好きで、好きで、


「伊之助、またケガしたの?」

蝶屋敷で療養中、布団の上で暇していた所だった。
真横から聞こえた声に片目だけ開けて反応すると、声の主は楽しそうに笑っていた。
コイツも俺と同じ鬼殺隊の一人。
ただコイツは隠と呼ばれる隠密部隊だが。
蝶屋敷にいる時に世話をしてくれるのは大体コイツだ。

顔の横にまとめた髪を揺らして、ケラケラと笑う名前。
何がそんなに楽しい。
こっちはケガして暇だというのに。

「無茶したんでしょう?炭治郎が言ってた。あんまり無茶しちゃダメだよ」
「るせぇ。そのお陰で鬼を倒せたんだろうが」
「…そうだね」

俺がそう言うと名前は少し悲しそうに笑った。
何なんだ。楽しそうに笑ったと思ったら、今度は悲しそうにしやがる。
表情がころころ変わりすぎなんだよ。

「今回はすぐに復帰するでしょう?私が伊之助の世話をするのは、これが最後よ」

そう言って猪の頭を撫でる。
名前の言葉の意味が分からなくて、俺は首を傾げた。
最後?どういうことだ?

「最後?」

そのまま口にすると、名前はこくりと頷いた。

「私、もうすぐお嫁さんになるの」

名前の手が頭から離れていく。
顔は変わらなかったが、貼り付けた笑顔だというのは俺でもわかった。
全然嬉しそうじゃねえじゃねえか。

「嫁?誰のだ」
「知らない人。鬼殺隊も辞めないと」
「お前、逃げるのか?」

頭の下で腕を組み、俺は名前を見据えた。
そんな事を言いたいわけじゃない。
だけど、何て言っていいか分からなかった。
そう言うと名前はいつものように怒ると思っていたのもある。

「…隠になった時から、私はずっと逃げ続けてるのよ」

さっきまで嫌でも笑顔を作っていた癖に。
そう言うと名前は泣き出しそうな顔をして、部屋を出て行った。

そこで初めて自分が名前に対して酷い事を言ったんだと理解した。
だが、弁明の余地もない。

アイツはそれから俺とはなるべく顔を合わさないようにして、避けていた。
俺が酷い事を言ったのは分かっているが、何故避けられなきゃならねぇ。
アイツの事を考えるだけでイライラして、紋逸に当たる日々が続いた。
そもそもアイツが嫁ぐとか言うから、俺がああ言っただけじゃねぇか。
それも知らねえ奴の所へ。

ふざけんな。



「いい加減にしろよ、伊之助。お前、名前ちゃんとケンカしたんだろ。さっさと謝ってこいよー」

布団の上でゴロゴロしている金髪が俺に苦言を申す。
女子に嫌われてるお前に言われたくねぇ。

俺の考えがわかったのか、金髪は額に青筋を見せ始めた。

「伊之助、善逸の言う通りだ。名前と仲直りをするんだ。もう時間はないぞ」
「時間って何の時間だよ」

横で権八郎がため息を吐く。
俺は猪の頭の下で口を尖らせた。

「…もう、ここを出るんだろう?」

権八郎は言い辛そうにしていた。
あぁ、そう言う事かよ。
嫁ぐと言っていたその日が近いのか。
俺は「ちっ」と舌打ちをして寝返りを打つ。

ぐるぐるとアイツの事で頭が一杯だ。
ムカつく。ふざけんな。うぜぇ。
何で俺様がアイツの事を考えないといけねぇ。
アイツは逃げるだけじゃねぇか。
鬼殺隊から。

俺から。


「気付くの遅いんだよ。いっつも考えるより先に動く癖に、色恋には疎いんだからさ。ほんと山育ちってヤダわー」

ニヤニヤと口角を上げながらタンポポが近付いてくる。

「は?何お前」
「恋愛の事をよぉく知ってる俺が伊之助に助言してやってるんでしょ。いいから、さっさと行って来たら。名前ちゃんだって、お前の事考えてると思うよ。俺、耳良いから」

自分の耳を指さして相変わらずニヤニヤしている。
思わずイライラして殴りかかろうとしたが、アイツの顔が頭に浮かぶ。

そんなんじゃねぇよ。
アイツは余所に行くだけだ。
俺は残されるだけだ。
別に深い意味はない。

だが、言っておかなければならない事はある。
挨拶の一つくらい出来なきゃ、伊之助様じゃねぇ。

「…伊之助、何処に行くの?」

布団から出た俺を善逸が呼び止める。
何処に行くって、分かった顔して聞いてくるんじゃねぇ。

「厠だクソが」

俺は乱暴に扉を閉めた。


―――――――――――――――――


「あっという間だったなぁ」

この蝶屋敷でお世話になってから、何年経っただろうか。
鬼殺隊に入れたというのに、満足に任務をこなす事が出来ない私が、隠という部隊に移って。
それからしのぶさんに「ここにいていいのですよ」と言われて。
その言葉に甘えて、何年も過ごして来た。

今思えば一瞬の出来事だったかもしれない。
それだけ、この屋敷にいた時間は大切で、大好きで、あっという間だった。

思い残す事はあるけれど…。

ふと頭に過る猪の被り物をした男。
最後に会話をした時、まるでケンカをしたみたいになって。
会話せずにそのままだった。

自分の数少ない私服を籠に詰め、私は準備を進める。
もう長くはここにいれない。
それまでに猪とは話しておきたいけど、顔を見せるのは気まずい。

行く前に見てしまうと、決断が鈍りそうだ。

このまま顔を見ないまま行く方がいいのかもしれない。

そんな事を考えていたら、突然自室の扉が音を立てた。
もう夜も更けている時間。
尋ねてくる人なんているもんじゃない。
何だろう?

扉を叩かれると思っていたけど、予想に反して先に扉が開かれた。
扉の向こうにいた人物に、私は思わず息を飲んだ。

「…んだよ」

いや、こちらのセリフである。
人の部屋の扉を開けて開口一番それはおかしいだろう。
自然と引き攣ってしまった顔を見て猪もとい、伊之助は機嫌が悪そうだ。

「女子の部屋に入ってくるなんて、どういうつもり?」
「はっ、自分の顔みて言えよ」
「……女子、でしょう?」

ズカズカと部屋に入り込んできた伊之助。
そのまま私の真向かいに座り、眉間に皺を寄せる。
な、なんなの。

「嫁に行くのか」

伊之助が喋った。
この野獣はこの前の会話を聞いていなかったのだろうか。

「前も言ったでしょ。もうすぐお嫁さんになるの。人妻よ、人妻」

わざと茶化してそう言うと、更に深く眉間に皺がいく伊之助。
いつもなら猪の被り物をしているのに。
今日はガラス玉のような瞳が私を見据えている。

「そんなに嫁になりたいのかよ」
「女の子の夢よ。いつかお嫁さんになりたいっていう、ね」

はあ、と息を吐いた。
荷物が纏められないじゃない。
伊之助と話しながらも私は、手を動かし続ける。

「…別に誰でもいいんじゃねぇか」
「そういう訳じゃないよ。心に決めた人だったら、いいなって思うだけで」
「お前の旦那になる奴は、心に決めた奴なのか」

伊之助の言葉に思わず手が止まる。

何でそんな事言うのよ。
私だって自分の気持ちに折り合いつけて返事をしたんだ。
伊之助にそんな事言われる筋合いなんてない。



「…心に決めた人は、きっと嫁にはしてくれないだろうから」



そう言って伊之助に笑った。
視界がぼやけているのが分かって、私は思わず裾で瞳の雫を拭う。

だって、その人は鬼殺隊で。
毎回ケガをして帰ってきて。
それでも何度も任務に出て行くんだよ。
いつ、帰って来ないかわからないのよ。
心配で心臓が痛くなったり、意識が戻って心が躍ったり。
振り回されたくないのよ。

それにきっと私の事なんて、微塵も考えてないだろうから。


「嫁にしてくれって言えばいいじゃねぇか」
「無理よ。私の事、きっとそんな風に思っていないもの」

ふるふると頭を横に振る。
そんな簡単な話なら、私は目の前の猪にそう訴えかけている。
無理なものは無理だ。
そんなの重々承知。

「…俺が、」

伊之助が言い辛そうに口を開く。
私が泣いて焦るかと思ったけど、変わらず真っすぐ見つめる瞳。

「俺がお前を嫁にしてやる。心に決めた奴じゃなくていいなら、俺でもいいだろうが」
「…は?」

ぐずぐず泣いていた涙も一瞬にして引っ込んだ。
え、この猪、何て言った?

「だから、嫁にしてやるって言ってんだろうが!!」

理解できない私に苛立ちを見せた伊之助。
瞼を数回ぱちぱちして私は伊之助から目が離せない。

「何を言っているのかわかってる?」
「当たり前だ!!」
「貴方、結婚を申し込んでいるのよ?」
「だから何だ」

私は伊之助の所為で大混乱だ。
何を言っているんだ、この野獣。
腕を組んで鼻を鳴らす姿に私も苛立ちを隠せない。

「ふざけないで。伊之助の嫁にはならない」

ズキン、と胸が痛む。
自分で言ってて自分で傷つくなんて。

「伊之助の嫁になるくらいなら、このまま嫁いだ方がま、」

私の言葉は途中で遮られた。
目の前の伊之助が乱暴に私の腕を引っ張って、私の唇に自分のそれを重ねたのだ。

何が起こったのか一瞬理解ができなくて、私はなすすべがなかった。


「…そんな事、言うな」

唇が離れて、切なそうな伊之助の目が私を射抜く。
ズキンズキンと心臓が悲鳴を上げている。
なんで、どうして。

抵抗する間もなく、そのまま伊之助は私を抱きしめた。

「俺の嫁になれ、名前。どこにも行くな」

苦しそうにそう背中で囁かれたら。
私は、いつの間にか伊之助の背中に手を回していた。


「…どうするの。破談になっちゃうじゃない」
「破談でいいじゃねぇか」
「手続き面倒なのよ。伊之助の所為よ」
「じゃあ、俺が全部ぶっ倒してやる」


名前、好きだ。


更に力を込めて抱きしめられる身体。
でも私の身体に気を遣っているのが何となくわかる。

ああ、もう。

もっと早く言いなさいよ。

私も。



好きで、好きで、どうしようもないのよ。








atogaki
匿名希望ちゃんさま、リクエストありがとうございました!
嫉妬で恋に気付くというシチュエーションをご希望でしたが、いかがだったでしょうか。
恋に気付くどころか、結婚まで申し込んでしまいました(ノ∀`)アチャー
お蔭でボリューム感ありますよね、すみません。。。
うちの伊之助は幸せにならないので、たまに幸せにしておかないとと頑張った結果これです。
なんか、もう、すみませんでした(;^ω^)
こんなものでよければお納めくださませ!
この度は誠にありがとうございました!

お題元「確かに恋だった」さま

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