今はふたり離れたまま


「いいのか、名前」

心配そうな炭治郎の声を聞きながら、私はあえて不思議そうな顔で「何が?」と尋ねた。
匂いで人の考えている事がわかる炭治郎に、無意味だって事はわかっている筈なのに。
私の小さい小さい自尊心が許さなかった。

炭治郎はくしゃと顔を歪め、私の頭を撫でてくれた。

それを止める事もせず、私はただただ炭治郎の目を見ていた。
炭治郎みたいな人を好きになればよかったのに。
そうは言っても、とっくの昔に手遅れなんだけど。


「ほら、炭治郎。いつまでも屋敷を留守にしていいわけ?」
「名前、けど…」

明日は祝言。
誰の、なんて言いたくもないけど。
そんな日の前日に、わざわざ私の屋敷まで出向いてくれた炭治郎には感謝しかない。
正直、気は滅入っていたから、ね。

「本当に炭治郎は優しいんだから。でもね、今はほっといてほしいかな」
「……大丈夫なんだな?」
「当たり前。何年、善逸を見てきたと思ってるの?私だって良い人見つける努力くらいするわよ」
「分かった。じゃあ、もう少ししたら行くよ」

とは言いつつ、炭治郎は動かない。
ホント、炭治郎は優しすぎる。
私は小さく息を吐いて、台所から茶菓子のおかわりを取りに立ち上がった。
炭治郎の視線がそのままついてくる。

「茶菓子取りに行くだけだから。そこにいて」
「あぁ。ありがとう、名前」

この屋敷には私しかいない。
女中もいない。
本来ならば女中の一人でも雇うべきなのだろうが、この屋敷は小さいし、一人暮らしに苦労はしていない。
たまに仲間が尋ねてきてくれるし、不便もなかった。




あの日、善逸が珍しく一人でこの屋敷に来た。
もう顔を見ただけで分かった。
ニヤニヤと頬が緩みきっていて、何の話をしに来たのかを。
その話を聞く覚悟は、善逸が他の女とくっついた時から、出来ていた。
だから、すぐに客間に通して薄っぺらい笑顔を浮かべて、適当に相槌を打つことが出来た。

「式には、名前も出て欲しい」

モジモジと指を回しながら言う善逸に「無理」なんて言える筈もなくて。
とびっきりの笑顔と共に「喜んで」と言った。
きっとその時の私は演技力に関してだけ言えば、ピカイチだったんじゃないかと今でも思っている。
音でばれないようにこの数年、ずっと胸の音を隠す努力をしてきた。
その努力の甲斐があったかわからないけど、善逸は今の今まで私の気持ちに気付いた様子は無かった。

善逸の嬉しそうな表情を見ていたら、心がポカポカしていた。
私には絶対見せなかった癖に、好きな女の事になると大安売りするんだから。
好きな人の幸せを祈る、そんな簡単な事も出来ない女にはなりたくない。

「善逸が選んだんだから、素敵な人なんでしょ?」

そう言ってくすっと笑ってやると、分かりやすく顔を赤らめる善逸。
惚気でも何でもいいから、ここに吐き出していきなさいよ。
それを聞いたらきっと、私も諦めることが出来るから。

「実は、あんまり話したことが無いんだよね、見合いだったから」

へへ、と笑う善逸に、私は少し吃驚した。

「へえ、一目惚れですかー? 善逸らしいと言えばらしいけど」
「何か先方が俺の事、気に入ってくれたみたいでさ」

善逸の言葉に不信感を抱く。

善逸を気に入る…?
自分も好きになっといてアレだけど、善逸を初見で気に入るなんて女子、存在するのだろうか。
一抹の不安を抱くも、慌ててそんな思いを振り払った。
ただの嫉妬じゃない、馬鹿じゃないの私。

邪な感情を隠して、善逸を帰してから、一人でそっと泣いた。


あれから数か月、とうとう明日だ。
もう心の準備も出来ているし、私は平気だ。
炭治郎が来てくれたのは素直に嬉しいけど。

茶菓子を手に取り、客間へ行こうと廊下を歩いた。

その時、玄関から物音がしたので、不思議に思いながらも私は客間を通り過ぎ、玄関へと向かった。


「名前……」


玄関で情けなく蹲る金髪を見つけて、私の胸の音は高鳴った。


―――――――――――――


「はあ、新婦に逃げられたの…」
「…ひぐ、っ、ヴェ、」

玄関で蹲る善逸をそのままに出来なかったので、とりあえず炭治郎のいる客間へ連れてきたけど、
既に飲んでいたのか善逸は頬を赤らめ、そして鼻水やら涙やらで顔を濡らしていた。
チリ紙を渡して、炭治郎と根気よく話しを聞いて分かったのは、明日、結婚する予定だった新婦が夜逃げしたということだった。

あぁ、馬鹿な奴。

ホイホイ他の女に行くからそう言う事になるんだ。
なんて、心の中で思ってしまった自分が最低な事くらいわかってる。

「善逸、元気出して。きっとすぐに良い人が出来るよ」
「もう出来ねぇよぉ…だってだって、だって…好きだって言われたんだよぉ…なのに…あんまりだぁあ!!」
「…まあ、今はそれどころじゃないよね」

大泣きする善逸の背中を撫でながら、はあ、と息を吐いた。
炭治郎に視線を向けると何とも言えない顔をしていた。
だよね、さっきまで炭治郎は私を慰めにきてたもんね。それが急に善逸に変わったんだもんね。

「…善逸は、その子の事が好きだったんじゃないのか?」

善逸の言葉に疑問を抱いた炭治郎が口を開く。

「好きだったよぉ…だって、俺を好きになってくれる、奇特な女の子だぞ…もう現れないかもしんないじゃんか」

奇特である自覚はあったんだ。
でもここにもいるんですけどね。
アンタみたいな情けない男を好いてる奇特な女子。

まあ、振られたからってすぐに割り込もうとするのは好きじゃないから、前に出ることなんてしないけど。

何か言いたげな炭治郎の視線が刺さる。

「案外近くにいるかもしれないぞ」
「炭治郎」

案の定、微笑む炭治郎は余計な一言を落としていく。
慌てて止めに入ったけど、善逸のポカンとした顔がそこにあった。

「近くって…どこだよ、炭治郎」
「もっと周りに目を向ければいいんじゃないかな。きっと善逸を想う女子はいるさ」

二人の会話の中に入りたくなくて、私はまた立ち上がった。
そういうのいいから。

炭治郎の優しさは嬉しいけど、正直余計なお世話。
私は「善逸のお茶持ってくる」と言って、また部屋を出た。


戻ってくると、部屋には変な顔をした善逸しかいなかった。
あれ、炭治郎はどこに行ったの?
私の表情を読んだのか、善逸が視線を逸らしながら「帰ったよ」と零す。

「何で?」
「いや…知らない」

さっきまで帰れと言っても帰らなかった癖に。
大方気を遣ったんだろうけど。
ちらっと善逸を見ると、先程とは態度がおかしい。
さっきまで大号泣だったのに、今は頬も赤い気がするし、身体が揺れたりして落ち着きがない。

「炭治郎が帰ったんなら、善逸も帰るでしょ。ほら、お茶だけ一杯飲んで帰って」
「か、帰るなんて言ってないじゃん!!何で帰らそうとするんだよ…」

湯呑を渡してぶっきらぼうに言うと、善逸が怒ったように声を上げた。
そりゃ、帰って欲しいからに決まっている。
私だって失恋したてのアンタを慰めて、ものにしたいなんて思っていないんだから。

ため息をともに、私は畳の上に腰を下ろした。
面倒だ。昔から善逸が失恋するたびに慰めてきたけど、今回は本当に面倒だ。
ただの失恋じゃなくて、結婚破棄だもんね。


「名前は、いつから俺の事…好きなの?」

「は? ちょっと待って、何?」


質問に対して質問で返すのは良くないとか聞いた事あったけど、
今回ばかりは許してほしい。
突如口を開いた善逸の言葉に私は顎がガクーンと落ちてしまった。

「……炭治郎め」

犯人は奴しかいない。
いそいそと帰宅したのはそれが理由だろう。
面倒な事をしてくれる。
心の中で炭治郎のお腹をポコポコと存分に殴ってやる。

頭を抱えた私に善逸が近づく。
慌てて顔を上げて、後ろに後退する私。

「炭治郎がなんて言ってたか知らないけど、違うからね。その証拠に私、今度見合いするし」

嘘だ。
でも嘘でいいから取り繕う。
見合いの話が来ているのは本当だけど、今の今まで受けた事は無かった。
心に金髪のコイツがいたから。

「見合いっ!? 見合いなんて聞いてないよ!!」
「言ってないからね」
「何で? 結婚の報告は俺、したじゃん! 教えてくれてもいいじゃん!」
「これから結婚する人に何で教えないといけないのよ」

もう結婚しないみたいだけどさ。
とぽつり呟くと、さっきまで威勢の良かった善逸がシュンと小さくなる。

「…そう、だけど」

項垂れた善逸に向かって、本日何度目かのため息を吐く。


「善逸は覚えてないだろうけど、最終選考で私の事、助けてくれたのよ」


言うつもりなんて無かった。
けど、言ってしまっていた。
今まで築き上げてきた同期・友達としての地位が全て無駄になっていく。

「それからずっと気になってた。同期として一緒に過ごすうちに気持ちの変化に気付いてたけど、善逸の目には私が映ってないし。他の女の尻追っかけるし。今更どうこうなりたいなんて思ってないの」

善逸の顔を覗き込みながら、目を逸らさずに言った。



「善逸だって、今の今まで私の事、意識したことなかったでしょう?」



自分で言って情けないけど、いつの間にか涙が零れていた。
私の涙を見て気まずそうに善逸が目を逸らした。

でも、善逸の手がそっと私の手を掴む。

「ちょっと、何のつもり?」

ズズっと鼻をすすって袖で涙を拭う。
捕まれた手を離そうとしても離れない。
意味が分からない。

「名前の言う通り、俺は全然名前の事、意識してなかったよ」

誰も居ない方を向いて善逸が言う。
ズキン、と胸が痛んだ。
ほーら、言わんこっちゃない。


「でも、今日からは…名前のこと、女の子として見ちゃうよ?」


唇を尖らせて、顔を赤くしたまま私を見る善逸。
油断していた私はその言葉に今度は胸が一杯になる。

都合の良い女だわ、と思ったけど、ドキドキしている自分がいた。



今はふたり離れたまま


いつか、私から手を繋ぐ事が出来るだろうか。






atogaki
あやさま、リクエストありがとうございました!
善逸相手で切ないお話がご希望でしたが、いかがでしょうか?
くっついてないやんけェェという突っ込みが思わず聞こえてきそうです…すみません。
実は最初は完全な悲恋・死ネタで書いてました。
折角リクエストして下さったのに、死ネタはいかんだろう、と慌ててボツにしまして
書き直したものがこちらになります。
死ネタの方はまた短編で上げようかと思います、こりゃだめだ。
この後にきっと甘い展開があるだろうと補完していただけますと、幸いです。
この度はありがとうございました!

お題元「確かに恋だった」さま


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