と言われて激しく動揺する私。
大慌てで財布を取り出し会計を済ます。
は、早くここを出ないと!このお母さんも、炭治郎くんも私の心臓には悪すぎる!
そう思って簡単に包装されたメロンパンを持って出て行こうとしたら、炭治郎くんに呼び止められた。

「苗字さん、こっち」

手招きをされたので大人しく付いていく。
すると、隣の部屋に連れていかれ、イートインスペースとなっている一つのテーブルに座らされる私。

え、ええ、ええええ!?

「焼きたてを召し上がれ」

バキュンと炭治郎くんの笑顔に撃ち抜かれ、私はこの場で死んでしまいそうだった。
こ、ここ、ここで食べろと?炭治郎くんの前で?
申し訳ないけど、家に帰ろうと立ち上がった。
だけど炭治郎くんが私の向かえに座って、私が食べるのをニコニコと待っている。

な、なんで座るの!?

結局私は大人しくちょこんと座り直すことになった。


恐る恐るぱくりと一口食べてみると、一瞬で花畑が見えた。
な、なんだこれ。めちゃくちゃ美味しい。
甘すぎるメロンパンは私は苦手なんだけど、これは程よい甘さで口当たりもいい。
私は頬が緩むのを感じながら、すっかり炭治郎くんが目の前に居る事を忘れていた。

「おいしい?」
「とっても!! あー…幸せ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。幸せそうな匂いがしている」

ふにゃぁと緩んでいく顔を手で添えながら、私は口の中のメロンパンを噛みしめる。
何て美味しいんだ。もう虜になりそうだ。

「明日も是非来るね!」

初めて私は炭治郎くんに自然と話せた瞬間だった。
一瞬驚いた炭治郎くんと目があったけど、すぐに頷いて「楽しみにしてる」と返答してくれた。


メロンパンって幸せの味がするんだなぁ。