04

「へぇ〜名前ちゃんっていうんだぁ。俺、我妻善逸っていうんだけどさ、こっちは伊之助」
「…ど、どうも」

一体これはどういう事だろう。
突然の事に私は自分の眼鏡を上にあげて、苦笑いを零した。

いつも通り放課後にかまどベーカリーに足を運ぶと、レジの周りに見慣れない方々がたむろっていたんだけど。
レジに炭治郎くんの姿を見つけたから、いつものように「炭治郎くん」と声を掛けたら。
その前にいた金髪の男の子(金髪…?)が凄い勢いよく振り返って近付いてきた。
あまりの素早さに私は思わず後退したけど、構わず男の子はぐいっと寄ってきて、私の手を取りながら「君、名前は〜?」と破顔した顔で尋ねてきたのである。

そして冒頭に続く。
伊之助、と呼ばれたびっくりするほど美形の男の子は、どこか機嫌悪そうにこちらを一瞥していた。
こわい。

「善逸。名前が困っているだろう。離れるんだ」
「困ってるのは炭治郎だろ?こんなかわいい子がいるって、今の今まで内緒にしてたの、誰だよ」

ニヤァと笑いながらレジの炭治郎さんに言う我妻くん。
我妻くんの言葉に炭治郎くんがむっとした気がした。
でもすぐに表情が変わって「名前がパンを選べないだろう?」と言ってくれたおかげで、私から我妻くんは離れた。

「名前、好きなの選ぶといいよ」
「あ、ありがとう。今日は人が沢山いるんだね。お友達?」
「ああ。偶にパンを買いに来るんだけど…」
「まるで俺達が邪魔みたいに言うなよ。名前ちゃ〜ん、パン選んだら俺達とお茶しようよぉ〜」

レジに手をついて、また我妻くんがニコニコと笑う。
人からそう言って貰えるのは素直に嬉しいので、戸惑いながらも頷いておいた。

「おい、いつになったら天ぷらを置くんだ、この店は」

今まで黙っていた伊之助くん?が口を開いた。
けど、天ぷら?
首を傾げつつトレーを取る私。
困った顔で炭治郎くんが呟く。

「伊之助、ここはパン屋だ。天ぷらは置かないよ」
「置けばいいじゃねぇか。ぜってぇ売れるぜ」
「馬鹿じゃないの、パン屋で天ぷらが売れるわけねぇだろ。馬鹿じゃないの?」

3人の会話を聞いていたら、思わずくすりと笑みを漏らしてしまった。
3人が一斉にこちらを見る。

「ほらぁ!伊之助が馬鹿な事を言うから、笑われたじゃない!」
「紋逸の顔が面白かったんだろ」
「伊之助、それは言い過ぎだ…」

3人の掛け合いが楽しくて私も気分が上がる。
さてと、今日は何のパンを頂こうかな?
あ、アップルパイがある!
落とさないようにそっとトングで掬って、丁寧にトレーに置く私。

「炭治郎くん、お会計お願いね」
「今日はアップルパイか。凄く美味しいから、楽しんで食べてくれ」
「ありがとう。炭治郎くんも一緒に食べよ?」
「…あ、あぁ。でも俺は、店があるから」

そう言って困ったような表情で言う炭治郎くん。
あ、そっかぁ。
一緒に食べたかったなぁ、と思ってしまったけど、仕方ないよね。
お店の邪魔はできない。

イートインスペースで私は購入したアップルパイを広げる。
私の真向かいには我妻くんと伊之助くんが座って、各々好きなパンを持参していた。
もう買ってたんだね。

「はぁ。今日も美味しい、昨日も美味しかったけど。…あとで家用に買って帰ろ」
「名前ちゃん、毎日ここに来てるんだ。……へぇ?」

意味深な笑みを浮かべて我妻くんがクリームパンを一かじりする。
何と言っていいか分からないけど、私はこくり頷いておく。

「炭治郎の事好きなの?」
「ブホォ」

全く臆することなく尋ねられた質問に、私は思わず噴いてしまった。
ゲホゲホと咳き込みながらブンブン首を振ったけど、我妻くんの顔は変わらない。
何なら伊之助くんも普通の顔して焼きそばパンをかじっている。
え、何?この人達、エスパーか何かなの?

「隠さなくても俺達には分かってるよ〜。いいねぇ、青春って」
「…炭治郎くんには内緒にしてて下さいませ」
「そうだねぇ。でも炭治郎もある程度は分かってると思うけどね」
「えっ!?」

モグモグと口を動かす我妻くんに私は驚愕した。
炭治郎くんも分かってる…だと?
どど、どうしよう。そんなモロバレだったなんて…。
さーっと血の気が引いていく私。

これまで巧妙に隠してきたつもりだったのに!(じゃないと毎日パンを買いに来れない!)
でもバレていても何も言わない炭治郎くんは優しいな…。
こ、これからどんな顔して会えばいいの。

「名前?どうかしたのか?」

そんな事を考えていたら、炭治郎くんがジュースを運んできてくれた。
ドキンと私の胸が高鳴る。
顔に熱も籠り始めた。
あ、駄目だこれ。やっぱり無理。

「な、何もないよ?」

上ずった声でそう言うけど、炭治郎くんの顔はまだ疑いの表情だ。
ですよね、私、隠すの下手くそみたいだから!
どうしようどうしよう、と紋々考えていたら、我妻くんが口を開いた。

「あ、炭治郎。俺ら、もう食べ終わったから帰るね。名前ちゃんの相手、よろしく」
「は?俺まだ食べて…」
「いいから、行くぞ伊之助」

えっ。

まだ焼きそばパンを手に持った伊之助くんを引っ張って、我妻くんが店から出て行ってしまった。
その時、私の方を見てパチリとウィンクを飛ばしてきたのが、本当に意味分からない!
何考えてるの!?
こんな状態でみんな帰らないで欲しい!

残されたのは顔色がリンゴのような私と、首を傾げて扉を見つめる炭治郎くん。
ジュースを私の前に置いて、炭治郎くんは先ほど我妻くんが座っていた場所へ腰を下ろした。
炭治郎くんの顔が見れなくて、私はテーブルのアップルパイを見つめた。

「何かあった?」

心配そうな声が聞こえる。
前、禰豆子ちゃんを恋人だと勘違いして勝手にショックを受けていた時も、そう言って心配してくれたっけ。
本当に優しい人なんだ、炭治郎くんは。
だけど、恥ずかしくて顔を上げる事が出来ない。

「何でもないの」

下手か!
もう自分のボキャブラリーとか、語彙とかなんかそういうのが足りなさ過ぎて、死にたくなる。
折角炭治郎くんが心配してくれているのに、ちゃんと言えないのは心苦しいけど。

「善逸と伊之助が、何かした?」
「いいいいえいえいえ!!め、滅相もない」

それだけは全力で否定しておく。
ある意味我妻くんの所為ではあるかもしれないけど、根本の原因は目の前の炭治郎くんだから。

「もしかして、俺?」

ドキドキと胸が鳴り響く。
ひ、否定しなければ。

首を横に振ったけど炭治郎くんは何も言わない。

お互い無言の時間が続いた。
恐る恐る顔を上げて、炭治郎くんを見ると、見た事のない顔をした炭治郎くんがそこにいた。

切なそうな。苦しそうな。

「たん、じろうくん?」

名前を呼んでも、表情は変わらない。
何でそんな顔しているんだろう。



「…ごめん、名前。今日は家に帰った方がいい。雨が降ってきた」

ぱっと炭治郎くんの表情が元のニコニコした顔に戻って、
窓の方に視線を向ける。
私もつられてみると、確かに雨が降り出してきていた。

「あ、傘持ってきてないや」

ポツリと呟くと、炭治郎くんが立ち上がり、奥から黒い傘を持ってきてくれた。

「これ、返さなくていいよ」

いつものように笑って、傘を私に渡す炭治郎くん。
だけどなんだろう。
笑顔は笑顔なんだけど、違和感あるような?

「ううん、また返しにくるよ」
「…ありがとう」

何だか二人の間の空気もぎこちない気がする。
何とも言えない空気に、私は今度はズキズキと胸が痛むのを感じた。

「じゃあ、またね」

そう言って炭治郎くんに手を振ったけども。
私は胸の痛みが強くなっていて。

あれだけ毎日パンを買いに行っていたというのに、私はそれから暫くかまどベーカリーから足を遠ざけてしまった。