いつだって手放しで甘い恋に酔い痴れている


「今日の名前は甘い匂いがするな!」

昼頃、お昼ご飯を食べている席で炭治郎さんが私に向かってそう言った。
その隣の伊之助さんも「お前、菓子を隠してんじゃねぇだろうな」とジロリと睨んでくる。
何なんだろう、この人たち。やっぱりエスパーとかそういう類の人なんだろうか。
その流れにイマイチ乗り切れていない金髪が一人。

「え、え? 匂いなんてする?」

首を傾げつつもぐもぐと咀嚼している表情からは、全くこちらに気付いていないようだった。
とは言え、もう既に炭治郎さんが大方バラしてしまったようなものなので、私は小さくため息を吐いて観念する事にした。

「今日はバレンタインデーなんですよ」
「ばれんたいん?」

三人が私の後に続いてオウム返ししたけど、言葉の意味は理解できていないようだ。
私はこくりと頷いてバレンタインの概要を説明する事にした。
この時代にはバレンタインデーという習慣はまだ存在しない。
もうひと世代後くらいにならないと、根付かないと思う。

「ショコラート、でしたっけ?女の子が想いを寄せる男の子に贈るんですよ」
「名前がやるのか?」

伊之助さんが頬にご飯粒を付けまま尋ねる。
私はジェスチャーで頬を指さしながら「そうですよ」と答えた。
すると明らかに金髪の身体がビクンと跳ね、私から見ても分かるくらいニヤニヤと破顔した。
いや、最後まで聞けって。

「ちなみに、お世話になっている人にあげる事もありますし、友達同士で贈り合ったりします。その記念日が今日なんですけど、ショコラートが高級すぎて買えなくて、普通のお菓子を作りました」
「だから名前から甘い匂いがしていたんだな」
「おい、俺の分は!?」

テーブルから身を乗り出す伊之助さん。
この人たち、だから話を最後まで聞けって。
二度目のため息を吐いて、私は袖から小袋を二つ取り出す。

それを見て伊之助さんの口元が緩む。

「まだお昼ご飯なんで、すぐに食べないで欲しいんですけど。一応私から皆さんに用意しました」
「オイ、それ寄越せ」
「……」

人の話を全く聞いていない野獣一匹。
私は炭治郎さんに向き直り一つ袋を手渡す。
炭治郎さんはそれを受け取って「ありがとう」と言ってくれた。
そう!それ!そういう反応をしてほしいだけなんです、私は!

「予算の都合上、べっ甲飴になりました。休憩中にでもかじって頂ければ…」
「はぁ?そんなの一瞬で無くなるじゃねぇか!もっとねぇのかよ!」
「ありませんし、あげません。こちらで我慢してください」

そう言って、嫌々猪にも小袋を一つ分け与える私。
ちぇ、と言いつつ素直に受け取る猪の姿に私はイライラが止まらない。
もう二度とやらないんだから。

「ねぇ、ねぇ…名前ちゃん、俺のは…?」

恐る恐る善逸さんが手を上げて発言をする。
ギクリ、と私は思わず身体が反応してしまったけど、慌てて笑顔を取り繕う。

「…ちょ、ちょっと待ってて貰えますか?」
「え、もしかして…無いの?俺だけ、無いの?ねえ?想いを寄せる男子に贈るんじゃないの?ねぇ」

茶碗を置いて善逸さんがずいっと私の横にやってくる。
そして、顔面をギリギリまで近づけて「ねえ、ねえ」と尋ねてくる姿は、とても必死すぎて正直キモイと思ってしまった。
ごめんなさい、気色悪い。

「お世話になっている人やお友達にも贈る、と言いませんでしたか?つまり、そういう事です」
「はぁあああっ!? 嘘でしょ!? 何で何で! 炭治郎はわかるよ?でも伊之助にやってるのに、俺だけ無しってあんまりだろ! 嘘だと言ってよ名前ちゃん!」
「よ、予算の都合上…」
「この二人の分で終わり?」
「いえ、あとしのぶさんと、きよちゃん達と、アオイさんと…」

指折り数えながら名前をつらつら並べていくと、段々善逸さんの顔色が悪くなってきた。
あ、まずい。ちょっと調子に乗ったかもしれない。
すうっと善逸さんの目が細められ「何だよそれ」とぽつり呟く。

「あ、善逸さん…」

善逸さんはご飯の途中ですっと立ち上がり、この場から立ち去ってしまった。
その背中を見つめながら私は、正直しまった、と後悔していた。
善逸さんなら私の音を聞いて、本心がわかると思っていたから調子に乗っていた節はある。
それにいくら公認だからって、みんなの前で善逸さんに贈るのは恥ずかしいんだ。

「名前、善逸の分がないなら、これを…」

炭治郎さんが焦った顔をして、小袋を私に返却しようとする。
それを私は首を振って制止する。

「実はとびっきりのを用意してるんです。恥ずかしくて渡せなかったですけど」

はは、と乾いた笑いを見せつつ私は頭をかいた。

さて、どうしたものかな。


――――――――――――――――

それから善逸さんを見かけるたびに声を掛けようとしたけど、善逸さんは私を視界に入れるとすぐにプイっと逸らしてしまい、そそくさと立ち去ってしまう状態だった。
それが三回続いた時、最初はニコニコしていた私だったけど、いい加減イライラしてきて袖の中のそれを思わず握り潰してしまいそうになる。
…いや、元はと言えば私が悪いんだから。


鍛錬に出かけてしまった三人を私は蝶屋敷の門の下で待つ間。
どうやって渡そうかと想いを巡らせながら、足元の小石を蹴った。

現代のバレンタインでは私はチョコを渡したことは無かった。
勿論、友チョコは除く。
意中の男の子なんていなかったんだから、当たり前なんだけど。
言うなれば私はこれが初めてのバレンタインなのだ。
特別に渡しても罰は当たらない筈、でしょ?

「あ、ただいま名前」
「おかえりなさい、炭治郎さん、伊之助さん」

一人悶々と考えていたら、炭治郎さんと伊之助さんが走って帰ってくるのが見えた。
あれ?金髪は?

「善逸なら、まだ後ろにいるよ」

ほら、と炭治郎さんが遥か後ろを指さすと「たぁ〜んじろぉぉ〜」「いのすけぇ〜」と情けない声が薄っすら聞こえてくる。
ああ、なるほどね。
私は炭治郎さんにお礼を言って、善逸さんが来るだろう方向へゆっくり歩いていくことにした。

袖の中にあったそれを背中に隠して。



「善逸さん、おかえりなさい」

少し歩いた所で、ふらふら走ってる善逸さんを見かけた。
先に私がそう声を掛けると善逸さんは驚いた顔をして、すぐにまた顔を逸らしてしまう。
善逸さんの前に立ち、通せんぼをする私。
やっと善逸さんが唇を尖らせて口を開いた。

「何の用?」

不機嫌を含んだ声に私はため息を吐いたけど、諦めずに勇気を出して背中のそれを差し出す。

「善逸さんの、です」
「は、俺の?」

目の前の茶色い箱と私を交互に見る善逸さん。
暫く黙ってそれを見ていたけど、恐る恐る善逸さんはそれを受け取った。

「俺の無いって言ったじゃん」
「恥ずかしかったんです。二人になったら渡そうとしていたのに、善逸さんが逃げるから…」
「いや、わかるかよ!! ってか言ってよ!!」
「…すみません」

素直に謝罪する私。
俯きつつ、視線を足元に向ける。
善逸さんの顔が見れない。
胸の音がドキドキ鳴っている。
善逸さんにはこのお菓子を贈る気持ちを理解してないかもしれないけど、私にとっては本当に大切な事なんです。

「これ…べっ甲飴じゃないでしょ」

箱をぱかっと開けながら善逸さんが言う。
善逸さんの言う通りだ。

「だから、予算の都合上、用意出来たのは一人だけなんです」

チョコレート。

キューブ上に溶かし固めただけだけど。
この時代のチョコレート、めちゃ高い上に味もビターしかないんだもん。
頑張って甘くしたんだけど、善逸さんは喜んでくれるかな。

箱の中に綺麗に鎮座しているいくつものチョコの塊を見て、善逸さんは不思議そうな顔をしていた。
食べた事ないのかな?

「俺、食べていいの?」
「善逸さんのために作りましたけど、いらないなら私が全て処理しますが」
「食べる」

そう言ってチョコレートを一つ摘まんだ善逸さん。
ゆっくり口に運ぶ姿を見ながら、その仕草が何となく色気があって、思わずドキンと胸が跳ねた。
善逸さんはモチャモチャと咀嚼をして目をぱちぱちさせて、私を見る。

「ど、どうですか?」
「おいしい。ありがとう、名前ちゃん」

食い気味に即答してもらえた。
その表情は昼間見た怒っている顔ではなくて、頬が緩んで嬉しそうな顔だった。
私もそれを見て思わず口元が緩んでしまう。

「来月のホワイトデーを楽しみにしてますからね」
「ほわいと、でー?」

未だもちゃもちゃ食べ続けている善逸さんに、蝶屋敷へ歩きながら私は言った。
あ、ホワイトデーの事も言っておかないと。折角バラ蒔いたのに、このままでは何も返って来ない!

「バレンタインで贈り物を貰った男性は一月後に、女性にお返しの贈り物をするんですよ」
「……え、俺もこれ作らないといけないの?」

口元を歪めながら私の顔を覗き込む善逸さん。
いえ、それはちょっと…っていうか、そんなのは期待していません。

「贈り物だったら何でもいいんですよ。ですので、とびっきりの、お願いしますね」

ニヤニヤとわざとらしい笑みを見せてそう言うと、善逸さんの顔が一瞬曇ったけど、すぐに「ま、俺にも貰ったから、いっか」と一人納得したようだった。

そしてまた一つ口にチョコを放り込むと、急にこちらを見る善逸さん。
その時私は完全に油断していて。いつの間にか私の両肩を掴んだ善逸さんに反応する事が出来なかった。

「えっ」

ゆっくり近づいてきた善逸さんの顔に、ぽかんとしていたらすぐに私の唇が塞がれてしまって。
ただ重ねられただけじゃなくて、唇の間から善逸さんの舌まで侵入してきた。

「ん、ふ…っ」

吃驚して善逸さんの胸板をポカポカ叩いたけど、びくともしない。
むしろ激しくなる口吸い。
逃げようとしたけど、今度は後頭部を掴まれて逃げられない。


やっと解放されたときには私の口の中はチョコレートの味で一杯だった。

顔が離れると潤んだ瞳と目が合う。
口元はニヤっと笑っていて、その様子に私は顔が沸騰しそうになる。

「そ、外なんですよ!? しかも、まだ日が落ちてません!」
「誰もいないからいいじゃーん。それに、俺ばっかり食べてたら申し訳ないと思ったし」
「それなら普通に食べさせてくださいっ!!」

ふー、ふーと動物のように荒い呼吸で起こる私。
それを見てケラケラと笑う金髪。
むかつくむかつくむかつく!この色男。


そして思い出したように善逸さんは言うのだ。



「あ、今日、名前ちゃんの部屋に行くからね」
「はぁっ!?」




どうやら今夜は甘い夜になりそうです。








atogaki
てんさまリクエストありがとうございました!
ごめんなさい、一話にまとまらなかったので、ホワイトデーの話は次の話になります。
長編ヒロインちゃんでバレンタインと言うお話でした。
この時代のチョコってくっそ高かったみたいですね。何気にそれを買えるヒロインちゃんはお金持ちです。
最後結構甘くしたつもりですが、何分ホワイトデーも入れたかったので、私としては少し後悔してます。
すぐにホワイトデーのも載せますので、そちらも合わせてお楽しみいただければと思います。
この度はありがとうございました!

お題元「確かに恋だった」さま

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