05


「何で毎日傘なんて持ってきてるの?」

教室に入るなり、友達が挨拶よりも先に不思議そうに尋ねた。
傘立てに立てている所を見たのだろう。
私は自分の席にカバンを下ろして「借り物なの」と答えておく。

「何で返さないの?」
「…返したいのは山々なんですが」

ズバズバと聞いてくる友達に、困った顔をしておく。
それを見た彼女は自分の席の前の席を指さして「そこに座りな」と命じるのだ。
私も大人しく彼女の言葉に従い、ちょこんと前の席に座る。
席の主が登校するまでの間だけ。

「で、誰の傘?黒い傘を持ってくる女子がいるとは思えないけど?」
「…こ、懇意にしているパン屋さんの傘です」

項垂れるようにそう答えると、彼女が少し驚いた顔をして「パン屋って、前言ってたとこ?」と聞いてくる。
段々聞いてほしくない真相にまで近づいてきているけど、私が誤魔化すとよりすぐにばれてしまうのが、この前よくわかったので、抵抗せずに素直に答えていく。
こくりと頷くと彼女もまた頷いた。

「パン好きだもんねぇ、名前。で?」
「で?」
「普通のパン屋ならさっさと傘を返しに行ってんでしょ。何で行かないの?懇意にしてるんでしょ?」
「……」

彼女の言う通り。
さっさと返しに行けばいいのだ。
毎日雨も降っていないのに傘を持って登校する理由は、今日こそかまどベーカリーに立ち寄って返す気があるからだ。
だけど、放課後になると胸が苦しくなってどうしても寄る事ができない。
この前までは喜んで向かっていたというのに。

だって、炭治郎くんがいるんだもん。

この前の我妻くんが言っていた言葉と、最後に会った時の空気が気まずくて。
会うともうただのお客さんとパン屋さんの関係になる気がして。
…いや、まあただのお客さんなんだけどね、私は。

ここ最近、仲良くなっていたから勘違いしてしまっていた。
だめだめだ、わたし。

「顔、合わせづらくて」
「何かしたの、アンタ」

呆れた顔をしながらため息を零す姿を見つつ、私はモゴモゴと口を動かした。

「…まだ何もしてない」
「意味わかんないんだけど。返しに行かないんだったら、代わりに行ってあげるけど?」
「そ、それは…!わ、私が行く」

急に声を上げた私に彼女はぽかんとした顔をして、それからくすりと笑った。
何で笑うのか分からなくて今度は私が首を傾げる。

「男?」

彼女の鋭い追及にとうとう私は声が出なくなってしまった。
途端に体中が熱を持ち始め、沸騰しそう。
そんな私の姿を見て納得する彼女。

「はぁ〜男ですか、男。名前から一番結びつかない言葉じゃん。へぇぇ」
「そういう言い方やめて…めちゃくちゃ恥ずかしいから!」

そこそこ大きい声で彼女が言ったので、私は辺りをキョロキョロしながら慌てて止めに入る。
朝早いとはいえ、教室には私たち以外にも人はいるんだから!
彼女はケラケラと楽しそうに笑った後「ごめんごめん、悪乗りしたわ」と謝罪する。
本当に心臓に悪いんだから!
心の中で憤慨しながら、唇を尖らせる。

「それにしても、どうして?」
「何が?」
「名前が大好きなパン屋の男に、何故傘を返さないのかって事」
「うわー!うわー!」

思わず立ち上がって彼女の口元を押さえる私。
何で何でそんなすぐに口に出しちゃうの!!
恥ずかしくて恥ずかしくて、私は泣きそうになる。

「ごめんごめん」

頭の後ろを手で押さえながらケロっとした表情を見せる彼女。
いつか、同じ事してやるんだから。
胸の中で邪心を抱きながらはあ、とため息をついて、座り直した。

「好きなのを隠して通ってたの」
「うんうん」
「でもね、炭治郎くんのお友達に『もう知ってると思うよ』って言われて…」
「炭治郎っていうんだ、その男」

私の言葉にいちいち反応して、ニヤニヤと笑う彼女。
もうやめてください、本当に。
恥を忍んで言ってるんだから!

「ば、バレてるなんて思ってなかったから、恥ずかし、くて…それに炭治郎くんとも気まずくなっちゃったの」
「アンタは分かりやすい部類だとは思うけどね、私は」
「えっ!嘘!?」
「ホント」

彼女の言葉に私は血の気が引いていく。
嘘、そんなに分かりやすいんだ。
心のどこかで我妻くんの言葉に「そんなわけないよね」と思っていたのに!
他人を気遣う事ができる炭治郎くんに分からない筈がないじゃない!
本当にダメだ、もう顔見せるなんてとんでもない。

「ど、どうしよう…」

頭を抱えて机に突っ伏してしまう私。
彼女の手がポンポンと私の後頭部を撫でる。

「開き直って行けばいいじゃない。何で気にしてるのよ」
「そんな簡単に開き直れないよ!そそ、それに…炭治郎くん、なんか…雰囲気が変というか」
「どう変なのよ?」

ゴロンと頭を動かして頭上の彼女を見据える私。

「私と話してる時、苦しそうで、しんどそうなの」
「苦しそう?」

うん、と言って私は瞼を閉じる。
記憶の片隅にある炭治郎くんの表情。
いつもの優しい笑顔ではなくて、つらそうな。
そんな顔をさせているのが私という事実が苦しい。

「…それはよくわからないけど、嫌われてるわけではないんじゃない?」
「何でそんな事わかるの?」
「アタシだったら、嫌いな奴に毎日来てほしくないから」

来るなって言われたわけじゃないでしょ?

「まあ、そうだけど」

言われたわけじゃない。
でも、炭治郎くんだったらそんな事言うかな?
あの優しい人は嫌いな人に対しても、そんな事を口走るなんて思えない。
嫌われているかもしれないし、そうではないかもしれない。
炭治郎くんがわからない。

悶々と考えていたら余計訳が分からなくなってきた。

優しい彼女の掌だけが私の頭を撫でてくれて、何でかそれで炭治郎くんを思い出してしまって。
思わず、会いたいと思ってしまって。


「…え、ごめん」

彼女が慌てたように、ポケットティッシュを取り出した。
そして、それを私の目元に当てる。
そこで初めて気付いたけど、私、泣いてたんだ。

「嫌われてたら、どうしよう」

気付いてしまったらダムが決壊するように零れ落ちる涙。

こんなに好きなのに。
気に障ること、したのかもしれない。
いつもちょっとしか買わないで、毎日居座って。
鬱陶しかったのかもしれない。
炭治郎くんは優しいから、今まで我慢してくれていたのかも。

教室中の人の視線が私に集まるのを感じながら、頭を上げた。
涙で濡れる瞳で彼女を見ると、彼女は笑っていた。



「…名前を嫌う人なんて、いるわけない。そんな奴居たら、私がぶっ飛ばすよ」



私の涙を指で掬ってくれる。
彼女の言葉で私のズタズタな胸が少し温かくなる。

「でも、でも…」
「いいから、早く泣き止め。私が泣かせたみたいじゃない」
「泣かせたでしょ!」
「それについては、ごめん」

はは、と笑って乱暴に私の鼻をつまむ。
痛い。

でも、おかげで少しスッキリしたかも。

まだ顔を見るのは怖いけど、でも。

返しに行こうって心に決めた。