03

今日も今日とて私はかまどベーカリーへ歩を進めている。
最近は早く帰るのも日課になってしまった。

最初はパンにつられていたけど、今はそうではない。
また炭治郎くんの笑顔が見たくて通ってしまっている私はもう末期だ。
ホストに入れ込む女性の気持ちが少しわかる気がする。

角を曲がり、見慣れたお店が見えてきた。
気分も上がり私の歩くスピードも上がる。

ガラスの窓からは今日も美味しそうなパンが見える。
今日は何を頂こうかなぁ。
何となくあれこれと目ぼしを付けて、扉の前まで来た。

レジにいるのは炭治郎くんだ。
目に入れた瞬間に胸がときめく。
今日も会えた。
それだけで私のノルマは達成しているんだけど、勿論これだけで帰る事は出来ない。

炭治郎くんが優しい笑みを浮かべて、隣にいる女の子の頭を撫でた。

え、女の子?


炭治郎くんにしか目が行っていなかったが、よく見ると隣に同じエプロンをした可愛い女の子がいた。
長い髪をサイドにまとめ口には髪ゴムを咥えている。
それを炭治郎くんが優しく見つめている。

……えっと。

ズキンと胸に衝撃が走る。
扉に掛かっていた手を思わず引っ込めるくらいに。

そ、そうだよね。
私が好きになるくらいだから、きっと良い人だっているよね。
私は一歩下がって、もう一度二人を見た。
こちらに気付いていないようで、二人仲良く談笑している姿がとても絵になる。

あ、きっと炭治郎くんの大切な人なんだ。

目でわかる。
そんな目をしている。
私はその雰囲気には入れない。

ズキズキと痛む胸を押さえ、私はゆっくり店から離れるように立ち去った。

私にもっと勇気があれば、度胸があれば。
店に入ってあの子は彼女?と聞いたりできたのかもしれないけど。
そんなの聞けない。聞いて「そうだ」と言われたら、今度こそ私は立ち直れない。
失恋は傷が浅いほうがいいのだ。
失恋なんてしたことないけど。あ、今初めて失恋したか。


はあ、とため息を吐いてベーカリーの横を通り過ぎる私。
カランカランと後ろから扉を開けた時に聞こえるベルが聞こえた。

「苗字さん?」

後ろから聞こえたのは紛れもない炭治郎くんの声だ。
思わずドキン、と胸が鳴った。
恐る恐る振り返りると扉から顔を出した炭治郎くんがそこにいた。

「どうしたの?今日は寄らないの?」

笑顔でそう言われて。
私は先ほどまでの自分の決心が揺らいでいる事に気付いた。
でも、仲の良さそうな二人のいる空間にいるほど、私も図太くはない。
どうしたものか。

私の困った表情に気付いた炭治郎くんが眉を八の字にして、店から出てきた。

「苗字さん、何かあった?」

何も言わない私に炭治郎くんが優しく言ってくれる。
心の底から心配している顔で。
何て言っていいかわからない。

「…ちょっと、ね」

適当に濁して笑ってみるけど、へたくそすぎる私。
炭治郎くんの顔も晴れない。
こんな顔させたくないんだけど。

「…何か辛いことがあったなら相談に乗るよ?中へ入って」

トコトコとこちらに近付いてきた炭治郎くんは私の手を取った。
惚れた弱みで振り払う事が出来ない私はそのまま、炭治郎くんに大人しく連行されるしかない。
はあ、私のばか。

二人で中へ入るとレジにいた女の子と目が合った。

「いらっしゃいませ。お兄ちゃん、そちらが苗字さん?」
「あぁ。苗字さん、紹介するよ、俺の妹の禰豆子だ」
「え?妹、さん?」

私の先程までの葛藤は一瞬にして幕を閉じました。

可愛らしいお嬢さんは私に一礼して「禰豆子です、お兄ちゃんがお世話になっています」と丁寧にご挨拶をしてくれた。
一瞬ぽかんとしてしまったけど、慌てて私も「苗字名前と申し、ます…」と頭を下げる。

「お兄ちゃんとお母さんが話していたんです。苗字さんっていう可愛い女の子がいるって」
「…おい、禰豆子!」

ふふ、と可愛らしい笑みを浮かべる禰豆子ちゃん。
いえ、あの…可愛いのは禰豆子ちゃんとお母さんです。
この家族はほんとどうなっているんだ。皆可愛いか!

「苗字さん、何かあったんだろう?俺で良ければ話聞くから、パンを選んでて」
「えーっと…今、解決したから大丈夫」
「今!?」

ほんと面倒な女の子で申し訳ないです。
今、私の心は安心感で一杯なんです。
心配そうな声の炭治郎くんが吃驚している。
ごめんね、勝手に勘違いして勝手にショック受けてただけなんだ。
禰豆子ちゃんが炭治郎くんの妹で本当に良かった。

「今日も素敵なパンを選ばせてもらうね」

そう言って炭治郎くんに笑いかけると、炭治郎くんは驚きつつ頷いた。



―――――――――――――――


「はあ、本当に幸せ。美味しすぎる」
「苗字さん、美味しそうに食べるね」

クスクスと禰豆子ちゃんが笑う。
私はあんぱんを頬張りながら、首を大きく縦に振った。

「本当に美味しいの!私、常連さんになりたいくらい!」
「もう苗字さんは常連さんだよ。毎日来てくれるんだから」

私にお水を持ってきてくれる炭治郎くん。
その言葉に嬉しくなる私。

「嬉しいな。パンを食べてるだけなのに、お友達も出来たみたい」
「もうお友達でしょ?名前ちゃんって呼んでもいい?」

可愛く首を傾けた禰豆子ちゃん。
はぁ、可愛い。なんなの、可愛すぎる。
こんなかわいいお友達ができるなんて、私嬉しすぎて死にそう。

「勿論だよ、禰豆子ちゃん」
「俺も名前で呼んで欲しいな」
「えっ…!?」

手にあるあんぱんを思わず握ってしまった。
驚いて炭治郎くんを見るとこちらも楽しそうに笑っている。
何だか恥ずかしいけど、言わないといけない雰囲気だよね?


「……た、炭治郎くん?」


炭治郎くんの顔から目を逸らして言うと「うん、その方がいい」と明るい声が返ってきた。
心臓がドキドキ五月蠅い。
炭治郎くんは何なんだ、天然なのか。

「俺も名前って呼ぶから」

炭治郎くんがそう言った瞬間、私は天国を見た。
天然だ!この人天然なんだ!天然のタラシだ!

もう勘弁してください。
初恋には荷が重いです。

私は顔に集まった熱を放熱させるにはどうしたらいいのか、本気で悩むことになった。