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もうどうやって保健室に戻って来たのか分からない。
気が付いたら、見慣れた自分のデスクにいて。
胡蝶先生たちが心配した顔で見ていたような気がするけど、私はどんな顔をしていただろう。

泣きそうだった、のかもしれない。
栗花落さんの言葉が頭に響く。

冨岡先生が胡蝶さんに話していただけ、と言われればそれまでだけど。
先生と生徒だもん、特に変な所はない。
冨岡先生が胡蝶さんに対して、目を合わせていることも不思議じゃない。
じゃあ、何で私とは目を合わせてくれないんだろうか。
もしかして、嫌われた…?

また心臓が張り裂けたみたいに痛みが走る。

嫌われた、として。
何がダメだったんだろう。
お昼を一緒に食べるのが嫌だった?
一緒にお出かけしたのがウザかった?

私はとっても楽しかったのに。

考えれば考える程冨岡先生の事で頭が一杯になる。
楽しそうにしてくれていたけれど、本当は嫌だったんだとしたら、それはとても申し訳ない。
どこかで謝らないといけない。
そして、もうお昼は一緒にならない方が良い、よね。

何だか頭がぼーっとしてくる。

コンコン

静寂な保健室に響くノック音。
それにさえ気づかないでひたすら冨岡先生の事を考えていた。
返事が無いから、扉の向こうの人は痺れを切らし、派手に音を立ててドアを開ける。
そこで私はやっと気付いた。

「なんだぁ、居ねぇと思ったらいるじゃねーか」

本当に美術教師なのかと疑いたくなる体格。
そして見た目の派手さが相まって生徒から呼ばれているあだ名は「輩先生」。
美術教師の宇髄先生がポリポリと後頭部をかきながら、中へ入って来た。

「うぉっ、何だド派手に泣きそうな顔して」

デスクにちょこんと座る私を見て声を上げる宇髄先生。
そして、目立つお化粧の施された瞳を見開いて、こちらにやってくる。
心なしか焦っているようにも見える。

「泣いてません」
「だから泣きそうだっつってんだろ」

泣いてないのだから泣いてない。
そう言うとぴしゃりと栗花落さんと同じ事を言う宇髄先生。
私の向かいの席に座り「何かあったのか? 俺に相談するか?保健師さん」とにやりと笑う。
輩先生と呼ばれているけれど、彼は生徒に人気だ。
それはこういう優しい所があるからだと私は思った。

「大丈夫です、大したことないんで」
「とてもそうには見えないぜ。今ならタダで何でも聞いてやるよ」
「宇髄先生のお手を煩わせるわけにはいきません。それに宇髄先生こそ何か用があったんじゃ…?」
「おー…絆創膏くれや」

思い出したように右手をひゅっと私の前に持ってくる。
目に入ったのは、とても絆創膏でどうにかなるような代物ではない切り傷が、手の甲に一本入っていた。
さっきまでの気持ちが一瞬で吹き飛んで思わずギョッとする。


「な、な、なんですかそれはー!! 大出血じゃないですかー!!」


大慌てで立ちあがり、救急セットを用意する。
そして宇髄先生に後ろの手洗い場で手を濯ぐように言い、私は消毒液を取り出した。

「このくらいの傷舐めてりゃすぐ直るし、いつもの事だ」
「そんなわけないですよ!! なんでもっと早く言ってくれないんですか!!」
「どっかの誰かさんが泣きそうになってからだろーが」

そうは言ってもこれだけの傷、痛くはないのか。
決して擦り傷とは言い表せない。
何をしたらこんな事に…。

「電ノコでやっちまった」

てへ、と可愛らしく舌を出す宇髄先生。
それが可愛い女の子なら許したかもしれないが、相手はガタイのいい大男。
しかも発言が全然可愛くない。で、電ノコ…!?

「電ノコなんて授業で使わないでしょ…!?」

吃驚して声を上げたらニヤリと悪戯っ子のように笑う。
何に使おうとしていたの、電ノコ。

喋っている間にも消毒は終わり、綺麗なガーゼで傷口を巻いていく。
それにしても酷い傷だ。本当なら病院に行って欲しいけれど、絆創膏で済まそうとしていたあたり、行ってくれないだろうな。
はあ、と一息吐いた。


「んで、苗字センセは何があったんだ?」
「何もないですって」
「いいじゃねーか、手当てしている間、暇だろ」
「私は暇ではないんですけど」


宇髄先生に誘導されるまま、何があったか言ってみ?と尋ねる顔を忌々しく眺める。
暫く黙秘をしたけれどずーっと隣で「はよはよはよ」と急かすので、面倒になってやっと私は口を開いた。



「冨岡先生に嫌われてるんです、私」
「はぁっ?」


物凄く勇気を出して言ったのに、宇髄先生はまるで人を馬鹿にするような声で首を傾げる。
そして「何を言ってんだ、お前」とさらに追い打ちをかける。
酷い。この人に言ったのが間違いだった。
早くも私は後悔していた。

「そんな言い方ないんじゃないですか」

ぷぅっと頬を膨らませ、不満を述べると宇髄先生がケラケラと笑う。

「ちげーよ、そういう意味じゃねぇ。あの冨岡がお前の事嫌うって? まあ、ないな」
「何でそう言えるんですか」
「マジでわかんねーのか」

コクリと頷いて宇髄先生の顔を見る。
はあ、とため息を一つ零して「あのな」と話し始めた宇髄先生。

「冨岡がこの学校で唯一、まともに喋るのがお前だ。誓っていい、そんな相手を嫌うわけねーだろ」
「だ、だって…最近目を合わせてくれないし、何か変だし」
「冨岡が?」
「はい」

そう言うと、宇髄先生は何か考え込むように顎に手を置いて、「ふぅ〜ん」と面白いものを見つけた子供のような顔をした。
何なんだ、調子狂う。

「お嬢ちゃんよぉ、それは嫌われたわけじゃねーよ」
「そ、そうですか?」
「はぁ、あの冨岡がねぇ。ま、いいんじゃねーの。待ってりゃその内訳を話すだろうさ」
「ほんとかなぁ」

そんな会話をしていたら、あっという間に宇髄先生の右手は白い包帯に包まれていた。
これでいいだろう。
案外傷は深くなかったので、縫う必要はないと思う。

「お、サンキュー」
「まだ痛むようだったら、絶対病院に行ってくださいね」
「おう」

絶対病院に行かないだろうセリフを聞くと、宇髄先生は立ち上がった。

「そんなに気になるなら、冨岡に話しといてやるよ。この宇髄サマが」
「え、いいです」
「遠慮すんな。これのお礼だ」
「遠慮じゃないです、拒否です」

くっくっく、と楽しそうに笑って、包帯の手でひらひら「じゃあな」と手を振って出て行く宇髄先生。
何だろう、嫌な予感がする。

だけど、さっきよりは気分が良い。
そういう意味では宇髄先生のお蔭ともいえるのが、何だかムカつくけれど。

ウジウジしていても仕方ない、よね。
明日冨岡先生に直接聞いてみよう。
嫌われていたら嫌われていたでいいし、理由があるならなおせばいい。

だって私は冨岡先生と仲良くしたいから。

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